第2話

 翌日。まだ日が昇らないうちに、ガルーは緋色の国ロッソ城の城門前へとやってきた。


 今、城では、女王の病気を治すために、国内外から多くのプリースト、ドクター、フォーチュンテラーたちが出入りしていた。彼らのうちの誰かが絶え間なく出入りをするせいで、城門は常にごった返していた。入城審査に時間がかかっているらしい、朝早い時間だというのに詰め所には列ができていた。


「女王の病気は……もうだめかもしれないな」

「噂によると、腫瘍があちこちに転移しているとか」

「腫瘍の権威が蒼き国アッズーロからやってきたらしいが、うまくいかなかったようだ」

「海の精霊メールと、炎の精霊クラテールは相性が悪いからな」

「光のエクレールの加護があれば、もしくはうまくいくかもしれないが……」


 手際の悪い入城手続きに文句を言っているのはもっぱら自国緋色の国ロッソの人間のようで(赤毛であるのですぐにわかった)、並んでいる他国の人間は所詮対岸の火事、持て余している時間を噂話で埋めていた。

 ガルーは茂みに身を潜め、彼らの話をしばらく聞いていた。王女に関する情報も、もしかすれば聞けるかもしれない。


「今日の診察はいつからだ」

「九の刻、十一の刻、それから十四の刻だ。十一の刻には王女もお見えだ」

「王女は気丈に振る舞ってらっしゃるな」

「ああ、実の母が危篤とあっては心配だろうに、その様子を微塵も感じさせない」


 城門つきの兵士とプリースト風の男の会話を聞くと、ガルーは茂みから離れた。フェニーチェ王女は十一の刻に、必ず自室を離れるだろう。その隙に自室に潜入できれば、あとは殺すだけだ。

 ロッソ城は人三人程の高さの城壁に囲まれているが、この時間はまだ朝早く、城門前以外には誰もいなかった。


 ガルーは木陰に隠れ、腰に下げているポシェットに着ている服を脱ぎ乱暴につっこむと、身体の力を抜く。すると、その姿はみるみるうちに黒い毛並みの狼へと変わった。


 人々には生まれながらして天から与えられた「天職」があり、それを生業とする。それは『与えられた職』と呼ばれ、先ほど城門にいた『プリースト』なら神に仕え祈り、人々を癒すことが使命。『ウォーリア』なら剣を握り、冒険者として人々を助けるか、城門にいた兵士のように兵役に就く。

 ガルーの場合は『セリアンスロウプ』。獣、もしくは人型に変身可能な獣人のことである。ガルーは人型に変身可能な狼である。


 身軽な狼なら、城壁に飛び乗るくらいは可能である。また、ガルーは一般的な狼に比べやや体が小さい。まじまじと見なければ黒犬と間違うくらいだ。

 ガルーはポシェットを首から下げると、勢いをつけ、木を伝い城壁に飛び乗った。そして、すぐに内側に飛び降りる。幸い、見回りの兵士などはいなかった。


「潜入成功、っと」


 ガルーの潜入作戦の成功率が高いのは、セリアンスロウプの能力を持つが故である。人として潜入が難しくとも犬が入れるスペースがあれば潜入できるケースもある。

 だが、セリアンスロウプであることは秘密にしなければならない。もし、誰かにガルーの本当の姿を知られたなら――


「北側の菜園の様子はどう?」


 ふいに、狼の耳がかすかな女性の声をとらえ、ガルーはさらに茂みに身を隠す。人の耳では聞き取れないくらいの足音。一人ではない。こちらへ近付いてくるようだ。


「まあまあだな。もう少しすればトマトが収穫できる」

「東はそろそろイチゴが終わるわね」


 歩いているのは、庭師のようだった。男女ともに小柄だが、大きな農具を軽々と持って、おしゃべりをしながら歩いている。女の方は赤毛だが、男の方は銀色のような不思議な色の髪で、ガルーは珍しいと思う。


「今日は?」

「十一の刻に予定があるけど、終わったらすぐ北の菜園に行くよ」

「サモナーの訓練?」


 その言葉に、ガルーの息が止まる。


(サモナー!?)


