第11話

「おっはよー!」


 翌日。ペトラの明るい声で目が覚めた。


「朝ですよぉー。早く起きちゃってくださいなっ」


 獣の姿のまま、ガルーは身を起こした。ベッドと壁の隙間で丸くなっていたので、少し身体が痛かった。


「フェンテは……?」

「今日は朝から女王様のところよ。あまりお加減がよろしくないんですって」


 そう言われて、朝早く何人かが部屋に入れ替わり立ち替わりやってきていたことを思い出した。城の者だとわかったから警戒はしなかったが、見つかると面倒なので隙間に隠れてそのまま眠ってしまったらしい。


「ペトラは今日は?」

「もう少しで庭師の仕事よ。フェンテが、あなたのことを心配して様子を見てやってくれって言ってたから見に来たのよ。ほら、ご飯作ったから食べてね」

「そうか」

「ちょっと! そのまま変身しようとしないでよ! 一応乙女の前なのよ?!」

「……ああ、そうだったな」


 そう言われて初めて、全裸だったことに気付き狼に戻る。今まで朝は男のフェンテと二人だけだったから、何も気にしないで着替えていた。


「むきー! 全然悪びれてないっ」

「謝ったじゃないか」

「それは謝ったって言いません!」


 まくらを投げつけられて、ガルーは面倒くさいと一人ごちた。壁の方を向いて、人型に変身する。


「お前も……」

「何よっ?」

「俺のことを何とも思わないんだな」

「何もって……ああ、獣人ってこと?」


 何か別のことを言われると思ったらしいペトラは、ややあってガルーの言いたいことに気付いたらしい。


「別にそんなの気にしないわよ。だって、こうやって接してる分には普通の人間と全然変わらないじゃない。ちょっとデリカシーがないだけで」

「最後の一言余計だけどな」


 この娘は『精霊に嫌われた姫』と乳兄弟なのだ、多少のことは気にしないのだろう。


「フェンテはいい友人を持っているな」

「あら、ルーからそんな言葉を聞くとは思わなかったわ」

「どういう意味だ」

「私のことちゃんと見ていて、褒めてくれたってことでしょ? 嬉しいわ。てっきり私のことを嫌いだって思ってると思ってたから」


 ごめんねと照れ笑いするペトラはとても可愛らしいと思う。


「ふふふ。でもね、フェンテもあなたが来てから変ったわ」

「えっ?」

「あなたに自分の仕事を教えて、手伝ってもらってるのが嬉しいみたい。前よりイキイキしてるもの。きっと、あなたのことを家族みたいに大切に思ってるのね」

「家族……」


 まさか、そんな風に見えているとは思わなくて。ガルーは頬を染める。なんだかくすぐったい。


「これからも、仲良くしてあげてね」


 ガルーが頷くと、ペトラは嬉しそうに笑った。


「ありがとう。じゃ、私そろそろ仕事だから行くわね。今日はフェニーチェの方も忙しいみたいだから、戻ってくるまではここに居てあげてね?」


 ペトラが出て行ってから、ガルーは一人で朝食をとった。

 今さらながら、自分は捕虜の身だと思い出した。

 フェンテが優しいから、すっかり忘れていた。どうして、忘れていられたのだろうか。闇の世界に生きていた時は捕虜になれば一刻も早く脱出しようと試みていたのに。


 昼を過ぎても、フェンテは戻ってこなかった。


 外はよく晴れている。菜園の野菜たちに水をやりに行かなくて良いだろうか。

 だが、フェンテがおなかをすかせて戻ってきた時に側にいてやった方がいいような気もする。

 ガルーは昼食を作って待つことにした。フェンテがやっていたことを一つ一つ記憶をひっくり返しやり方をたどりながら、スープを作る。


 ここに来てからというもの、すっかり家事が身に付いた。フェンテやペトラの腕には到底及ばないものの、簡単な料理なら作れるようになった。

 一つできることが増える度に、フェンテはまるで自分のことのように喜んでくれた。


 もっと、フェンテの役に立てるようになりたい。

 ガルーは自然にそう思うようになっていた。


「遅いな……」


 スープができても、フェンテは戻ってこなかった。

 普段菜園に居る時はすぐに時間が過ぎていくのに、一人の時間はとても長かった。

 フェンテがいないと、とても寂しい。暗殺者として生きている自分の中にそんな感情があるとは思っていなかった。


 なでられる手が、その時向けられるあったかい感情が、とても心地よくて。

 なくしたくないと思う。


(あれ? これって……)


 そこまで思い至って、心臓がどくりと鳴った。

 どくどくと血の巡りが早くなるのがわかった。


(俺、もしかして。フェンテのことが……好き?)


 きれいな横顔を思い出して、続けて昨日抱きしめられたことを思い出す。

 一気に脳まで血が上ったような感覚に、頬を押さえる。今鏡を見たらきっと顔がイチゴよりも真っ赤になっているだろう。


 恥ずかしくて思わず顔を隠す。穴があったら入りたい。


 でも。

 自覚してしまうと、フェンテのことが気になって気になって仕方がなくなる。

 今頃、どこで何をしているのだろうか。母親である女王の具合が良くなくて落ち込んでいるのか。もしそうなら、フェンテがガルーに優しくしてくれたように、今度は自分から優しくしたい。


 フェンテは自分のことをどう思っているだろうか。もしかして、ペトラのことが好きなのだろうか。

 ペトラは明るくて可愛いし、それに、ずっと昔から一緒に居たのだ。好きでもおかしくない。

 それならそれで仕方ないが、できれば、ほんの少しでも自分のことを好きでいてくれたらと思う。もしそうなら、どんなに幸せだろうか。


 そこまで思い至った時だった。


(……ん?)


 外の廊下が妙に騒がしい。何人もが走りまわるような足音。


(何かあったか?)


 ふと窓の外を見る。いつの間にか夕暮れ時になっていたらしい。空一面、オレンジ色に染まっている。

 そして。ガルーは見た。

 その黄昏は夕日のせいなどではなかった。この国の守護精霊、炎のクラテールが上空に舞っていたのだ。


「あんな大きなクラテール様……見たことがない」


 普段加護魔法を使う時に呼び出すような小さな化身などではなく、本物のクラテールだった。炎の翼と尾羽を持った鳥は神々しく、見る者を圧倒した。

 そして。加護精霊が現れたという事実に、緋色の国ロッソ国民全員が、今何が起きたのか一瞬にして悟った。


「女王陛下が……崩御された」


 その晩ついに、フェンテ――いやフェニーチェ王女は、戻ってこなかった。

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