第17話 護摩札渡しの手伝い

「後ろ失礼します!!」

「わっ…!」

午後の作業中、後ろから聞こえた声を聞いて驚く。

振り向くと、俺達と同じ紺色の作務衣さむいを身に着けた女子が、護摩札を片手に早歩きをしていた。そして、上へ上る階段の方へと瞬く間に消えていく。俺は、その10秒満たない瞬間を、ただ茫然としてその場に突っ立っていたのであった。

「あれは多分、御信徒さんの氏名直しで急いでいるんでしょうね」

「姫岡先輩…」

茫然としていた俺に気が付いたのか、姫岡先輩が声をかけてくれた。

彼女は、今の急いでいた女子が向かっていた方角を指さして口を開く。

「あの階段を上った先に、“浄書”という部署があるの。まぁ、読んで字のごとくではないけど、そこの奉仕員ひとはこの時期。新たに申し込んだお護摩は無論の事、氏名や願意(=願い事のこと)の訂正が入った札も、その場で書き直してくれる部署なのよ!」

「じゃあ、今の女子は、早く訂正して御信徒さんに渡さなくてはいけないから、あんなに急いでいるって事っすか…?」

先輩が“浄書”という部署の説明の後に俺が問いかけると、そのまま首を縦に頷いたのである。

因みに、今の俺達は“次”に来るお護摩を待つ待機状態にある。その理由は“間の時間が出てくる”というためだ。

元々、護摩札の申し込みから受け取りの流れとしては、御信徒が受付で護摩札の申し込みと代金の支払いを済ませる。その際に指定された時間が記載された紙を受け取り、その時間に境内にある大本堂へ向かい、お護摩祈願に参拝。参拝を終えた後、大みそかの日に俺達が掃除をしていた護摩札の受け取り場所にて、護摩札が授与される順番となる。そのため俺達差し札では、護摩札のお加持に間に合うよう少し前の時間帯に申し込みが済んでいる分の札に紙の札を差さねばいけない。しかし、俺達が忙しくなるのは、そのお加持が始まる前の時間帯であり、いざお加持が始まれば、次の時間帯までがひと段落できるという事になるのだ。

「次の札が来ましたよ…!」

「あ…。じゃあ、俺達も作業再開ですね…!」

「そうね…!」

すると、次の護摩札が運ばれてきたという報せが入り、俺と先輩はそれぞれ作業場に戻っていくのであった。


そうして来た護摩札に一通りの札を差し、軽く休憩を取っていると――――――――――

「すみません!!誰か、差し札の方で3・4人ほどお手伝いに来てくれませんか??」

大きな足音が響いた後、護摩札渡しをしている奉仕員の女子が現れる。

今の時間帯としては、14時にお加持した札を御信徒に渡す時間帯である。それは、1日の中では(渡す護摩札の数が)かなり多い時間帯でもあった。

「じゃあ、俺行きます!」

「あたしも…!」

すると、すぐに挙手をしたのが、野際と見知らぬ女子だ。

「じゃあ、あたしも…!」

そして、姫岡先輩も手を挙げていた。

 どうしよう…俺も行くべきなのか…?

姫岡先輩のように大学生の身の上ならば、俺も進んで挙手しただろう。しかし、俺はまだ若輩者の位置だし、何より寺社業務の初心者だ。護摩札渡しの連中はそれどころではないかもしれないが、俺のような素人が手伝いをしても良いのか、少し迷っていた。

「羽切…お前も行くだろ?」

「行くのはいいが、俺みたいな初心者が行っても大丈夫なのか?」

不意に野際に尋ねられたので、俺は恐る恐る聞き返してみる事にした。

俺の問いを聞いて野際は目を丸くしていたが、答えはすぐに出たのである。

「別に、渡し口に立てって訳ではないぜ?御信徒の名前から札を探し出したり、護摩札の整理とかあるしな!あとは、氏名や願意の訂正が入れば、護摩札渡しの奉仕員やつの代わりに、札を浄書の所に持っていく事をすればいいわけだしな!」

彼の台詞ことばを聞いた俺は、「成程な」と感心し、自分も挙手したのである。

「では、こちらへ来てください…!」

必要な人数を確保できたと確信した護摩札渡しの奉仕員は、そう述べた後、すぐに背を向けて歩き出すのであった。



 すごい騒がしいな…

護摩札渡しの奉仕員に連れられて訪れたのが、大みそかに掃除をした護摩札の渡し場だった。そして、閉じられた引き戸はしっかりと開けられていて、視線の先には大勢の御信徒が並んでまっている状況だった。

