第7件 客層の幅が広い、楽器総合イベント

第22話 気持ち爽やかで入る現場

「私と羽切君が、二人で入った現場って…あったっけ?」

話を続けているさ中、八倉巻が俺に尋ねてくる。

「うーん…」

俺は、腕を組みながらその場で考える。

俺や八倉巻は、富士原と新玉が二人で入った現場の話を聞き終え、次の話題へ移行しようとしていた。そんな矢先の事である。

「…あるじゃねぇか、国際展示場の…」

「あ…!」

すぐに出てこないのを見かねたのか、富士原が何かを言いかけた事で、俺はようやく思い出す。

 そうか、あの現場は確か…

思い出した俺は、八倉巻の方に視線を向ける。

「八倉巻!あれは確か、楽器関係のイベントだったはずだな!」

「そっか…!!」

俺の台詞ことばを聞いた八倉巻は、すぐにそのイベントの事を思い出したような口ぶりだった。

「あれ?…富士原君、どうしたのー?」

すると、富士原の様子がおかしい事に気が付いた新玉が、本人に声をかける。

居酒屋の薄暗い照明のおかげで一見するとわかりにくいが、富士原の頬が少しだけ赤くなっていた。

「そうか…。新玉おまえは、忘れているんだろうな…」

低い声で呟いた富士原は、そっぽを向いてしまう。

 ふ、二人に何があったか知らないが…

黙り込んでしまった彼らを見た俺は、何とか次の話を切り出そうと思い始める。

「あの現場も結構印象深かったしな…。最後に、ここでの話をしたらお店を出るか…!」

「そうだね!」

俺の台詞ことばに同意した八倉巻は、同時に腕時計の時間も確認していた。

そうして、俺と八倉巻がガゴドムスでのアルバイトにて唯一、二人で入った現場の話をする事となる。



それは、11月上旬の土曜日。周囲が秋の雰囲気となり、気候も過ごしやすい状態になった頃の話だった。

「そっか…。内定取れたんだね、おめでとう…!」

「あ、ありがとうな…八倉巻」

自分の事のように嬉しそうな表情かおでお祝いの言葉をかけてくれる八倉巻に対し、俺は少し照れながら答える。

因みに今は、朝の8時過ぎの時間帯である。これから向かう現場が東京国際展示場ビックサイトにつき、最寄り駅の国際展示場駅から会場まで、徒歩で向かっている時の事であった。

ガゴドムスに登録してから半年は経過したが、面接を多く受けては落ちる事もかなり起きて憂鬱にもなったが…ようやく就職活動の方も実を結び、俺が内定を得られた状態だったのだ。

また、大学の方はこれまで最低限の勉強はしてきているため、こちらも卒業はほぼ確定状態となっていたのである。今日の現場は、自身の中にある不安要素が、一通り落ち着いて間もない頃に入った現場しごとである。

「私も…頑張らなくてはな…!」

「おう、頑張れよ…!」

俺と比べ、これから就職活動が始まる彼女は何か決意をしたような口調で呟いていたため、俺は内心で「頑張ってほしい」という思いを伝える。

そうしてお互いに和みながら歩いていくと、会場である東京国際展示場が見えてくるのであった。


「じゃあ、業務説明するぞー!」

アルバイター達にそう告げたのは、ガゴドムスの正社員・中並なかなみさんだった。

彼が今日の現場に来ているという事は、ガゴドムスのメンバーが多く出席している事を指す。

 そして、やっと二人っきりの現場だ…!!

俺は、話を聞いている関係で口は閉じていたが、内心では嬉しくて仕方なかったのである。

というのも、これまでは八倉巻と二人で仕事をしたいと思っても、富士原や新玉のいずれかが一緒に入ることが多かった。しかし、集合時間を過ぎた今の段階で二人のどちらにも会っていないため、今日は二人ともいないのだろう。よって、今日の現場は俺と八倉巻の二人っきりであるという事になる。

 しかも今日は、国房くにふささんもいるし…。何かあっても、これなら安心だな…!

そして、俺の斜め前には——————名アルバイターの国房くにふささんも立っていたため、俺としては嬉しい限りであった。

色々と考える中、今日の現場の説明が入る。

今日行われるイベントは、楽器の販売や実演等がメインとなる、ある意味”音楽イベント“だ。しかし、”販売“や”展示“がメインのため、フェスとは全く異なる音楽イベントなのだ。また、出展する企業も多数存在するため、運営において必要なスタッフの数も多い。主催者側のスタッフは勿論、俺らのいるガゴドムスや、他の派遣会社からもスタッフが派遣されているだろう。

