第20話 自分の事しか考えていない客
「こちらで、チケットを拝見しております」
「えっ…何で!?」
物販が始まった後、目の前に現れた女性客にそう告げると、驚いていた。
その時、俺はガラス張りの壁に貼られている注意書きを指さしながら、口を開く。
「こちらの物販は、チケットをお持ちの方しか利用できないんですよ」
「そうですか……わかりました」
少しだけ申し訳なさそうな口調で俺がそう告げると、それを知った女性は、渋々とその場を去っていったのである。
アニメイベントの物販が始まった訳だが、俺はというと、物販の入口でチケットのチェックや案内をする役割を担っていた。というのも、物販列に並んでいる人の中で“イベントチケットがないと物販を利用できない”という事実を知らない人も少なくはないため、スタッフの一員として割り振られていたのである。
この時、時計の針は14:30を差していた。
新川の話だと…転売目的で買いに来る人を撃退するための対策ではないか…とか言っていたな…
俺は、その場で立ち尽くしながら、そんな事を考えていた。
アニメイベントをよく知る新川の話だと、多くのイベントではイベント自体のチケットは持っていなくても、物販に立ち寄ってグッズ購入が可能な場合が多いらしい。しかし、その“チケットを持っていないで物販に来た人”の中には、やはり転売目的で買いに来る人も少なからずいるのだ。この先は彼女の仮説だが、そういった転売防止のために、このイベントの運営側は“チケットなしの人は物販を利用できない”という取り決めをしたのかもしれないらしい。
そのため、今俺と話していた女性客はおそらく、チケットを持たずに物販を訪れた
「こちらで、チケットを拝見しております」
「あ…はい!わかりました!」
俺が同じ
しかし、誰もがこの注意書きに従ってくれるとは限らない。
「えー!?だって、“チケットないと物販利用できない”なんて注意書き、どこにもなかったよー??」
「いえ。公式サイトの方に、注意書きとして追記されていますよ」
このようにして言いがかりをつけている人も時々いるため、その度に、業務説明時に聞かされた注意事項を述べていたのである。
「仕方ない」と思いながらも、シブシブとチケットを見せてくれる人が多数であった。
「お兄さん。今日は、ここで何が行われているの?」
中にはこのようにして、中で何が行われるのかが気になり、ちょうど外側にいたスタッフに聞いてみようと考える人も多くない。
また、イベントの内容について聞いてくる人というのは、多くは40代や50代の中年男性や中年女性であるのだ。
ただ純粋に、どんなイベントが行われているか知りたいだけならいいが…
俺は、対応する傍らでそんな事を考えていたのである。
「そうなの?じゃあさ、お兄さんの力で何とかならない?特別に通してもらってもダメかな??」
中には、今のようにして“チケットがなくても物販列へ入ろうとする”を実行しようとする
「申し訳ありませんが…。チケットをお持ちの方しか、お通しできないんですよ」
俺は、少し穏やかで優しい口調で、
本当なら、「ちゃんと注意書きを見ろ」って怒鳴ってやりたいが、そんな事しでかす訳にもいかねぇからな…
そんな事を考えながら、女性客の返答を待っていた。
「…ケチ」
そう告げた女性客は、不機嫌そうな
何を
吐き捨てるように言われた事に対し、俺は内心では怒鳴ってやりたい気分になる事もあったのだ。
そうして俺は、イベントが始まるまでの時間帯を、その場所で過ごす事になるのであった。
※
「全部で6000円になります」
目の前にいる客に対し、私はそう告げる。
今回は、アニメイベントで行われる物販の売り子の業務を私――――新玉ののかは担当している。そのため、物販開始前は、レジ代わりになる携帯端末の使い方を
いつぞやかに入ったライブスタッフの物販よりは、平和だなー…
私は、客からグッズ代金であるお金を受け取った際、内心ではそんな事を考えていた。
物販で売り子を過去にも経験した事があったが、ライブイベントの物販が多かったため、その際は多忙を極めている事が多かった。しかし、今回はアニメイベント。物販で販売しているグッズの種類もさほど多い訳でもないため、スタッフ側としてはやりやすいに限る。
「10000円からお願いします」
お客からそう告げられても、普通にお釣りを渡す事は可能だ。
また、クレジットカードでの支払いも対応した事があるため、自分の中では特に問題はないだろうと考えていた。
また、客足も次から次へと人が来る訳でもなく、少しだけ連続して来た後は、ある程度時間を置いてからとなる場合が多い。要は、客の来るタイミングがまだらだったのだ。それが、今回は私を含む売り子をやっているアルバイターにとっては、ありがたかったのかもしれない。
富士原君も、頑張っているのかな…?
