第24話 笑顔

 羽切君が言っていた、“見てはいけないモノ”って、何だったのかな…?

お昼休憩が終わり、私――――――八倉巻やぐらまき 奈緒美なおみは、そんな事を考えていた。

因みに、今日の現場においての私の役割は、総合案内所インフォメーションでの雑務だ。

案内所の窓口をしているスタッフは、ガゴドムス以外。もしくは、運営側のスタッフが担当しているため、私達はその手伝いという事を指す。また、今回の楽器総合イベントは、老若男女いろんな世代の人達が来場しているため、一見すると暇そうな総合案内所インフォメーションも、割とせわしなく皆が働いていたのである。

 あ…パンフレットの冊子がなくなっている…!

窓口のすぐ近くに積み上げていた、A5サイズのパンフレットがなくなっている事に気が付く。

このイベントのパンフレットは入場口及び展示ホールの入口にもたくさん積み上げてあるが、総合案内という業務の関係で、この場に置いてあるパンフレットを持っていく来場者も多いのだ。

「あ…。じゃあ、君。パンフレットを取ってくるついでに、事務局へ寄ってこの人を呼び出してもらうように伝えてもらってもいいかな?」

「わかりました…!」

私の視線で何かに気が付いた運営側むこうのスタッフは、私に一つの指示をして、同時に1枚のメモ紙を渡してくれた。

そこには、とある企業名とその人物の名前が記されていたのである。


「さて…と!」

その後、A5サイズのパンフレットが山積みになっている場所にたどり着いた私は、そこから必要な分だけのパンフレットを両手に持ち上げる。

サイズが小さいだけあって、持ち上げた時もそこまで重く感じる事はなかった。

 あとは、事務局に行かなくては…

そう思い立った私は、すぐにその場所から離れる。

 思えば、「STAFF」の腕章がなければ、パンフレットをごっそりパクっているように見られちゃいそう…

私は、事務局へ向かって足を進めている途中に、そんな事を考えていた。

その後、事務局へ寄って用事を終わり、総合案内所インフォメーションに戻ろうと踵を返そうとした時だった。

「ママー…」

「え…?」

突然、自分より少し低い位置から声が響いてくる。

視線を下に向けると、そこには5歳くらいの幼い女の子が立っていたのである。

「ママー…何処―…?」

今にも泣き出しそうな表情かおをしたその女の子はおそらく、親とはぐれてしまい、迷子になったのだろう。

しかし、周囲で行き交う大人はたくさんいるにも関わらず、誰も見て見ぬふりを決め込んでいたのである。または、「誰かがどうにかしてくれるだろう」という他人任せな思考によって、見て見ぬふりを決めこんでいるのかもしれない。

 見つけてしまった以上は、やらなくては駄目…かもね

そう思った私は、右腕でパンフレットを抱えながら、その場にしゃがみこむ。

「もしかして、ママとはぐれたの?」

私は、少しでもこの女の子が安心できるように、柔らかめな口調で声をかける。

すると、涙目になっていた少女は、私の顔を見るなり、首を縦にして頷く。

「じゃあ、お姉ちゃんが一緒にママを探してあげるよ!」

「本当?」

私がそう告げると、少女の表情が少し明るくなったようにも見えた。

「うん、本当だよ」

そこから更に、私は微笑みを浮かべながら、そう述べる。

「ありがとー!」

「じゃあ、お姉さんの仕事場にこれを置いてこなくてはいけないから、その後に探してみようか!」

「うん!」

私が述べる一言によって、少女に笑顔が戻ってくる。

その表情を見た時、私はとても嬉しい…というよりは、高揚しているような気分を味わっていた。

 もしかしたら、今まで…心からの笑みを見ていなかったからかもしれないな…

私は、少女の手を繋いだ際に、不意に思った。

実家暮らしの私は、立場的には”金持ちのお嬢様“である。そのため、幼い頃から多くの大人に囲まれて育った経験もあったが、どれも作り物の笑顔しか見た事がなかったのだ。また、それは大人だけではなく、同世代も同じ―――――――小学校及び中学校は、大学に併設された付属の学校に通っていたため、自分に近づいてくる同世代の子のほとんどが、”金持ちのお嬢様“という肩書でしか、私を見てくれないという過去がある。

そのため、見ず知らずの子供とはいえ、自分に対してこれだけの笑顔を見せてくれた事により、どこか救われたような気もしていたのである。

「そういえば、お名前は?」

「??」

ゆっくり歩き出した時、私は女の子に対し、名前を尋ねる。

しかし、すぐには意味がわからなかったみたいなので、私は女の子の目を見て口を開く。

「お姉ちゃんは、八倉巻やぐらまき 奈緒美なおみっていうの。貴女は、なにちゃん…?」

「しおみ・あやかー!」

「あやかちゃんね!そっかー…」

私は“可愛らしい名前だね”と言おうと思ったが、漢字でどのようにして書くかわからないため、そこから先は訊かなかったのである。


「朱加!!?」

「ママー!!」

パンフレットを持ちながら総合案内所へ到着すると、そこには40代くらいの女性が立っていたのである。

どうやら、案内所のスタッフと何か話していたようだ。また、女の子はすぐに、その女性の方へと駆け出していくのであった。

 ということは、この人が彼女のお母さん…

そう思いながら視線を上げると、そこには茶髪ではあるが、割と普通の格好をした40代くらいの女性が立っていたのである。

「もしかして、その子…貴女が見つけてきたの?」

「はい…!もしかしてでもないですが、この方って…」

私の姿を確認した運営側むこうのスタッフが、声をかけてくる。

一見したところ、このスタッフが、母親の対応をしていたのだろう。

「あの…」

気が付くと、朱加ちゃんの母親が、私の前に立っていた。

「娘を見つけて戴き、ありがとうございました」

「いえ…頭を上げてください…!」

娘の手を握りながら、母親である女性は、私に対して深くお辞儀をする。

それを目の当たりにした私は、すぐに頭を上げるよう促す。

 会釈される機会ことは多かったけど、ここまで深くお辞儀してくれる人は、初めて見たかもな…

私は、困惑しつつも、内心では少し新鮮な気持ちになっていた。

「では、汐見しおみさん。こちらのお嬢さんで、お間違いないでしょうか?」

「はい…。お世話様でした」

運営側むこうのスタッフが母親に声をかけると、汐見しおみという女性は、そのスタッフに向けて会釈をする。

「お姉ちゃん、またねー!」

「えぇ…!」

母親と子供が国際展示場の出入り口方向へ向かう際、娘の朱加あやかちゃんが、私に対して手を振ってくれたのである。

そんな朱加あやかちゃん達親子を、私は見送っていた。

あれから運営側のスタッフの話だと、展示ブースにある管楽器を見る事に夢中になっていた母親は、娘が離れた場所にあるブースの楽器に気を取られて歩き出してしまっていたのを、気が付いていなかったらしい。

そして、迷子を預かっている場所が会場内の何処にあるのかを、展示ホールから最も近い総合案内所ここで確認するつもりで訪れていたらしい。

 何かに夢中になって、他が目に入らなくなるのは私もあるけど…。私は、自分の子供を放置してしまう事はしないよう、母親になったら気を付けなくては…!

今日出逢った親子を見て、私はそんな事を考えていたのである。



その後、色々と忙しくなる事はあったものの、無事にイベントの終了時間である18時を迎える事となる。

ここ半年で、ガゴドムスの現場はたくさん入ってきたけど…やりがいと達成感を最も強く感じる事ができたのは、この日の現場だったのかもしれないな…

業務終了後、電車に乗って帰宅する際に、私はそんな事を考えていたのであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る