第10話
一体どういうことだろうか。
ガルーは耳をそばだてる。メイドたちはガルーが聞いているとは夢にも思っていないだろう、話を続ける。
「フェニーチェ王女には近付かない方がいい。精霊の力を封じ込められると加護魔法が使えない身体になるのよ」
「……まさか」
「本当なんだから。昔ね、姫を殺そうとした
「それで……どうなったの?」
「メイジは精霊の加護を失って、魔法が使えなくなった。それどころか『与えられた職』すら失って、廃人になってしまったという話よ」
ガルーの脳裏に、初めて戦ったときの光景がよみがえった。
クラテールの加護魔法を使った拳を、フェニーチェ王女はいとも簡単に受け止め、無力化した。あの時セリアンスロウプも無力化されたため、ガルーは単にサモナーの魔法を使ったからだと思ったが、あれは魔力をすべて消し去る力だったということか。
だが、メイドの話はどこまで本当なのだろうか。ガルーはいまでも『与えられた職』である『セリアンスロウプ』の力を使うことができるし、精霊の加護の力も前と同じように感じることができる。
「……気味が悪いわね」
「魔法立国の
「王女様は魔法が使えないの?!」
これにはさすがに驚いた。メイドが大きな声を出さなければ、もう少しでガルーの声が出かかったところだ。
「これは国家秘密ってことだけどね。けど、内部の人間はみんな知ってる。『精霊に嫌われた姫』だからね。この国の守護精霊のクラテール様ですら加護がつかなかったのよ」
どんなに魔力の弱い人間でも、獣や獣人でも、八つの精霊のうちいずれかの加護が受けられる。魔法の専門家でない一般の人間ですら最低一つは精霊の力を使う加護魔法を何かしら使えるのが常識だ。ガルーも炎の精霊クラテールの加護を受け、魔法が使える。
「精霊の加護が受けられない人間なんて、あり得ないわ」
「でも本当に使えないの。きっと無力化するあの力のせいで、精霊に嫌われてしまったのよ」
「まさか……」
「姫の『与えられた職』は『サモナー』だけど、魔法が使えないから未だに何も召還できないのよ」
「そんな何の力もない姫が女王になってしまったら……この国は終わりだわ! もう現女王様も長くはないだろうし……」
「だからね、今、裏では新しい女王をたてるための動きが密かにあるらしいのよ」
「えっ? 本当?」
「本当よ、だって、私その集まりに参加しないかって誘われたもの……」
そこまでメイドたちが話した時だった。
「コラ! あなたたち、終業の点呼があるから早く戻っていらっしゃい!」
「すみません! 今行きます!」
先輩か誰かに呼ばれたのだろう、二人はおしゃべりをぴたりと止めて走って行ってしまった。
足音が遠ざかっても、ガルーはその場から動けないでいた。
フェンテは魔法を使わなかったのではない、使えなかったのだ。
今まで考えたこともなかった。魔法が使えない者がいるなんて。そういえば、ガルーに結界をかけたときも、マジックアイテムを介していた。本当に、魔法が使えないのだ。
当たり前のこと――少なくとも周囲が当たり前だと思っていることができないということは、どんなにか苦しいことだろう。ガルーには痛いほどよくわかる。獣と人間の間にはいつも高い壁があって、人間ならたやすくできることが、獣人だという理由だけでできないことが多々あった。
それなのに。
フェンテは歩み寄ろうといつも努力していた。あんな風に陰口を叩かれていることを、知らないわけではないだろう。それなのに、いつも笑顔で誰一人欠けることなく平等に声をかけていた。
強い人間だと思った。どうして、あんな風に強く堂々と振る舞えるのだろうか。獣人たちは皆獣人であることをひた隠しにして、大人しく闇の世界でしか生きていないというのに。彼の行動の源――原動力は一体何なのだろうか。
知りたい。ガルーはフェンテの笑顔を思い出しながら、強く思った。
彼のことを、もっと知りたい。
「あれ? ルー?」
どれくらい扉の前で固まっていたのだろうか。フェニーチェ王女が戻ってきていた。行きとは違い、おつきの者はおらず一人で。
「ただいま」
疲れているだろうに、そんなことはおくびにも出さず。笑顔を見せて、ガルーの頭をなでる。
「いい子にしてた?」
「まあな」
「えらかったね。着替えたらもう休もう? さすがに疲れたよ」
そう言うと、フェンテはカツラをとり、おもむろにドレスを脱ぎ始めた。白い肌が露わになって、ガルーは下半身からぞわぞわとくすぐったいものがあがってくるのを感じ直視できなくなる。
あわててカーペットに移動し丸くなった。
「あれ? もう寝ちゃった?」
着替え終わったらしい、フェンテがベッドにやってきた。
「どうしたの、元気ないね?」
「……なんでもない」
「おいで。ブラシかけてあげるから」
夜眠る前に、フェンテは必ずガルーのブラッシングをしたがる。
ガルーも最初こそ拒んだが、どうもこれは彼なりのスキンシップの一環なのだと気付いてからはされるがままになっている。
それに時折、ブラシと一緒に彼の指が毛並みを滑って行くと、妙に心臓のあたりがきゅうと縮こまり、気持ちいいようなくすぐったいようなおかしな感覚がする。普段感じたことのない感覚は妙に快感を伴い、もっとやって欲しいと無意識のうちに尻尾がふわふわと動く。
「な、ルー?」
「……ん?」
カーペットの上で丸くなったままのガルーは尻尾をふさりと持ち上げる。
「……気持ちいい?」
「ん……」
耳に届くフェンテの声すらも心地よく、とろけてしまいそうだ。目を閉じて、ふわふわする感覚だけを意識が追いかける。
「ね……そこ、硬くない? こっちにおいでよ」
「ん……」
否定だか肯定だかわからない生返事。それをどうとったのか、くすくすと笑いながらフェンテはガルーの狼の身体をひょいと持ち上げる。
「わ、何……!」
「一緒に寝よう?」
耳元で囁かれる声の音色が妙に優しくて。まあいいかという気持ちになり、身体を預ける。
フェンテに抱きしめられたかっこうのまま、ベッドに一緒に横たわった。ふわりとフェンテの匂いがするのは、ベッドからか本人からか。いつの間にか、この匂いが嫌だと思わなくなった。それどころか、包みこまれると安心してしまう。殺そうと思っていた数日前が嘘のようだ。
ずっと、このまま一緒にいられたらいいのに。ガルーは規則正しく上下する胸に鼻先をくっつけた。
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