また、来場するお客さんも老若男女と幅広く、障がい者や幼児も入場可能のため、色んな立場の人が多く来場するという。そのため、高齢者や障がい者に遭遇した際は、衝突したりしないよう注意してほしいという通達もあったのである。

「…今日も、よろしくね!」

「あ…はい…!」

説明終了後、俺に声をかけてくれたのは、国房さんだった。

彼女は、名前こそ覚えてないものの、何度か現場で会ったためか、俺の顔だけは認識していたようである。

今回、俺は主に列の整備や口頭の案内を担当する。そこは男性アルバイターの割合が多いが、もちろん女性もいる。国房さんは、その一人だった。

 国際展示場自体は初めてではないが、この西側エリアは初なんだよな…

俺は、内心でそんな事を考えながら、周囲を見渡していた。

というのも、ガゴドムスの現場で1度、某展示会で仕事をした事はある。しかし、前回は同じ展示場内でも東側エリアを中心に行う展示会だったのだ。そのため、同じ敷地内でも構造が全く異なる西側エリアは、完全に初めてだったのである。

「羽切君…!」

「ん…?」

すると、八倉巻から声をかけられる。

「もし可能であれば、お昼一緒に食べようね!」

「お…おう。そうだな!」

八倉巻は俺の耳元でこっそりとそう告げ、俺が返答したのを見届けた後、他のアルバイター達について行ってしまう。

今回、彼女は総合インフォメーション付近での案内らしい。

「おっとっと…」

歩いていくさ中、俺は反対側から歩いてくる人たちにぶつからないよう、端に避ける。

因みに今回、俺達ガゴドムスの控室は中2階にちゃんと宛がわれているが、実はイベントの出展関係者の控室もすぐ近くにあるのだ。そのため、開場前このじかんは特に、関係者に遭遇する事が多いのだった。

そうして列整備をやるアルバイター達は、中2階から展示ホールの1階に降り、自分達の持ち場へと移動していく事になる。

持ち場に到着した際は、各自で数か所にどこで待機するかを決めることになる。また、その際にメガフォンを渡された。

「今日は、結構忙しくなりそうだわー!」

気が付くと、国房さんが楽しみなのかは分からないが、何かうずうずした様子だった。

「国房さん、この楽器関連イベントの現場に、入ったことあるんですか?」

不意に思いついた俺は、彼女にそう問いかける。

普通に声をかけられたので、最初は驚いていたが、国房さんはすぐに答えてくれた。

「スタッフとしては初めてね!ただし、このイベント…。来場者としては何度か来た事あるから、混雑具合はある程度熟知しているのよ!」

「成程…」

国房さんの返答を聞いた俺は、素直に同調していた。

 という事は、彼女は音楽関係の趣味や仕事をしていたりするのかな…?

俺は、話を聞きながらそんな事も考えていた。

このイベントは、単に楽器の製造メーカーが集まるだけのイベントではない。楽器の種類が管楽器・弦楽器・鍵盤楽器と幅広いのは当然だが、他にもヘッドフォンやイヤホンといった、オーディオアクセサリーを製造しているメーカーも多く出展している。また、総合インフォメーションがある場所には、音楽教室の案内も点在している。そのため、来場するお客さんも、単に”楽器が好きな人“や”楽器購入を検討している人“だけではないのだ。

いろんな事を考えている内に、時計の針が9時50分を指していた。

このイベントの開場時間は10時のため、残すところ10分を切った事になる。今いる場所も屋内ではあるため、今現在、どれくらいの人が開場を待ちわびているのかを、スタッフである俺達には全くわからない。しかし、イベントをよく知る国房さんがウズウズするくらいだから、相当の人の出入りが考えられるだろう。因みに俺らが立つ場所は、最寄り駅へ向かう出入り口と西側エリアを繋ぐエスカレーター近辺のため、混雑は必至と思われる。

 何だか、これから就活の面接を受けに行く並の緊張感だよな…

右手にメガフォンを握りしめながら、俺は来場者が来る方向を見つめていた。

 いや、会場の色んな場所も把握しておかねば…!

緊張する一方、この短い待機時間の間だけでもと、業務説明時に配られた会場のフロアガイドを広げる。

待機する場所からして出展企業ブースの詳細な位置までは把握しなくても大丈夫だが、お手洗いやチケット売り場等の最低限の場所は、俺ら列整備のスタッフも把握しなくてはならない。「開場まで待機」と言われたものの、案外その時間はあっという間に過ぎていくのであった。

また、俺が見えない場所にいるスタッフ及び出展企業関係者も、開場5分前頃には、全ての準備が整っていた。そのため、お店の開店を待つスタッフのような状態になっていたと思われる。

そうして、開場である10時を迎えることとなる。

見えない場所から少しずつ人間の声による雑音が響き始め、多くの人が入ってくる事になるのであった。

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