私は時折、外でチケットの確認や物販の案内をしている彼の背中を見つめながら、そんな事を考える余裕もあったのである。
「パンフレットが完売しました!」
物販が始まってから2時間近くが経過し、
すると、売り子のアルバイター達に、「SOLD OUT」と書かれたシールのような物が回ってくる。
「これを、パンフレットの所に貼ればいいですか?」
「はい、そうです」
私は確認がてらに使い方を尋ねると、運営側のスタッフはすぐに答えてくれた。
そうして完売したグッズの側に「SOLD OUT」のシールを貼って以降、物販に訪れた
「えっ…マジ!?」
「あー…もっと早くに来ればよかったー!!」
売り子の前に来て、初めて売り切れ情報を知る客も、少なくはない。
また、ガラス張りの壁の向うであるホールのロビー側では、壁に寄りかかって携帯電話をいじっている女性客も幾人かいたのである。
そっか…もう開場していたんだ…
その光景を目の当たりにした際、私はそんな事を考えていた。
気が付くと、腕時計の針が16時過ぎだったため、17時開演であるイベント側が人を入れ始めたのである。普段は、イベント内部でのスタッフが多かったが、今回の私の業務は、物販での売り子が割とメインらしい。そのため、チケットもぎりをやっている他のアルバイターを、私は遠目で見つめていたのである。
ただし、開場中も物販は行っているため、まだ休憩時間にはならなそうだ。
「これとこれとー…これもください!」
「はい。合計で5500円になります」
売り子を続けるさ中、とある二人組の女性客を対応していた時の事であった。
女性がお金を出すのを待っていると、不意に二人が持っている鞄が視界に入ってくる。その鞄には、少し独特な色使いではあるが、何かのロゴが入っていた。また、その手提げ袋に対し、私には見覚えがあったのである。
…おいおい。アニメのイベントで、アーティストグッズ持ってきては駄目でしょうよ…
手提げ袋を目にした私は、内心で呆れていた。
というのも、今日のアニメイベントに出演する声優の中で、作品とは別にヴォーカリストとして活動をしている
当然、どのバッグを持って会場に訪れるかは、個人の自由である。ただし、周りの
でも、客に対して直接物を言う訳にもいかないし…
内心では苛立ってはいるものの、それをおくびにも出さず、私は笑顔を浮かべながら、客の手からお金を受け取る。
「返品や交換は一切行っておりませんので、ご了承くださいませ」
最後にそう告げた後、積み重ねた状態のグッズを、その女性客たちに渡す。
彼女達は無言のままそれを受け取り、その場を去っていく。私は、その成り行きを睨み付けるような形相をして見守っていた。
まぁ、席にでもつけば…嫌でも、周りから嫌な視線を浴びまくるでしょうよ
私は、今対応した女性客二人がホールの入口へ向かっていく後ろ姿を見守りながら、内心では「自業自得だ」と考えていたのである。
「あ…富士原君…!」
その後、休憩時間となったため、ホール内にあるロビーの奥の方で富士原君に声をかける。
「あぁ…お疲れ」
私の存在に気が付いた彼は、いつも通りの態度で私に応える。
その後、ペットボトルの水を片手に、私達は休憩をしていた。
「富士原君は、この後は…?」
「俺はこの後、ドアマンをやっている奴と交代だな」
私達は、業務の事を話しながら、休憩時間を過ごす。
ただし、普通に話していたのは最初の方だけで、少し時間が経過した頃には二人共黙り込んでいたんである。
思えば、彼…富士原君とだと、あまり長く話した事ないよなぁー…
私は、ペットボトルの水を飲みながらそんな事を考えていた。
そして、数分間だけ沈黙が続いた後、私は不意に思い出した事を口にしようとする。
「そういえばだけどさ」
話を切り出した途端、私達はほぼ同時に同じ
お互い恥ずかしそうな表情を浮かべながら、下げていた視線を上げる。
「…何だよ」
「あ…うん。あのね…」
かなり低めの声が富士原君の口から響いた時、私は少し慌てながら話そうとしたことを口にする。
それは売り子をやっている最中、イベントと関係ないグッズを持ち込んでいた女性客の話だった。
「確かに、そいつはひどいな…」
「でしょー??他の
話を聞いた彼の表情は、嘘をついている訳でもなく、素直に私の話に対して同調していた。
「それにしても…“恋は盲目”なんて言葉があるが、好きすぎて可笑しな行動に出てしまう奴らの気持ちが、俺には全然わからねぇな」
彼が何気なく口にした
というのも、私も似たような事を考えた事があるからだ。
自分もアニメや漫画が大好きで、グッズを購入する事も少なくない。しかし、周りの事や出演者である声優の事も最低限考えた上で、イベントにグッズを持参するように気を付けてはいるため、私と彼は同じような考え方をしているのだと、この時初めて気が付く。
意外と、自分と似ている部分があるのかもな…
そう思った瞬間、何だか親近感がわいたのである。
「おい。何、ニヤニヤしているんだ…?」
「えー?別にー🎵」
すると、はにかんでいた所で、彼のツッコミが入る。
私は、今考えている事が悟られないように、いたずらっ子のような口調をしつつも、そっぽを向き始めるのである。
「……変な奴」
諦めたのかはわからないが、彼が少しだけ微笑みを見せていた。
いつも辛気臭そうな
そう思ったのと同時に、私は彼も“普通に笑えるんだ”と確信したのである。
こうして、短い休憩時間の中で、私と富士原君は次第に距離を縮めていく。“声優学校”というある意味広い世界にいるような環境に普段いる訳だが、私としてはアニメや漫画の事以外でも語れる友人が増えた気がして、何だか嬉しかったのである。
最初はそのように考えているのは自分だけかと思っていたが、実は彼も似たような事を考えていたのであった。
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