 潜入作戦で無敵のガルーでも、気をつけるべき相手がいる。

 それは『サモナー』――召還師だ。


 サモナーが召還するのはセリアンスロウプであり、使役するためだけに呼び出すセリアンスロウプを制御する魔法を、彼らはいくつも知っている。

 普段サモナーが使役するのは『契約』をし『サモンサーヴァント』の呪文を使って呼び出したセリアンスロウプだが、契約外のセリアンスロウプにも有効な制御魔法(例えば『臨時契約』などだ。ガルーも何度も苦渋を味わった)を使われれば、いくら修行を積んだ人型獣人でも抵抗する術がない。


「今日は違うよ。でも、昼前までには戻れるから作業するつもり」

「そう。じゃあ、昼ごはんは一緒できるわね。チーズができたから、持っていくわ」

「ありがとう。待ってる」


 声が遠ざかるのを待って、ガルーは人型に戻る。


 ポシェットから服を取り出し素早く着替えると、サモナーの男ではなく、女の方の後を尾行する。狼の耳の構造と人間の耳の構造は違うらしく、狼の時ほどではないが、常人よりは耳も鼻も利く。少し離れた距離から観察すると、道具を片づけた後、城への勝手口のような場所から中へと入っていく。音を立てないように走ると、ガルーは彼女に続いて城へと入った。


 あたりをつけたのはどうやら正解だったようだ。


 彼女は使用人の部屋らしき場所へと戻り、朝食のお弁当を広げ始めた。彼女以外にも何人かが着替えたり、仕事の準備をしている。

 ガルーは音を立てないように中へ入ると、男性使用人のクロゼットから使用人のような服を選び出し、着替える。


「ペトラ」

「あ、はい? なんでしょうか、メイド長」


 先ほどの女性が呼ばれたようだ。お弁当を慌てて片付ける音が聞こえる。ガルーは棚と棚の間に身を潜める。


「悪いけど、朝にメイドの方の仕事に入ってもらえないかしら? ミーナの体調が良くないの」

「わかりました。十の刻までなら大丈夫です。それ以降は親方がいらっしゃるので、庭に戻らないと」

「構わないわ。ミーナの分担は女王様の部屋の掃除だけだから。九の刻までには終わるわよ」

「わかりました。すぐに行きます」

「悪いわね」


 ペトラは急いでつなぎの作業着からエプロンドレスに着替える。ぼさぼさだった長く赤い髪を櫛でとかし一つにまとめると、籠を抱えて慌てて出ていった。

 ガルーも見つからないように、部屋を後にした。

 一気に王族の部屋へ行けるチャンスである。これなら十一の刻に十分間に合いそうだ。角をいくつも曲がり、メイドのペトラはとある一つの部屋に入った。


「ペトラ、遅い〜」

「ごめんね、さっき話を聞いたもんだから」

「でも助かるー。いつもありがとね」

「ううん、いいのよ。空き時間だったし。困ったときはお互い様ってね」


 部屋の中には既に何人かメイドがいるようだ。女王の部屋には用事はない、ガルーは別の部屋を一つ一つ探索し王女の部屋を探すことにした。むやみに動き回りたくはないが、事前に情報がないので仕方ない。

 いくつか入ってみたものの、他の部屋は使われていないようだ。寝具などは整えられているようではあるが、普段使いの形跡や匂いがない。どうやら客間のようである。


(クソっ、部屋が多すぎる)


 持っていた懐中時計をみると、そろそろ十一の刻であった。このまま部屋を闇雲に探すのでは埒があかない。女王の部屋に来た王女を尾行し、人気のないところで暗殺するプランへと変更するより他なかった。


 ガルーは先ほどメイドがいた女王の部屋付近へ戻った。


 メイドたちは既に掃除を終え、病床へ謁見するためプリーストやドクターたちが集まってきていた。

 さすがに城門のような騒ぎはなく、皆一面にお気の毒だと言わんばかりに畏まっていた。王女は来るだろうか。ガルーは身を潜めて成り行きを見守る。

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