恋人形と歌人形のはなし
伽藍 @garanran
序章 狭い店舗の中に、歌が響いている。
《永歌骨董店》。古びたビルの二階に、その店はある。
軋む扉を開けて一歩足を踏み入れた瞬間、青年は呆然と立ち尽くした。
歌、が。
むき出しのコンクリートの壁、狭い店舗の中に、歌が響いている。
どこかで聴いたような、懐かしい歌だ。
静かで、それでいて澄んでいる。穏やかでいて、ひとの心を震わせる。ひそやかに、けれど不思議とよく通る。
少年と少女、二人の声だ。少年ののびやかなボーイソプラノと、少女のしんと響くソプラノ。
翼を広げた小鳥が歌う声に似ている。透き通った、森の奥の湖のような、歌。
耳に染みいって、頭の中で何回も響いて、胸の奥に沈んで離れない。
青年はそっと息を飲んだ。自分が店にきた目的も、終わった後に何をしようとしていたかも、まとめて吹き飛んだ気分だった。
そろそろと足を進める。店の奥に置かれたレジの向こうに青年の倍ほどの年齢だろう男性と(恐らく彼が店主だ)、レジの横に置かれたベンチに座る少年と少女。
歌が、響く。
寄り添う二人が、歌う。店に入ってきた青年を気にする様子はなく、気づいた様子もない。
歌が、響く。
完成された世界の、完成された歌が。少年と少女の手はしっかりと握られている。お互いにしか意味はないというように。
青年は、伺うように二人の顔に視線を移した。気づかれないように、自分の視線が二人の歌の邪魔をしてしまわないように。
黒い短髪に黒目の少年と、金の長髪に碧眼の少女。二人の姿が、どうしようもなく眼を惹いた。
どちらも整った容姿をしているが、中でも際立つ少女の美しさに彼は息を飲む。少年と少女が寄り添う光景は、完成された絵画のようだった。
「――いらっしゃい」
意識の外から声をかけられて、青年は驚いて飛び上がった。いつの間にか少年と少女に釘づけになっていた視線を引きはがして店主に移す。
むっつりとした、灰色の髪の男だった。手元に何かを持っていると思ったら、本を読んでいたらしい。
「――さん、だな? 欲しがってた器なら別に置いてある」
「――ぁ、」
店の主人に名前を呼ばれて、青年はこくこくと何度も頷いた。
挙動不審な客を気にした様子もなく、男はごそごそと奥の棚を探っている。客の動揺に慣れたような反応だった。
歌う二人と男を数度見比べて、のそのそとレジに向かう。途中、ちらと店の中に視線を向けた。
幾つか並んだテーブルに、古びた雑貨や、人形や、よく判らないがらくたの類が並べられている。無造作に並べられた商品にはけれど埃の一つもなく、大切に扱われていることが判った。
青年がレジの前に辿り着いたときには、主人は取り出した器をしげしげと確認しているところだった。
「ほれ、確認してくれ」
主人に渡された器を確認する。確かに、伝手で探して貰ったものだった。この骨董店によく来るという友人を通して頼んだのだ。
もう何年も前に亡くなった陶芸家の作品。
「ありがとうございます、探して頂いて」
「たまたまこの作家の作品を集めてるやつがいてな」
無愛想に見えたが、そうでもないらしい。主人は面倒臭げな様子もなく答えると、青年が商品を確認したのを確かめてから梱包材で丁寧に包み始める。
青年は主人の作業を見守りながら、財布からお金を用意し始めた。その間にも、青年の耳には歌が届いている。
どこかで聞いたような曲調に、聞いたことのない歌詞。美しい少女のソプラノと、そこに被さるボーイソプラノ。
ベンチに座る少年と少女は、来客に気づいた様子もなく歌っている。
二人のしっかりと繋がれた手を眺めている途中、青年はふと気づいたような顔をした。遠目では判らなかったが、近くで手を見れば判る。
「これ、歌人形、ですか」
思わずというように、青年の手が伸びた。
人間の手で作られた、美しい歌人形。まっすぐな髪の少年と、柔らかく波打つ髪の少女。
少女のまろい頬に触れる直前で、ぱしりと誰かに手を掴まれた。
「えっ」
白くて細い、毛穴のない手。人工の、手。
青年が息を飲む。自分の手を掴んだ手から腕、肩を伝って顔に視線を向ければ、少年がいつの間にか歌を止めていた。
黒い、つくりものの瞳が、じっとこちらを見つめている。青年はたじろいで、慌てて手を引っ込めた。
黒い、黒い、黒い、瞳。
「ご、ごめん」
歌人形はアンドロイドのようにAIをベースにしている訳ではないから、人間ほどの思考能力はない。判っていながら、その瞳に気圧されるように青年は謝った。
彼らのやりとりを横目で見ていた主人が、楽しげにくつくつと笑う。
「悪いな」
緩慢な動きで立ち上がり、少年と少女の頭を順番に撫でる。
「こいつらは売り物じゃねえんだ」
そう言って少年たちを見下ろす店主は、自分の子どもを見守る親のようだ。
視線を受けた二体の人形が、にこりと笑う。
ことり、と少年の姿をした人形が少女の姿をした人形の肩に頭を預ける。
頭同士を触れ合わせる二体の人形は、酷く美しく、幸せな姿に見えた。そう、まるで。
二人が寄り添う光景は、完成された一枚の絵画のようだった。
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