第4件 狭くて傾斜のある会場にはご注意を

第10話 開演前の総出作業

「お・・・」

俺は、不意に声を漏らす。

6月某日の夕方、面接を終えて帰路についていた俺は、電車の中で携帯電話を確認していた時のことだ。ガゴドムスのWebサイトを見ていた俺は、一つの現場の募集を見つける。

 この現場、昨日は募集開始後30分くらいで、すぐに定員集まったのに・・・欠員でも出たのかな?

俺は、携帯電話を操作しながら、そんな事を考えていた。今回のように体調不良ないし、突然の欠員が出た際には、このようにして一度募集を締め切った案件を、再度募集をかける事も少なくないようだ。ガゴドムスに登録してから3ヶ月が経とうとした所で、俺はようやくその理を認識できるようになったのである。因みに、今度の案件は、ライブイベントのスタッフだ。場所は日本武道館らしく、日本武道館そこは近くに来た事は過去にあるが、実際に中には入った事がなかったため、興味本位もあって、その案件を申し込んだのである。そして、俺が「応募完了」した僅か5分後に、この“追加”募集されていた現場の募集は締め切られるのであった。



「あ!羽切君、やっほー!」

「お、今日は八倉巻やぐらまきとー・・・富士原もか」

「何だかお前、一瞬嫌な表情かおしなかったか?」

当日、集合場所に先に到着していた俺に対し、後から到着した八倉巻やぐらまきや富士原が声をかけてくる。

今回は現地集合のため、武道館の少し裏手の場所で集合していた。

「べ・・・別に、嫌な表情かおなんざ、してねぇよ?」

俺は、少し挙動不審になりながら答える。

 嫌ではないが・・・単に、八倉巻やぐらまきと二人だけで仕事してみたいと思っているだけなんだがなぁ・・・

俺は、内心でそんな事を考えていた。

というのも、ここ1ヶ月の間に、富士原や新玉とは二人だけで現場に入った事があるが、まだ八倉巻と二人っきりで現場に入った事がないのだ。そのため、ちょっとした願望で二人になれるかと思ったが、そこに偶然富士原がいただけといえる。

「それにしても、今回出た欠員の一人が、新玉だったとはな・・・」

「で、その補充で入ったのが、お前という事か。羽切」

「まぁ・・・な」

俺が、今回自分が現場に入れた理由を呟いていた。

また、それに富士原が反応していたのである。

「ののかちゃん、風邪大丈夫かな・・・」

俺達が会話する側で、八倉巻が呟く。

今回、本来は新玉もこの現場に来る予定だった。しかし、前日に風邪で寝込んでしまったために、バイトを休まざるを得ない状況となる。その経緯に関しては、元々参加予定だった富士原と八倉巻は、メールで事前に本人から聞き、知っていたようだ。


「では、そろそろ移動するので、ついてきてください!」

数分後、運営側むこうのスタッフがガゴドムスのアルバイト達の前に現れる。

その後、仕事の説明に入る。

「尚、今回はいろんな派遣会社さんにお願いしているため、この後は場合によっては自身の判断で、他の業務の補助ヘルプに入ってくださいね!」

それを聞いたガゴドムスのメンバー達は、一斉に頷いたのである。

現在は、昼間の15時30分。ライブイベントの開場が17時のため、時間があろうように思われるが―――――無論、やる事はたくさんあったのである。

俺達は、物販でせわしなく動いている他のアルバイターを尻目に、武道館の中へと入っていく。


 皆、床下でやっているなぁ・・・!

その後、武道館の中を歩き回り、アリーナ席へ向かう途中にある一室にたどり着く。そこでは、他の派遣会社に所属しているアルバイトの子達が、床に座り込んで、ちらしをまとめる作業をしていた。

「じゃあ、俺らもやらなくてはな!」

「うん、そうだね!」

俺が八倉巻や富士原に声をかけると、八倉巻がそれに応えてくれた。

因みに、今日これから開催されるライブは、某テレビ番組主催につき、複数のアーティストが集まって催される対バンみたいなイベントだ。そのため、開場時にお客さんへ渡すチラシの量が多く、今はそれをまとめている作業に当たる。

また、その客一人分ずつにまとめたちらしの束を、開場時間までに全ての座席に設置しなくてはならない。もちろん、開場後は皆がそれぞれ、自分の担当の持ち場へ移動するが、今に関しては、ガゴドムスのアルバイト全員で、これに取り組まなくてはいけない事になっている。