それを目の当たりにした俺は、少し五月蠅く感じていたのである。

「じゃあ、あ行とさ行と…な行をお願いします!貴方は、後ろで札の整理や補助をお願いします…!」

すると、その女子は差し札の面子に手伝ってほしい渡し場の作業を指示する。

「おう!」

「わかりました!」

すると、護摩札渡しの手順を知っている野際と姫岡先輩はすぐに応じ、その場へと急ぎ足で向かって行ったのである。

また、渡し場の奉仕員と棚の間というのはゆとりがあるほど広くはないため、奉仕員ひと護摩札ものにぶつからないようにして、移動する際は気を付けなくてはいけない。

 えっと、これはこうで…

俺は全体を見ながら、間隔が空いている場所を探し出す。

また、苗字の数にはやはり差があるため、ある一定の所に護摩札が集中する事も珍しくない。そのため、棚に置ききれない札は、棚の前に机を置き、そこに札を置いている。しかし、棚にたてかけるように設置をした方が、御信徒側からも見つけやすいため、渡し終えて間隔が空いた場所には、なるべく違う札を置くようにしなくてはいけない。

俺は、その“間隔が空いた場所”に机に並べられていた札を置き、場所によっては間隔を詰めて護摩札を置くようにしている。

そうやって、人に向き合う必要はない作業ではあるものの、差し札並に忙しい時間を俺は過ごしていく事となる。


「そこの君!!」

棚の前にいると、後ろから聞き慣れぬ声が響いてくる。

すると、20代前半くらいの男性が、手招きでこちらへ来るよう促しているのが見えた。そして、その青年の前には、60代くらいの御信徒が渡し口に寄りかかっていた。俺が近くへ行くと、青年は白い紙を俺に見せたのである。

「こちらの“野端のばた 愛望まなみ”さん。“み”が“望む”なんだけど、間違えて“美しい”になっていたから、浄書に持って行って直してもらってもいいかな?」

「あ…はい!わかりました…!」

それを聞いた俺の視界には、手書きで“美”の文字が書かれていた白い紙が写っている。

そして、紙と護摩札を受け取った俺は、人や物にぶつからないように気を付けながら、渡し場から急いで去っていくのであった。

 浄書は…!

俺は、先程見かけた女子が通っていた道をそのまま自分も駆け抜けていた。

急いだ方がいいので走った方が良いかもしれないが、内部は多くの人が歩き回っている。そこでの衝突を避けるため、「廊下は走るな」といった規定も奉仕員の決まり事として知れ渡っているため、俺は早歩きで向かう。

階段を上った先には、全体は和室だが、まるで会社のオフィスのように机やいろんな物が並べてある場所にたどり着く。そこに60~70代の中年男性や中年女性が、座ったまま作業をしている。しかし、一見しただけでは、どれが“浄書”の奉仕員ひとなのかがわからかった俺は、目が泳いでしまう。すると――――――

「お兄さん、護摩札の訂正かな?」

すると、右手で挙手の体勢を取った中年女性が、俺に声をかけてくれたのである。

また、首から胸にかけて身に着けている輪袈裟わげさの所に留められている名札の色が黄色い事から、その中年女性ひとが短期の奉仕員である事に俺は気が付く。

「この方なんですが…。“み”が“美しい”ではなく、“望む”の方に直してほしいらしくて…!」

近くへ向かった俺は、その中年女性に、札と白い紙を見せたのである。

「わかりました。じゃあ、訂正するので、少しお待ちくださいね」

少しのんびりとした口調ではあったが、その中年女性ひとはすぐに了承してくれた。

そうして、御信徒の名前を訂正してもらっている間、俺は正座した状態で書き終わるのを待っていた。

因みに、輪袈裟わげさの所に留められている名札はアルバイトで来ている奉仕員や寺社の職員を示す物として、内部にいるほとんどの人間が身に着けている。俺のように、高校生の奉仕員は青色の紙。大学生や一般の奉仕員は黄色。職員は白い紙に、それぞれの氏名が記入されている。

これは、初日にほとんどの奉仕員が手渡され、輪袈裟わげさを首にかけた後に安全ピンを使って留める事になっている代物だ。実際、この寺社での奉仕員が一番最初にやったアルバイトに当たる俺としては、この”名札をつける感覚“が恥ずかしくもあったが、一方で新鮮に感じていたのである。

