第1話
ピーッピーッ。
部屋の中で響く目覚まし時計で目を覚ます。昨日の激務のせいか体の節々が痛む。肩を揉みながら立ち上がり、昨日部屋にいた少女を思い出した。
――ほんと誰だったんだ。
謎に「久しぶり。たっくん」と言われ、整理のつかない頭で少女の顔を検索した。けれど全くと言っていいほど記憶はなく、久しぶりと言われる意味がわからなかった。
『っ誰だか知らないけど、勝手に入らないでください!』
『うお〜…………ん?』
少女の後ろに回り扉の外まで押し出した。悪びれる素振りもなく、外に出された時なんか首を傾げていた。まるでなんで外に出されたのか分からないという風に。
俺は、もう来ないでくれと言って扉を閉めた。
しばらく小さなノック音と「たっくん」と呼ぶ声が聞こえていたが、反応せずに少し離れて扉を見つめていた。
帰ったのか音も聞こえなくなり、ほっと肩を撫で下ろし疲れた体を癒すため風呂の支度をしようとした時、俺は考えた。
風呂は共用なため外に出なければいけない。
もしや扉を開けたら少女いるのでは。俺は息を呑み扉を開けた――が、そこには誰もいなくて、念の為顔だけ出して辺りを見渡しても人の気配さえない。
そうしてやっとのことで俺は、安心して風呂に行くことが出来たのだ。
昨日はただでさえ疲れていたのに……。
昨日の出来事を振り返りながら溜息をつく。
過ぎたことに対して朝から労力を使う必要はない。重い瞼を開くべく顔を洗いに行こう。
とは言ってもこの部屋には洗面台がないため、外にある共有スペースの洗面台兼トイレまで行く必要がある。
ついでに歯磨きもすればいいか。
昨日の夜使ってから出しっぱなしの歯磨きセットと新しいタオルを手に取り、部屋の扉前まできた時に横の隙間で物音がした。
顔を向けるとそこに居たのは、どこから取り出したのか薄手の毛布にくるまって、小さく座って寝ている昨日の少女がいた。
驚きのあまり、声も出ない。
どうやって入ったんだ?部屋に入るにはカードがないと入れないはずだ。でも彼女はここにいて、すやすやと心地良さそうに寝ている。
起こすべきか起こさないべきか。
起こしたとして教官……もとい先生に、少女を渡しても何もされないとは言い難い。別に少女に痛い目にあってほしいわけじゃない。かといって、ずっとここにいられるのも困る。
「…………はあ」
しょうがないけれど、少女を起こすことにする。
***
「で、連れてきたわけ?お前面白いことするよな〜」
隣で笑いながら機体の修理をする
今は機体修理の実習中。
まだ簡単な部分だとはいえ、プロや慣れた人からして簡単なだけで素人の俺らからしたら少し難しい。
手先が器用な正彦は、迷うことなく部品を取り外し組み立てていく。その様子に羨ましさを感じながら、器具を変えようと手を近くの用具箱へ伸ばした時
「はい、これでしょ?」
「ん、ああ、ありがと……う」
俺に部品を渡したであろう人物は、満面の笑みを浮かべながら俺の手に器具を乗せていた。俺が欲しいと思っていた器具がなぜわかったのかと言いたくなったが、今はそれどころじゃない。
「じっとしていろと言ったんだけど、聞いてた?」
「聞いてた聞いてた」
「じゃあなんでここにいる。そこで、じっと、座ってて!後、器具に触らない!」
「んう〜〜」
口を尖らせつつも、俺が誘導したせいか大人しくその場に座った。……と思ったら、こそこそついてきていたので、じっと見つめたら顔をしかめながらも元の場所に戻っていった。
溜息をつきながら修理に戻ると、隣で正彦が笑っている。笑いごとじゃないんだけど。
「お前振り回されてんなー?冷静な拓郎くんが崩れてますぞ」
「うるさい。好きでこうなったわけじゃないっての」
「いいじゃん、可愛い子だし」
馬鹿かと言いかけてやめた。
