第23話 見守りと目撃

「●●が出演するステージ、楽しみだよなぁ…!」

「今日、あのメーカーの最新の楽器ものが試奏できるんでしょー?早くやりたい!!」

俺の周囲には、色んな話をする来場客で溢れている。

開場である10時を過ぎ、東京国際展示場の西ホールエリアには、子供から大人まで幅広い世代の人々が訪れていた。

『階段をご利用の方は、右側通行をお願いいたします』

一方で俺は、展示ホールへ続く階段において、今のようなアナウンスをしていた。

多くの人で賑わい、いろんな方向へ行く人達の衝突を避けるためのアナウンスである。それを耳にした人は、ちゃんと右側を寄る人。反対側を歩こうとする子供を制止して、連れ戻す母親。アナウンスを聞こえている人もいれば、聞こえていなそうな人も少なくはない。

「早く行こうぜ…!!」

階段の隣にあるエスカレーターでは、今のような台詞ことばを言いながら、エスカレーターを駆け下りたりする学生の姿もある。

今にも誰かと衝突し、怪我をするのではないかと、俺は気が気でなかった。

「あの…」

「あ…はい…!」

声をかけられたので振り返ると、そこにはベビーカーに1歳児くらいの子を連れた母親がいた。

「あの、入場券は何処で購入できますか?」

「はい。この場所を真っ直ぐ行っていただけると、右手側に総合案内所があります。その右隣の方でチケットをお買い求めください」

「わかりました!ありがとうございます…!」

俺の説明を聞いた一児の母親は、軽く会釈をした後に、ベビーカーを引きながら、ホールの方へ歩いていく。

 ベビーカー引きながらの入場は駄目って言いそびれたけど…当日券をこれから買うつもりをしているのなら、大丈夫だよな…

今の家族を見送った後、俺はベビーカーの事を思い出していた。

イベント自体の事を知らない人は当日券の売り場であったり、車椅子がレンタル可能か等の問い合わせも、東京国際展示場ここだと尋ねられる事が多い。そのため、俺らガゴドムスに限らず、ほとんどのスタッフが必要最低限の事を覚えているはずだと思われる。

ただし、どんな内容でも答えられる訳ではない。

「ホール内にある、“グリーンステージ”の方へ行きたいのだけど…どうすればいいのかしらね?」

「え…?それは…」

気が付くと、70代くらいの中年女性が、ガゴドムスの男性アルバイターに場所を確認していた。

お手洗いの場所や入場券を販売している場所なら兎も角、ホールの出展に関する事で答えられずはずもない。男性アルバイターが困惑して固まっている姿を、俺は垣間見る。

「おばあちゃん、グリーンステージの方へ行かれるんですか?」

すると、男性アルバイターの近くに国房くにふささんが現れ、会話に入ってくる。

「そうなのよ。会社の仕事関係で来ている息子とその付近で落ち合う予定なのだけれど、人が多い上に、地図を見てもよくわからなくてねぇ…」

国房さんの存在に気が付いた中年女性は、ゆっくりとした口調で述べる。

「おばあちゃん。“グリーンステージ”は、このプレスルームの隣にある出入り口から入れば、すぐ近くにありますよ。でももし、そこまで歩いていくのが厳しいようであれば、総合案内所か事務局へ行けば呼び出してもらえるかもしれないけど…どうですか?」

すると国房さんも、中年女性に合わせてゆっくりの口調で提案を持ちかけていた。

同時に、中年女性が持っている紙の地図を指差しながら、説明していたのである。

「では、総合案内所へ行ってみる事にしますね」

彼女がゆっくりと大きな声で話していた事でその中年女性も納得したらしく、穏やかな笑みを浮かべながら、国房さんに告げる。

そうして、スタッフ二人に背を向けて、中年女性はその場を後にするのであった。

 国房さん、流石だな…!