「はい、書けましたよ」

そう一言告げた中年女性の奉仕員は、俺に護摩札と俺が持ち込んだ白い紙を手渡してくれた。

「ありがとうございます!」

「あ…そうだ、ちょっと待って…!」

俺はお礼を述べてからすぐに去ろうとすると、今訂正してくれた中年女性ひとに再び声をかけられる。

「この後、お加持に行くんだろう?その際は、差し札の作業場に朱色の台座みたいな物があるから、それにお護摩をのせてから持っていくようにしなさいね」

「あ…」

その奉仕員の台詞ことばを聞いた途端、俺は他の奉仕員やつらがやっていた事を思い出す。

というのも、差し札の仕事の中ではあまり見かけていなかったが、お加持を終えた札を、護摩札渡しの奉仕員が受け取り、朱色の台座にのせて運んでいたのを、何度か目にした事があったのだ。

しかし、今の俺の手の中にあるのは、護摩札と白い紙のみ――――――――浄書の奉仕員にお辞儀をした俺は、すぐに自分達の作業場に戻り、木の柱付近に積み上がっている朱色の台座を手にするのであった。


「あ…羽切君も!?」

「先輩!!?」

台座に札をのせて本堂の裏側に繋がる襖の前に来た時、偶然、姫岡先輩に会う。

先輩の手には朱色の台座があった事から、先輩も訂正が入った護摩札を、再びお加持してもらうためにこの場所を訪れていたようだ。

「あ…今なら間に合うから、そこの襖開けて、近くにいるお坊さんにお札を渡して…!」

先輩は、俺が手にしている護摩札をすぐに見つけると、そう促したのである。

「は…はいっ…!」

促された俺は、ゆっくりと襖を開く。

何センチか開いた先には、一人の僧侶が立っていた。

「これ、お願いします…」

俺は小声でそう告げると、僧侶は穏やかな笑みを浮かべ、俺が持ってきた護摩札を受け取ったのである。

そしてすぐに襖を閉めると――――――――――襖越しに、お経を読む音が響いてくる。俺の向いに立っていた姫岡先輩は、黙ったままその場に突っ立っている。また、彼女の横には、護摩札渡しの奉仕員が一人、同じようにして立っていた。

 お加持の真っ最中は、私語厳禁…って事なんだろうな…

二人を見た俺は、そういう事だろうと思い、自分も黙ったまま待機していたのである。

一方で、早く護摩札を持っていかなくてはいけないと思いつつも、護摩札は厄除けのために申し込む物につき、名前の訂正が入っても2度目のお加持はしなくてはならないというのは聞いていた。そのため、「早く持っていきたいのに持っていけない」今の状態が、歯がゆくも感じていた。

 にしても、先輩…在学時はあまり気にしていなかったけど、スタイルも顔も整っている女性ひとだなぁ…

俺は、姫岡先輩を見つめながら、そんな事を考えていた。

今思うと、当時は先輩に片思いをしていたのかもしれない。ただし、向うは俺の好意に気が付いていないようだが―――――――


「お願いいたします」

数分後、複数の護摩札を台座にのせて運んできた僧侶が、俺達の前に現れる。

「ありがとうございます!」

俺を含む奉仕員は、その中から自分が受け持っていた御信徒ひとの護摩札を探し出し、自身の手にある台座にのせて運び出す。

俺も、“野端のばた 愛望まなみ”と左側に書かれた護摩札を探し出し、台座の上に載せる。

その後、俺も早歩きで護摩札渡しの方角へと足を進める。

「羽切君」

「先輩…?」

途中、追いついた際に、姫岡先輩から声をかけられる。

廊下ここでは急ぎ足で大丈夫だけど…渡し場に到着して、御信徒さんが視界に入って来た時は、余裕あるような雰囲気を醸し出してね!」

「…というと…?」

突然の提案に対し、俺は首を傾げる。

「…要は、慌てている所を御信徒さんに見せては駄目…って事よ。寺社業務は“商い”ではないけれど、余裕のない表情かおを見せては、御信徒さんが不審がるからね」

「成程…」

「じゃあ、また後でね…!」

俺にそう告げた姫岡先輩は、歩く速度を速めて先に渡し場へと向かっていく。

 成程な…じゃあ、俺も…!

先に進んだ先輩をまねるようにして、俺も渡し場寸前の所で歩くスピードを落とし、ゆっくりと大股で歩きながら、訂正した護摩札を、御信徒の元へ持っていくのであった。


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