言ったところで「はいはい、馬鹿ですよー」と言われるのが目に見えていたから、溜息に留めておく。
少女の方に目線を向けると、少女も俺を見ていたのかすぐに目が合う。少女はにこりと笑みを浮かべ、そらす素振りもせずにこちらを見ている。
僕はそらす。
少女の「んう〜〜」という独特の、腹をかいた子供のような声が小さく聞こえてくる。少女が口を尖らせているのかと思うと、少し笑いがこみ上げる。なにはともあれ少女は誘導した場所で留まっているようだ。
――やっと作業が進められる。
と、思ったら。
「姫さま」
ざわざわとした実習室に、突然聞きなれない声が聞こえた。呆れと安心が入り交じった、でも落ち着いた低音の声だ。少女の声同様よく響く。
「そこにおられましたか。姫さま、皆が探しております。勝手に出歩かないとあれほど……」
「だって、たっくんがいたから」
「たっくん?」
少女が俺を指さす。
男が俺の姿を捉えた時、なぜか納得したような顔つきになった。もちろん男とも知り合いではない。
他人のフリをしようと試みるが、静かになってしまった実習室での会話は他生徒に筒抜け状態であり。当然俺に目線が注がれる。
やめてくれ、俺は無関係だ。
でも、少女と親しく話している限り、男は少女の知り合いなのだろう。きっちりとしたスーツ姿(執事の人が着ていそうなもの)に、整えられた金色の髪は後ろでひとつにまとめられている。それに少女のことを「姫さま」と呼んでいることも気にかかる。
「とにかく、皆が心配しているのです。帰りますよ。ほらそこから降りてきてください」
「たっくんは連れていけないの?」
当然のように俺も連れていこうとするな。知り合いでもないのに、なんで行かなきゃいけないんだ。……と目で訴えたが、少女は気づくことなく男に目線を向けたままだ。
案の定、すぐに「だめです」と言われしょげていたが。
「拓郎様にはまた会えます。今日のところはこの辺にしましょう」
「また会える…………うん、なら帰る」
俺たちが乗っている高い作業台から怖がることなく軽々と飛び降り、着地もここが重力のないところなのかと思うほど音がなかった。
「拓郎様、姫がご迷惑をかけたようで申し訳ありません。お詫びはまた後日」
深々と礼をする。
小さく「いえ」と答えておいたが、多分男には聞こえていないだろう。
「ばいばい、たっくん」
笑顔で手を振る少女に俺は振り返さなかった。
最後に男が礼をして、先に歩いていった少女のあとを追っていく。――男が礼の後、俺を見上げる目が鋭くなったことがなぜか、頭の中に残った。
「お前知り合い?名前呼ばれてたけど」
「いや……」
俺は名乗った覚えもない。少女も俺を「たっくん」と呼んだだけで「拓郎」とは一言も言っていない。なのに、あの人は俺を名前で呼んだ。前から知っていたかのように。
不思議だらけだ。頭が疲れる。
ただでさえ実習で頭を使っているのに、あの二人のおかげで二倍に頭を使ってしまっている。
本当に知らない。見覚えだってない。
どうして二人は俺のことを知っているような口調で話すのだろうか。
漫画や小説でありそうな話すぎて冗談としか思えない。ありきたりで、でもありきたりじゃない。
……溜息が出る。
ともかく、少女は大人しく帰ったのだ。また会えるだの男が言っていたが、どうかもう会わないことを願う。こんなにも疲れるのは勘弁だ。
握りしめたままの道具を握り返し、残りの作業を開始すべく少女たちが歩いていった通路に背を向けた。
「はあ…………」
ベッドに疲れた体をダイブさせれば、きし、とベッドが鳴く音が聞こえたけど今の僕には気にしている余裕もない。
はあ、と深く二度目の溜息を吐いた。