一部始終を遠くから見ていた俺は、彼女の対応ぶりに感心していたのである。


そして、開場時間の10時から時間が経過し、11時40分になった頃だった。

「君…お昼休憩は、前半と後半のどっちに行く人だっけ?」

国房さんが近くに寄ってきたかと思うと、俺に尋ねてきた。

「あ…はい。俺は、先に行く方っすね!」

「じゃあさ、中並さんが控え室の鍵を持っているはずだから、彼から鍵を預かってきてくれないかしらね?」

「え…因みに、国房さんは…?」

彼女の頼みに驚きつつも、俺は問い返す。

「私は、後半の方!確か中並さんは、アコースティックギターがあるエリアで運営側むこうのスタッフと話しているはずだから…頼んでもいい?」

「あ…はい。わかりました!」

彼女が俺に頼んだ理由を理解したため、その役目を受けることにしたのである。

というのも、先程中年女性に声をかけられていたガゴドムスの男子アルバイターは、俺も全く見たことのない奴だ。もしかしたら、ガゴドムスに登録して間もない可能性もある。そのため、彼女は自分が顔を覚えられるくらいガゴドムスに在籍しているアルバイターなら、中並さんもすぐに探し出せると踏んだのだろう。

 どういう形であれ、もしかしたら八倉巻も前半にお昼休みを取る方だし…急がなくては…!

そう思い立った俺は、すぐに展示ホール内へと足を踏み入れていく。

因みに、今日は上下共に黒いスーツだが、「STAFF」の腕章を右腕にはめている。それをはめていれば、チケットを持っていなくても展示ホール内を自由に出入りできるのだ。しかし、この楽器総合イベントでは有料のステージや催しも行われているため、そういった有料エリアには、「STAFF」の腕章のみでは流石に入れない事になっているのだ。

 にしても、色々なギターがあるんだなぁ…!

中並さんを探して歩き回っている間、俺はその凄さに対して内心で感激していた。

多くのギターが展示されている中、ブースによっては、1台のアコースティックギターを持って試奏している来場者もいる。

 そういえば、富士原が昔、ギターやっていたんだっけ…

俺は、周囲を見渡しながら、不意に富士原ふじはら 成俊なるとしの事を考えていた時であった。

「あれ…?」

すると、不意に向けた視線の先に、見覚えのある横顔が飛び込んでくる。

黒髪で細身なのでどこにでもいそうな気はするが、どこか綺麗な顔立ちをした青年と、ショートパンツを履きこなしている黒髪の女性――――――なんと、富士原と新玉がいたのだ。

富士原は穏やかそうな笑みを浮かべながらギターを見る一方、新玉はそんな彼に何か話しかけている雰囲気であった。しかも、二人の手はまさに、”恋人つなぎ“で手を繋いでいたのを、俺は目撃してしまう。

「ふ…!!」

俺は、声を張り上げそうだった自分の口を、すぐに手で塞ぐ。

“噂をすれば何とやら”といった言葉があるとはいえ、考えていた当の本人が同じアルバイト先の女子と会っている所を見かければ、誰だって驚くだろう。ただし、今日は現場に入っていない二人と違い、自分はまだ仕事中だ。気安く声をかけるものでもないし、ましてや、あっちはプライベートで来ているだろうから余計に話しかける訳にはいかない。

俺はギターを眺めている彼らに気が付かれないように、敢えて普通の速度で歩いて通り過ぎる事にしたのである。

そうして俺は中並さんを発見し、お昼休憩へ入るために、控室の鍵を借りることができたのである。



「えっ…富士原君と、ののかちゃんが…!?」

お昼休憩中、話を聞いた八倉巻が驚いていた。

「…あぁ。富士原あいつが昔ギターやっていたよなってのは覚えていたんだが、まさかこの楽器総合イベントに来ていたとは…」

「じゃあ、富士原君…。もしかして、楽器を買いに来たのかな?」

俺が語る一方で、八倉巻は思った事を口にしていた。

「多分、それは流石にないだろう。あいつは確か、家の事情でアルバイトを複数こなしている訳だ。いくらお金がたまっていても、楽器を練習する暇もないだろうし…」

「そうなると、出展者に知り合いがいる…とか、そんな事かな?」

「さぁな。ひとまず、”見てはいけないモノ”を見てしまった気分だぜ…」

そう語りながら、俺はコンビニで買って来たお弁当を頬張っていた。

「“見てはいけないモノ”…?」

俺の台詞ことばを聞いた八倉巻は、その真意について考えていた。

 もしかして、今言った事が何を意味するのか…解っていないのか?

