第16話 差し札

「うわ…。まだこんな時間なのに、もうあんな所まで人が…」

俺は、参拝客の多さに圧倒されながら歩いていた。

「この三が日は、参拝客ひとが特に多いさ!遠くの奴らはまだいないかもしれねぇが、地元の奴からすれば、朝行ってすぐにお参りして帰ろうって考えるだろうし…」

すると、横で野際が俺の呟きに答える。

年が明け、元日。奉仕員のアルバイト2日目の朝、俺と友人の野際は、寺に向かう途中にこれから寺へ向かう参拝客を目撃していた。俺らが行く寺社も当然、行き途中で表参道があり、その通りには多くの出店やお土産屋が目立つ。普段は静かな表参道も、今朝は人が結構集まって来たのである。

「おっ、今が八時半か!そろそろ行こうぜ!!」

「おぅ!」

野際に促され、俺は再び足を動かし始める。

因みに、参拝客は表の門から回ってお参りをするのが普通だが、俺達奉仕員の場合、朝の出勤時と夕方の退勤時に限り、別の出入り口を利用しても良いとされている。そのため、参拝客を横目に見ながら、途中で違う道を曲がり、寺務所へ向かう。

「あ、羽切君」

「姫岡先輩…!」

俺がタイムカードを打刻しようとすると、隣にいた女性ひとがちょうど、姫岡先輩だったのだ。

しかし、その隣には彼女の友人らしい女子もいる。そして心なしか、その女子の視線が俺に向いているような気がした。

 俺も、野際と一緒だしな…

そう思った俺は、タイムカードを押して、自分の元あった場所にカードを戻す。

「おはようございます」

「おはよう!」

先輩に挨拶した後、俺は野際の元へ戻っていく。

「そういえば、あの女性ひと。お前の知り合いか?」

すると、近くに戻ってきた俺に対し、野際が問いかける。

同時に、俺達は自分達の部署の場所へと移動し始める。外から見ると複数の建物が並んでいるこの寺社だが、実は、一部の建物は中でつながっているのだ。そのため、俺達を含む奉仕員はその繋がっている場所を通り抜けて、自分の担当する部署へと向かう。俺達の"差し札“は、二つ分の建物と長い廊下を経て、作業場へと辿りつくのであった。


制服代わりでもある紺色の作務衣さむいを上に羽織った俺達は、早速業務に入ることになる。また、作務衣さむいとは本来は僧が作業着に身に着ける服の一種。本来の作務衣さむいは上下セットの場合が多いが、この寺社の奉仕員が身に着けるのは上のみ。また、ジーンズ以外でかつ寒色の物であれば、何を身に着けても良いとされている。身なりの規定としては、髪については「長い人は結ぶ事」以外の指定はないものの、どうやら差し札にいる面子は皆が真面目なのか、黒髪で来ている奴らが多かったのである。

「さっそく、大量のお札が来ていますよー!」

大学生と思われる奉仕員が全体に声をかけると、その場にいた全員が護摩札を取りに行く。

 さて…やるか…!

昨日の内に業務内容の説明が入っていたため、今日が実質、初めて作業を行う事になる。容器に入ったでんぷんのりを、取り皿のようなものに載せ、のりをつけるへらも用意する事で、準備完了となる。

お護摩は5,000円・7,000円・1万円のものがあるが、差し札の段階では、あまり値段は問題ない。札の大きさが値段によって異なるという外見上の差はあるが、実際に差し込む紙の札は大きさや長さが均一のため、作業中に不都合は発生しないだろう。

俺達の仕事としては、でんぷんのりを札の上下に塗り、護摩札の結び目にのりがつかないようはめ込むように貼る作業だ。寺社業務の場合は“商売”ではないので、御信徒に渡すお札を“商品”といってはいけないが、例えるならば当然、“商品”の関係ない部分にのりを付着させる訳にはいかない。また、護摩札は厄除けのために家に飾るのが当然なため、汚れやのりが付着すれば、誰だって不快に思うだろう。そのため、一見単純そうな作業でも、決して軽視できない作業なのだ。

