第9話

 戻る道すがら、城勤めのメイドたちとすれ違った。


「こんばんは」


 フェンテが何人かに声をかけたが、皆ぴくりと肩を震わせ、目を合わせないようにそそくさと逃げるばかりだ。


「どういうことだ」


 ついに部屋に戻るまで、挨拶は返ってこず。帰ってくるなりガルーが口を開く。


「だから言ったろ。俺には名前がない」

「えっ?」

「名前がないってことはね……『ここに居る筈がない者』ってことなんだよ」


 どこかあきらめたような色を含むその言葉。


「王女としての勤めもあるから、挨拶しないわけにもいかないだろ? でも返ってこないのは結構……つらいよな。いつものことだし、わかってはいるんだけど」


 フェンテはガルーを見ない。何かを必死にこらえているのが、目を見なくても手に取るようにわかった。


「さて。そんなことは置いといて。魚が新鮮なうちに料理してしまおう」


 いつも通りに振る舞うフェンテを見て、ガルーは何も言えなくなった。てきぱきと準備する姿は本当に何事もなかったかのようで。慣れた手つきで鱒を三枚に下ろし、バターで焼き始める。その間にキャベツと瓜でスープを作った。

 たちまち部屋はバターのいい匂いで包まれる。


「できたよ、テーブルにおいで」


 パンと鱒のムニエル、スープというシンプルなメニューだったが、香ばしい匂いが食欲をそそる。


「いただきます」

「……いただきます」

「いつも思うんだけどさ、ちゃんと挨拶できてえらいよね」

「バカにしてるのか」

「してないよ。ルーは子供っぽいけど、しっかりしてるところもあるんだなあと思っただけだよ」

「それはバカにしてるというんだ」

「してないしてない」


 楽しそうに笑うフェンテ。こうして一緒に生活してみると、全く王族らしくない。野菜を育てているし、料理もできるし、それにこうして楽しそうに笑う姿は年相応のどこにでもいそうな少年だ。


「こう見えても、もうすぐ十九だぞ」


 怒った口調でガルーが言うと。


「へぇ、俺より三つ下なんだ」

「お前はもう二十を越えているのか。童顔なんだな」

「あっ、今さらっと差別発言!」

「してねぇよ。王女なんて呼ばれてるからてっきり俺と同じか年下かと」

「暗殺の依頼を受けたときに調べなかった?」

「そんなまどろっこしいこと俺はしない」

「ふーん……意外とそんなものなんだね」

「うるっさいっ」

「はいはい」


 フェンテがそう言いながらもニヤニヤ笑うので、ガルーはふてくされて食事を続けた。カリカリに焼けたパンも、バターで焼いたムニエルも、とてもおいしかった。


 その晩、フェニーチェ王女は宮廷での催しに出席しなければならないと、出かけていった。白き国ビアンカからの使者がやってくるのだという。

 フェンテは慣れているのだろう、一人でコルセットを身につけ、ドレスを纏い、髪を結い上げると、時間通りに迎えにきた者について謁見のための部屋へと向かった。


 ガルーは狼の姿に戻り。その様子を見るともなしにながめていた。迎えの者すら、フェニーチェ王女に口をきかなかった。


(誰も……話しかけない)


 不自然すぎやしないか。フェンテが言っていた『ここに居る筈がない者』だけが原因ではないような気がする。

 その時だった。


「サラは最近入ってきたんだっけ?」

「うん。さっき初めて本物の王女様を見ちゃった。綺麗な人だね」


 少し開いたままの扉の外から、複数の女性が歩きながら会話している音が聞こえてきた。


(……ん?)


 今は狼の姿だから、廊下くらいの距離なら簡単に聞き分けられる。ガルーは音を立てずに入り口まで移動する。


 隙間から外を覗くと、声の主はメイドたちだった。


「美人は美人なんだけど……噂は聞いた? 『精霊に嫌われた姫』のこと」

「少しだけ」


 ガルーは耳をぴくりと動かした。


(精霊に、嫌われた姫……?)


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