真面目に考えている彼女を見た俺は、不意にそんな考えが浮かんだのである。


「あら…?」

そうして食べ続けた後、八倉巻が何かに気が付いた野か、控室の入口の方に視線を向ける。

「八倉巻…どうした?」

扉を見つめている彼女を目にした俺は、何があったのかを尋ねる。

「さっき、女子のアルバイターがお手洗いで出ていった時…控室へやの外から、複数の楽器の音が聞こえたなぁと思って…」

「楽器の音…」

彼女の台詞ことばを聞いた俺は、その場で考え込む。

「なぁ、ちょっとだけ外へ行ってみないか?」

「え…?うん、いいよ!」

俺が控室の外へ行く事を提案すると、八倉巻は最初こそ瞬きを数回していたが、すぐに了承してくれたのである。

そうして昼ご飯を食べ終わった俺達は、控室から外へ出て、フロアの手すりから1階の方を覗いてみる事にした。

因みに、俺達ガゴドムスの控室はこの東京国際展示場ビックサイト・西エリアの中2階にあり、開場後だとスタッフや関係者以外は立ち入り禁止区域となっている。その関係もあり、少し離れた場所の手すりでは、スーツを身に着け関係者のカードを首からぶら下げていた男女が、1階を眺めていたのである。

「あ…音の正体って、あれだったのね…!」

「成程…もしかして、これから始まるのかな?」

下を見下ろした際、八倉巻がある方向を指さす。

それによって、俺も先程彼女が聞いた“楽器の音”の正体に気が付いたのである。俺達の視界に入ってきたのは、200人近くいると思われる、色々な楽器を持った老若男女だった。ただし、“高齢者”といえるほどの人はおらず、子供から大人までの世代の人達が、音出しをしていた。

「この様子だと、これから大合奏でも行うのかな…?」

「そうだな…って、あ!誰か出てきたぜ…!」

八倉巻が不意に呟くと、別の人物を見つけた俺が、今度はロビーの中央にあるステージ上を指さす。

その後、指揮者と共に、ゲストでもある著名人が出現し、挨拶をしていた。

どうやら、その著名人は学生時代に吹奏楽部に所属していた関係で、この演奏イベントに呼ばれたらしい。

 昼休憩が終わるまで、あと15分…。1曲だけなら、聞いて行ってもいいかな…

そう思った俺は、八倉巻の方に向き直してから口を開く。

「なぁ…。せっかくだから、1曲だけ聴いてから戻らねぇ…?」

「え…」

俺が提案を持ちかけると、彼女は豆鉄砲を食らったような表情かおをしていた。

また、少しばかりか頬が赤くなっているのが見える。

「あ…えと。嫌なら、俺はこのまま戻るけど…」

予想外の反応をされたため、俺は少し困惑しながら補足をする。

八倉巻は口元に指をあててその場で考えるが、割とすぐに答えを出してくれたのだ。

「うん…そうだね。折角だし、1曲だけ聴いて行こう…!」

そう告げる彼女の表情は、とても柔らかい笑みを浮かべていた。

また、頬を赤らめながら今の台詞ことばを述べていたため、俺は、そんな彼女がとても愛らしいとさえ思ってしまう。

 って、俺は一体、何考えているんだ…!?

指揮者の合図に合わせて演奏者が音を鳴らし始めた直後、俺は我に返る。

当の本人は、演奏が始まってすぐに、合奏参加者に釘付けとなっていた。

 まぁ、ほんの短い間だけど…いい雰囲気になれてよかったな…

俺は、そんな事を考えながら、合奏によって響いてくる音色に耳を澄ます。

自分は音楽をやっていないので、楽器についてはよくわからない。しかし、音は人が生み出すものなのは流石に理解していたため、素人の俺でも、ここで耳にした演奏はとても綺麗に感じられたのである。

 …卒業するまでに、ちゃんと伝えなくてはな…

俺は、演奏に聞き入っている八倉巻を横目で見つめながら、ある決心をしていた。

こうして短い時間ではあるが、二人っきりの時間を過ごした後に、俺達は午後の業務へと入る事になるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る