第4話

 ガルーの動きが止まった。

 王女の違和感は、これだったのだ。赤髪赤目の王族に、ブルーアイは珍しいとは思っていたが、全身が緋色でないとは。


「……おい。お前、ロッソの生まれじゃないのか」


 その言葉に、王女の動きも止まる。言い返したいのだろうが、言葉が出てこないようだ。先ほどまでの勢いはどこへやら、体が小刻みに震えている。


「この国の王族は代々燃えるような赤髪だ。お前は、誰だ。王女じゃないのか」


 その言葉に、彼女は更に顔をこわばらせる。その顔は深く傷付いた顔だった。

 もう、何度も、何人からも、同様の言葉を浴びせられてきたのだろう。言われる度に心を深くえぐる言葉。燃える炎に象徴される現女王の実の娘が氷色、彼女は本当に女王の娘なのだろうかと、常に心ない陰口をたたかれ続けたに違いない。


「その反応は、実の娘のようだな」

「えっ?」


 そのガルーの言葉が意外だったらしく、王女は目を見開いた。


「もらわれ子なら、そんな悲しそうな反応をするものか。偽りの身分がばれないようにと、とりつくろうだろう。

 だが、実の娘なら問題ない。俺は任務を続けられる」


 ガルーは精霊を呼び出す呪文を唱える。

 歌うようなその言葉に呼応し、炎の妖精クラテールの化身が姿を現す。クラテールは旋律に合わせて踊るように身をくねらせると、ナイフに炎をまとわせる。


「死ね!」


 その短い言葉で、王女は我に返ったようだ。切っ先をかろうじて避けるも、炎がドレスに広がり、燃える。


「くっ!」


 炎に包まれれば焼け死ぬ。もうなりふり構っていられないと判断したのか、王女はドレスの裾ををかなぐり捨てた。

 そして、ガーターベルトに隠されていた短剣を抜く。


 豪奢なドレスがなくなった分、動きが早くなっている。

 女性にしては強い力が、ガルーを追い込んでゆく。


(強い!)


 思ったよりも相手に武術の心得があったようだ。

 ガルーも素早く動ける方だと思っていたが、相手はその動きの先を読む。

 二人の動きはまるで、舞踏家のダンスのようだった。


「どうした、魔法で応戦しないのか? ロッソの王族が持つ魔力とはそんなものか」


 ガルーは内心焦っていた。


「うるさい!」


 コルセットの胸元を押さえながら、王女は短く吐き捨てた。挑発にも乗ってこない。

 ただ、王女は避け続けるだけ。

 だが、絶妙に間合いを詰めてくる。


「これで最後だ!」


 振りかざした炎は、確実に王女の身体に食い込んでいる――ように、見えた。彼女はガルーの手を受け止めるように、その手をかざした。刹那。

 激しい光が、あたりを包み込む。


(エクレール、か?!)


 強い閃光に、一瞬で加護精霊が力を失ったのがわかった。

 これはエクレールのもたらす光ではない。受けたことのない力だった。


 精霊の気配がない。続けざまに、ガルー自身の魔力が保てなくなってゆく。


(しまった、変身が!)


 黒髪の少年の姿が、陽炎のように揺らめき、その形を失ってゆく。本来の姿である、小さな、黒い狼へと戻る。

 その瞬間を狙って、王女はバングルを取り出し、結界を張る。


「やっぱり、『セリアンスロウプ』だったか」


 不思議な力が働いた。ガルーの魔力が封じられたようだ。セリアンスロウプも、加護精霊の魔法も、何も使えない。

 王女という人間が『与えられた職』を持っていても何の不思議でもなかったが、よりにもよってサモナーだったとは。ガルーは身動き一つとれずに娘の顔を見上げるしかなかった。


 が、ドレスとは言いがたいボロ布をまとったその姿を見て驚いた。


 胸が、ない。

 いや、小さな胸の娘ならどこにでもいそうだが、王女の体つきは、女のそれではなかった。


「お前……男なのか?!」

「バレちゃったら仕方ないね。俺は正真正銘、女王の嫡子だけど……女じゃない」

「女王の家系は女系の筈じゃ……」

「突然変異だかなんだか知らないけど。いい迷惑だ」

「それで女装を……」

「うまく気を逸らして逃げようとしてるね? けど、逃がさないよ」


 バレている。ガルーは舌打ちしたい気分だった。勿論、狼特有の口の作りでは無理だったが。


「王女が男だなんて、隣国からしてみればいいスキャンダルだからな。国内が混乱すれば、そこに付け入られるかもしれない。お前を逃がすわけにはいかない」


 緋色の国ロッソと、その周辺国は、かろうじて小康状態を保っている状況だった。炎のクラテールの加護を受けている緋色の国ロッソは女王統治だが、魔法が強く過去の戦争では負けたことはない。だが、その魔法国を手に入れられれば、まず近隣国の均衡は崩れるだろう。

 特にガルーは闇に生きる暗殺者を生業としている。情報がどこに渡るか危惧されても仕方ない。


「殺す気か」


 ガルーは観念する。


「まさか。無益な殺生は俺の信念から外れる」

「……………………」


 ここにきてそんな甘いことを言うとは思わなかったが。温室育ちならそれも仕方ないのかもしれない。


「俺が監視する。どうせ、お前は俺を殺せなかったから元居た組織にも戻れないだろうし、それに――」


 ガルーは頭をぽんと撫でられる。まさかそうされると思ってもみなかったガルーはぴくりと身を震わせる。


「セリアンスロウプであると知られることは、君にとっても歓迎されるべきことじゃないだろうね」


 頭から背中にかけて、大きな手が毛並みを滑らかす。そのゾクゾクする感覚とは別に、言葉では脅しをかけてくる。ガルーは観念したように目を閉じる。


 この男の言う通りだった。


 ガルーが『セリアンスロウプ』の能力を隠すのはなにも隠密活動のためだけではなかった。『セリアンスロウプ』は人ではない。サーヴァントとは、サモナーに召還され、使役されるためだけの存在であり、人とは見なされない。人権がないのだ。


 人として紛れて生きられるのは人型に変形する能力を持つセリアンスロウプのみ。それも、能力を隠さなければ迫害される。ガルーも、ギルドに雇われる前は路上暮らしだったし、ギルドに雇われた今でも能力のことは隠し続けている。


「悪い条件じゃないと思うな。互いに黙っていれば生きていられるわけだし」

「……お前に従う」

「いい子だね」


 にっこり微笑んで毛を梳いてくる男。ガルーはただされるがままだった。

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