「あ、羽切君!」

「姫岡先輩?」

作業している途中、俺は姫岡先輩に声をかけられる。

「苦戦しているみたいだけど、これにはちゃんとコツがあるんだよ?」

「先輩って…以前も、差し札の部署だったんすか?」

俺が札を差し込むのに苦戦しているのを見かねたのか、先輩がコツを教えてくれる事となる。

そして、その手慣れた手つきから、以前も同じ作業をした事があるのかを問う。

「そうだね!…えっと、ここをこうして…」

先輩は、手を動かしながら答えてくれた。

 それでも、手先が器用なのかもな…

俺はそんな事を考えながら、姫岡先輩の指を見つめていたのである。

「……ちゃんと見てるの?」

「はひ!!?」

しかし、当の本人の声で、俺は我に返る。

俺は、先輩の指先を見つめていたため、折角差し札のコツを伝授してくれているのに、肝心のやり方を見ていないのを見抜かれてしまう。

「す…すみません…」

「うふふっ…仕方のない子ね」

俺は、言い逃れはできないと思って白状するが、先輩は意地悪そうに微笑んだだけで、特に怒っている様子はないようだ。

その後、先輩は別の護摩札と差し札を手にとって、再び手本を実践してくれる。

「ここに触れて、ここをこうすれば……できた!」

先輩がそう口にすると、俺は視線を再び護摩札に戻す。

姫岡先輩が作業してくれた護摩札は、願意が描かれている上部や、氏名が書かれている下部がずれる事もなく、しっかりと貼りついていた。

「先輩、ありがとうございます!」

「どういたしまして!」

俺は嬉しくてすぐに礼を告げると、先輩がはにかんだ笑顔を見せてくれたのである。

 綺麗な女性ひとだな…

俺は、そんな事を考えながら、午前中の作業を進めていく事となる。



「うぉー…疲れたー!」

作業がひと段落した野際が、両腕を高く伸ばして背伸びをしていた。

時計の針が11:50を指し、これから1時間のお昼休憩となる。部署によっては、何人かと時間をずらしてお昼休憩を取る場合もあるが、差し札の場合、全員が同じ時間にお昼休みをとっている。それは、工場での流れ作業のようにノンストップの作業ではないからだった。

「はい。じゃあ、これを回してー!」

全員が一か所に集まった後、奉仕員の一人が、寺から支給されたお弁当を手渡していく。

休憩できるスペースがあるものの、企業みたいにそれ専用の個室でもなく人数も10人はいるため、皆で少し狭い思いをしながら一か所に固まってお昼ご飯を食べるのだ。

 うぉー…今日は中華風の弁当か…!

俺は、内心で喜びながら、弁当の蓋を外す。

因みに、俺は今回が初年度でまだ高校生だから普通にお弁当を食べようとしているが、皆がそうという訳でもない。差し札のように人数が多い部署の場合、このようにして年長者や寺社業務に慣れている奉仕員が自主的に物を配ったりする等、仕切ってくれる事が多い。俺みたいな初心者としては、そういう行動は大変ありがたいのである。