毎日が淡々と過ぎて、あっという間に一日は消えていく。授業が苦なわけではないが、この学校自体のレベルが高いこともありついていくのがやっとだった。常に頭はパンク状態。体は慣れない作業ばかりで悲鳴をあげ続けている。
――憧れた、あの背中のようになりたかった。
だから「無理だ」と言われすぎたこの学校にすがりついて、入学できる資格を得たのだ。
それなのに、僕はいつも考える。
少なからずともその背中に追いつけているのだろうかと。
『また来てたのか、拓郎』
そう、僕の記憶の中で微笑むのは父親。
近くに行ったら危ないということは知っていた当時の僕は、離れたところから父親が一生懸命に船を直していく姿を見てきた。楽しそうに手を顔を汚しながら作業しているのを何時間も見ていた。
最後にその背中を見たのはいつだろう。
今まで鮮明に思い出せていたのに、授業での記憶ばかりが僕の頭を支配していき、大切な記憶は薄れていった。
きっと思い出さなければならない記憶なのだ。それなのに、忘れてしまう。
……どうして、今日に限ってこんなことを考え出すんだ。昨日の夜、あの女の子に関わってからだ。どうも過去を振り返ってしまう。
「はあ……、…………っ!」
三度目の溜息をこぼした時、左端からこちらを覗く目が二度瞬きをする。長い髪が一部僕の顔にかかったところで僕は飛び起きた。
ぶつかりそうになった本人は「うおっ」なんて言葉を発しながら、ふわりその場に尻もちをついた。
「な……な…………っ」
「んも〜危ないでしょ?」
頬を膨らませながら僕を見る人物こそ、今日執事もどきに連行された少女だった。
驚いている僕なんて気にせずに立ち上がり、服についたものを払うように叩き出す。
そんなに汚くないけど、と言いたくなったがそういう問題ではないだろう。
あの時大人しく帰ったのではないのか?
「たっくんに、あいにきた」
ふふん、と聞こえそうなほど誇らしげに言ってみせたが、そこまで自慢できるほどのことを言っていない。むしろ自慢にならないとてもつまらない言葉だ。あと、僕にものすごく迷惑がかかる言葉だ。
ああ……どっと疲れがでてきた。
「……うん、これは夢だ。疲れてるんだきっと」
独り言をつぶやき眠りにつこうと、少女がいる側の反対の方を向き眠る体制に入る。
「んう〜〜〜〜」
どうやらはらをかいたようだ。
どうしてどうしてと言いながら、僕の袖を引っ張り揺らしてくる。これでは快適な睡眠が得られない。
「疲れているんだ、そっとしといて。それで帰ってそのまま」
少女の目を見てそう言うと、眉を八の字にさせて僕の顔に手を添えた。
「疲れてるの?」なんて言葉も添えて。
四度目の溜息。
適当に返事してもう一度眠りにつこうと目を閉じると、何を納得したのか「よし」と意気込むような声が聞こえた。
「子守唄、うたってあげる」
なぜそうなる。
断りを入れようと口を開いた時、少女の方がほんの少し早かったみたいで子守唄とやらを歌い始めてしまった。
なんとも言えない歌声だった。
上手いんだろうけど、どこが悲しくて寂しい。それでいて優しく僕の体を包み込むみたいに歌が僕の耳に入っていく。心地よいソプラノがこの部屋に充満している。
初めて聞いた曲。
初めて聞いた歌声。
それなのに酷く懐かしい。ずっと前からこの歌を少女を知っていた感覚に陥る。
徐々に瞼が重くなり、僕は眠りについた。
「………………お母さん」
そうつぶやく僕を、少女の手が優しく頬に触れた。
「おやすみ、たっくん」
歌使い少女と高校生 吉田はるい @yosi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。歌使い少女と高校生の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます