第11話 ちゃんとした客とマナーが悪い客

『1階席・2階席のお客様はチケットをご用意の上、荷物を開けてお進みください』

メガホンでそう呼びかけるスタッフがいる中、チケットを持った客が入ってくる。

チケットもぎりは、羽切を含めて4人はいたが、それでも手いっぱいのようだ。

「こちらで、手荷物検査を行っていまーす!」

俺は、右手をまっすぐあげながら、外にいる客に向かって大声で告げる。

「カメラ等は、お持ちではないでしょうか?」

「いえ、持っていないです」

客に確認しながら、鞄の中を俺は触れる。

触った感触でないと判断してから、中へ通すようにしている。自分達がやっている手荷物検査も、チケットもぎり程ではなくても忙しくなる仕事だ。俺や羽切がいる場所には、1階席と2階席の客が入ってくる。そのため、必然的に捌かなくてはいけないやつらの数が多い。

アリーナ席のみ出入り口が異なるため、満員御礼にしろ、俺らがいる場所よりはましだろう。

 ちらしを座席に設置でなくて、手渡しならば・・・手荷物検査このしごとよりも楽だったかもな・・・

忙しい中、不意にそんな考えが頭の中をよぎっていたのである。


「カメラをお持ちではないですか?」

「はい、ないです」

例のごとく、同じ対話を俺が繰り返した時だった。

 ん・・・?

その客が持っている手提げ袋の中を触れた時、ゴツゴツとした感触がある。

それは、明らかにデジタルカメラのレンズの部分に相当する。

「カメラをお持ちの場合は、スタッフに預けてください」

そうお客の女性に告げた後、斜め後ろに向いて、左手をあげる。

俺の右手には、デジタルカメラの入ったケースがあり、嘘を見抜かれた女性客は、俯いたまま舌打ちをしていた。

「どうしました?」

俺の合図に気づいた運営側むこうのスタッフが来てくれたので、俺はデジタルカメラが入ったカメラケースを見せる。

「・・・わかりました。それでは、カメラをお預かりするので、こちらへ来てもらってもいいですか」

「・・・はい」

割って入ってきたのが、運営側のスタッフだと気づいた女性客は、観念したような表情かおをしていた。

「・・・うざ」

その女性客は去り際に、俺に対して吐き捨てるように呟いてから、運営側のスタッフと共に去っていく。

 そんな事言われてもなぁ・・・今時、「ライブ会場に、カメラの持ち込み禁止」っていうのを認識していない方がどうかしていると思うが・・・

明らかに敵視された事を言われた俺は、内心で呆れていた。

また、間違っている事を放置するのもあまり好まない性分のため、「自分は悪いことはしていない」と言い聞かせてから、再び業務に戻る。


「わっ!?」

元の立ち位置に戻ってきた時、前方からものすごい勢いで走ってくる客とぶつかりそうになる。

衝突はしなかったものの、「危ないな」と考えながら後ろを振り返る。走り去っていく客達やつらはどうやら、女性二人組のようだ。

「くっそ・・・逃げやがった」

「ん・・・?」

元の向きに向きなおすと、聞き慣れない声が響く。

視線を上げてみると、そこには、苦い表情を浮かべたガゴドムスの男子がいた。

「“逃げやがった”って・・・今の二人組の事か?」

何があったのかを確認する意味も含め、俺はその青年に声をかける。

俺に声をかけられた事で数回ほど瞬きをしていたが、青年は、同じ派遣会社ところの人間だと気がついて口を開く。

「あぁ。あの二人、手提げ袋を一瞬開ける素振りをした後、逃げるように猛ダッシュで走り出しやがったんだ」

「成程・・・」

青年の話を聞いた俺は、起きた出来事を悟る。

俺自身も以前、別のアーティストのライブスタッフで手荷物検査をしていた際、完全無視で手荷物検査を受けなかった客がいたのを、体験したことがあるからだ。

 今回の場合、さしずめ日本語が通じない外国人だったとかかもな・・・

俺は、その後も手荷物検査ぎょうむを進めながら、そんな事を考えていた。

“ファンはアーティストにとって鏡みたいな存在もの”なんて言い方があるが、ファンがだらしないという事は、彼女達が応援しているであろうアーティストも、大したことないのだろうなと勝手に考えていたのである。


「羽切」

「おっ、富士原・・・!」

武道館への入場者が落ち着いてきた頃、俺はチケットもぎりをしていた羽切に声をかける。時計を見ていなかったので気がつかなかったが、時計の針は、すっかり開演の10分前を指していたである。

「案の定、この後は予想通りの業務が待っているみたいだから・・・移動するぜ」

「“案の定”って・・・?」

俺が口にした事に対し、羽切は首を傾げていた。

「入ってくる奴もまだらになった事だし、一部の人間だけ残して、俺らはこの後、もぎったチケットの分別だ」

「分別って・・・?」

「どんな所で買ったチケットが何枚あるかとか・・・多分、運営側が集計するのに必要なんだろうよ。それを分別して枚数を数えるのが、この後の作業だ」

「マジかよー!」

俺の説明に納得した羽切は、嫌そうな表情かおを見せる。

こうして、一部のスタッフを残した俺達は、もぎったチケットを持ち、他のアルバイターと共に、中へとひっこんでいくのであった。



 もうそろそろ開演かな・・・?

羽切君や富士原君達が中に引っ込んでいった頃、私――――――八倉巻やぐらまき奈緒美なおみは、2階席東側の出入り口付近に突っ立っていた。

今回、私の仕事は、席が見つかりにくいお客さんのチケットを見せてもらい、席まで案内すること。開場してから、この開演1分前くらいまでは普通に案内できたが、この後からそういう訳にもいかない。

「あ・・・」

すると突然、全体の照明が落ちる。

同時に、着席していたお客さんが一斉に立ち、周囲でいろんな色のペンライトが光りだす。

『武道館!!楽しんでいくよーーー!!』

トップバッターの男性アーティストがステージに立った途端、客席から大歓声が響き渡る。

「あの!!」

「あ・・・はい!」

爆音と歓声が響いていたため、声かけられた事に気づきそびれてしまう。

「この席、どの辺りですか!?」

チケットを片手に持った女性客から聞かれたため、私はチケットを確認する。

「はい、ご案内しますね!!」

相手に聞こえるよう大きくはっきりとそう告げた私は、身を少しだけかがめながら、先頭を切って歩き出す。

 えっと、Q列43番の席は・・・

私は、見せてもらったチケットの番号を元に、該当する座席を探す。

開演前と開演後だと、会場全体の照明による明るさが異なるため、開演中の座席探しの方が困難になるのだ。しかも、他の席は別のお客さんで埋まっているし、なによりこの日本武道館の椅子と椅子の間の場所が狭くて通りにくい。

最も、スタッフである私はそんなど真ん中まで入り込む必要がないが、遅れて来たお客さんは、その窮屈さを強いられるのだ。

「この辺りになりますね!」

チケットの番号に該当する列を見つけた私は、そこの近くへ行き、お客さんの席だと思われる位置を指差す。

指差した先には、人がいない座席がある。

「ありがとうございます!!」

私に礼を言った女性客は、そのまま座席へと駆け出していったのである。

 わー・・・気をつけてー!!

私は、フラフラしながら座席に向かっていく女性客を見ながら、内心でハラハラドキドキしていた。

歩くには狭い場所のため、もし、そこから転落したら・・・と思うと、気が気でなかったのである。

「わわっ・・・」

かくいう自分も、元いた場所に戻ろうとすると足元を気にしながら階段を下るため、ふらついた際に声が出てしまう。

ただし、今回の業務で少し助かるのは、こういう時に無意識で声が出たとしても、周りも五月蝿いおかげで変に怪しまれない点だ。


そんなこんなで、開演してから数十分くらいの時間だと、遅れて武道館かいじょうに到着したひとが何人かいた。

 ののかちゃんが以前、言っていたけど・・・2階席や1階席も、アリーナ席みたいに座席一覧の紙を貼り出せばいいのに・・・

出入り口付近で突っ立っていた頃、私はそんな事を考えていた。

というのも、アリーナ席には私のような座席案内はいないが、代わりに座席一覧表がアリーナ席の後方に貼られているのだ。お客さんは、それを確認しながら自分の席を把握する事となる。

「すみません」

すると、一人の女性客に声をかけられる。

その手にはチケットとポーチしか持っていないところを見ると、荷物を一旦座席に置いて、席を外そうといしているひとだろう。

「お・・・は、ど・・・ですか??」

「え!?」

女性は何かを尋ねているようだが、周りの爆音や歓声にかき消されて聞き取れない。

 同じこと繰り返しては埒が明かないし・・・

ここで「何て言っていますか?」と自分から問い返しても埒が明かないと思った私は、右耳に手を添えるジェスチャーをとる。

すると、何を言っているか聞こえていなかったのを悟った女性は、再び口を開く。

「お手洗いは、何処にありますか??」

「あ・・・はい!」

ゆっくりと大きな声で話してくれたおかげでようやく聞き取れた私は、説明するよりも先に足が動いていた。

というのも、出入り口の扉が近い事もあり、一旦外に出てから伝える方が手っ取り早いと思ったからだ。

私は先頭で歩き出し、硬い扉を開く。すると、ロビーから涼しい風が入ってくる。

「こっちをまっすぐ進めば、女性用のお手洗いですよ」

「ありがとうございます!」

私がお手洗いのある方角に手を差し出すと、女性は小走りでお手洗いへ向かっていった。

 腹痛でもあったのかな・・・?

少し急いでいたところを見た私は、不意にそうなのではないかと思う。

いずれにせよ、席を外した分だけライブが見られない事になるため、少し可哀想な気もしていた。


「あ・・・」

お手洗いの案内を終えて戻ってくると、聞き覚えのある曲が耳に入ってくる。

私はののかちゃん程アニソンに詳しくはないが、この時歌いだした女性グループは、私が唯一知っているアニソンアーティストの曲だ。

 あー・・・私も、ペンライト持って飛んだり跳ねたりしたいなぁ・・・!

知っている曲が流れる中で、私は必死に動き出そうとする衝動を抑えていた。

当然の事だが、私達スタッフがライブ中にお客さんと一緒になって踊ったり飛び跳ねたりする訳にはいかない。最も、こういうライブイベントの現場に来る人は、その日ステージに立つアーティストに興味がない人が多いので、自分を抑える必要性はないのだが・・・それでも、一部の例外な人や、少しでも知っている曲があると、嬉しくなってしまうのは人のさがだろう。

 流石に、ステージ正面を見るわけにもいかないし・・・

私は、右足をステージ側。左足を出入り口側に向けて、突っ立っていた。そして、横目でステージの光景を目の当たりにしていたのである。

周囲のお客さんは、ペンライトを振り回したり、掛け声を出したりしている。因みに、今歌っているグループは、ヴォーカルはもちろん女性だが、男女共に人気のあるグループだ。そのため、黄色い声援も、男性による野太い掛け声も多い。ただし、声質の違いから、男性客による野太い掛け声の方が、若干大きいかもしれない。

 ののかちゃんには悪いけど・・・。今日の現場は、バタついているけど、入って良かったな・・・!

私は、仕事しながらではあるが、チケットなしでライブが見ていられる状況を立ったままで楽しんでいた。そして、別業務の補助ヘルプで声をかけられるまでの間は、この場で座席案内を続けていたのである。

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