「しかも、今日はみかんも有りか!やったぜ!」

お箸等が回ってくる中、野際が何やら喜んでいたのである。

俺も隣にいる彼に習い、左隣から回って来た物を、右隣の人に回していく。

「あっ…すんません」

「あ…ううん、大丈夫…」

俺はみかんを渡す際、隣にいた姫岡先輩と一瞬手が触れあっていた事に気が付く。

そして、その手は反射的にひっこめなくてはいけないが、みかんを落とす訳にはいかないため、彼女に手渡してから手をすぐにひっこめた。

「お茶…飲まないのか?」

「あっ…悪い!手が止まっていたか…!」

黙り込んでいた俺と先輩だったが、バケツリレーで物を渡していた野際の台詞ことばで、俺は我に返る。

そして、彼からお茶用の茶碗を受け取り、隣に手渡していった後、中華風の弁当を食べ始めるのである。


「じゃあ、去年は接待業務やってたんすね…!」

お昼を食べながら談笑する中で、野際の声が響く。

「あの時は、スカート履いていたけど…やっぱり、パンツの方が落ち着くのよねー!」

すると、彼の向いに座っていた女子大生の奉仕員が、大きく息をはきながら答えていた。

というのも、寺社業務では俺らのように内職的な業務がほとんどだが、人によっては接待うる業務を奉仕員がやる事があるらしい。

野際が話していた奉仕員はどうやら、昨年度の奉仕員でこの寺社へ来た際に、接待業務で寺社関係の人への接待業務をした事があるらしい。

「去年一緒だった俺の友達ダチは、みくじの渡し場でいたみたいだぜ!なんでも、“座って作業ができるから”とかって、自慢しやがったんだよ!」

そんな中、野際達の会話は進む。

因みに、今会話をしているのが、何も野際や女子大生の奉仕員だけではない。もちろん、黙ったまま弁当を黙々と食べる奴もいるが、先程まで何も話さずに作業をしていた分、ここいらでコミュニケーションをとる人達は多いようだ。

 しかし、座って仕事ができる“みくじの渡し場”は羨ましい…

俺は、彼らの会話を聞きながら、そんな事を考えていた。

因みに、俺達差し札は、基本は立ち作業となる。椅子が用意できなかったというのもあるかもしれないが、実は、俺らが作業している場所の後ろ等で、他の部署の奉仕員や僧侶達がその場を通過する場合が多い。これは俺の予測だが、そういった安全を考慮した上で、俺達は作業時に椅子がなく、立ったまま作業をするかもしれない。

「もしかして、午前中も俺らが作業している後ろで、僧侶の方たちとかが通り過ぎていたんですか?」

俺は、不意に視線の合った姫岡先輩に問いかける。

「うん、そうだよ。ここから、本堂の裏側に繋がっているから、お護摩の修行時間近くなると、お坊さん達が並んでそこに向かったりしているかな!」

「成程…。という事は、俺らが差した札も、その裏側から手渡すかんじですか?」

「そういう事!因みに、護摩札の氏名や願意に訂正が入った場合、再度祈祷してもらう時は、襖の近くで護摩札渡しの奉仕員が待機している場合が多いわね」

先輩は、惜しむことなく、自分が知っている事を俺に教えてくれた。


『…』

「!」

弁当を食べているさ中、少し離れた場所にあるスピーカーから、聞き覚えのある声が聞こえる。

「おっ!今日の法話が始まったみたいだな…!」

声に気が付いた野際が、視線を上にあげながらそう述べた。

「野際…“法話”って…?」

何を指すかわからなかった俺は、当の本人に小声で尋ねる。

「そっか、羽切は、これを聞くのは初めてだもんな!」

俺の声に反応した野際は、普通の声量で答える。

 あまり大きな声出してほしくなかったんだがなぁ…

内心でそんな事を考えながら、俺は彼の答えを待つ。

「法話は、僧侶や住職が聴衆の前で話をすることさ!で、この寺社の場合、お昼休みにこうやって内部放送を使って法話をするらしいぜ!」

「じゃあ、今の法話は…完全に奉仕員おれたち向けって事か…?」

「だと思うわ。気が付いていると思うけど、今話しているお坊さんは、昨日に業務の説明をしてくれた人ね!」

野際と俺が話す中、先輩も自然と会話に加わっていたのである。

「成程…」

「まぁ、初めての奴はちゃんと聴かない奴も多いみたいだが…ちゃんと聞くと、面白い話をしている事も多いらしいぜ!」

俺が首を縦に頷いている中、野際が話を続ける。

また、気が付くと、俺ら以外の奉仕員やつらが皆、黙ったままお弁当を食べていた。表情から察するに、おそらくは、彼らも法話の放送に耳を傾け始めたのだろう。

 俺も、黙って聞くか…

そんな事を考えながら、俺は食べるのを再開する。

床に座布団敷いて、あぐらかいて座って食べるだけの休憩時間ではあったが――――――――野際や姫岡先輩から、普通に学生生活を送っていれば知ることがないような貴重な話が聞けて満足できた俺は、この後の午後の業務に携わる事となるのであった。

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