 新玉の奴。今日来ていれば、楽しい現場だっただろうに・・・

俺は、複数のチラシを素早く掴みながら、不意に思う。

というのも、今回のライブで主催者となっているテレビ番組。それは、アニメソングやアニソンアーティストを取り上げるテレビ番組のため、今日の出演者はアニメのタイアップをしているアーティストがほとんどだ。そして、その関係で彼らが所属しているレコード会社ないしタイアップをしているアニメのちらしが、多いという事を意味する。

生粋のアニメオタクな新玉はむしろ、主催しているTV番組の事を確認した上で、今回のイベントを応募していたのだろう。

「ののかちゃん、今日楽しみにしていたのにね」

「!」

すると、耳元でこっそりと八倉巻が教えてくれた。

この時、少しだけ息が耳にかかったような感覚がする。

「そ・・・そうだな・・・」

俺は、頬を真っ赤にしながら手を動かす。

 八倉巻あいつは特に意識していないのだろうが・・・すごい、近いな・・・

俺は、自分の心臓の鼓動が早くなっているのを感じながら、ちらしをまとめる作業を進めていく。俺はこの時は気がつかなかったが、自分の向かいに座っていた富士原が、呆れた表情かおをしながら、作業を進めていたのであった。


「2階席―!!」

俺は、息を荒げながら、2階席の入り口に入る。

時計の針が16:30を指した頃――――――ある程度のちらしをまとめ終えた俺達は、それぞれ座席に入って、まとめたちらしを置き始める。俺は、2階席の東側。中央の方を八倉巻、西側を富士原といった具合で、それぞれに分かれて置き始めた。

「・・・っと!危ねぇ・・・」

置いている最中でバランスを崩しそうになった俺は、何とか足を踏ん張ってバランスを取ることに成功する。

武道館の2階席は、後ろに下がるにつれ足を踏み込ませる席と席の間が狭いため、後方の真ん中よりの席にちらしを置く際は、注意をしなくてはならない。そこは女性の足ですら狭く感じるだろうから、男の俺だと、下手すればバランスを崩して落下しそうだ。

 あ、富士原も、流石に苦戦しているな・・・

不意に視線を上げた際、2階席の西側でちらしを置いていた富士原が、足元を気にしながら前に進んでいたのを目撃していたのである。また、それは八倉巻も同様であった。

「おー!」

チラシの設置が半分近く進んだ頃、視線をあげた俺は、感慨深い声を出す。

お客がまだ入っていない状態の中に自分がいる事と、他の1階席やアリーナ席にちらしをおくために入っているアルバイターの数人が豆粒のように見える景色に対し、新鮮に感じたからであろう。

「この後、この座席いっぱいに人が埋まるのか・・・どんな光景かな?」

俺は、心の中で思っていた事を、何気なく口にしていたのである。

「おい、終わったのか?」

しかし、近くに来た富士原の声で、俺は我に返る。

「あ・・・富士原、ごめん。あともう少し!」

「ったく・・・もう少しで開場時間だぜ?」

ブツクサと文句を言いつつも、俺が持っているちらしの束を少しだけ引き受けてくれたのである。

最初は、独り言を聞かれたと思って羞恥心いっぱいになると思ったが、それ所でない事を悟る。

「やっべ!」

気がつくと、腕時計の針は、16:47を指していた。

 「ちらし設置終えたら、自分の持ち場に直行していい」とは言われたものの・・・これは流石に、急がなくては・・・!!

そう思った俺は、設置作業の手を早め、開場5分前くらいに終えて、次の場所へと移動する事になるのであった。



手間取っていた羽切の分もチラシ設置を手伝った後、俺は武道館の1階・2階席の入り口前に到達していた。時間にして、16:57。開場時間の17時直前だ。

今回、俺は荷物検査。羽切がチケットもぎりで、八倉巻が、会場内の座席案内といった具合だ。先程までちらし設置を俺達はしていた訳だが、どうやらバタついていたのは、俺達だけではないらしい。

 どいつもこいつも、落ちつかなそうな表情かおしているな・・・

俺は、自分の前方にいるチケットもぎりの奴らの顔を見ながら考えていた。

カメラや録音機器がないか確認するため、チケットもぎりの後に持ち物検査がいるのは、他のライブイベントでもよくある事だ。そのため、持ち物検査をする自分達より外側に、チケットもぎりをする奴らが待機している。

「すごい人だよね・・・!」

すると、前方にいるチケットもぎりのアルバイターが、隣の女子やつに話しかけていた。

扉越しに、外で待っているお客さんの声が聞こえるため、そう口にしたのだろう。

 今回のライブは、TV番組主催とはいえ・・・いろんなサイトで購入した奴らが、押し寄せてくるんだろうな・・・

俺は、持ち物検査を終えた後にやらされるであろう、次の作業の事を考えていたのである。


「開場時間になったので、開けまーす!!」

すると、運営側あっちのスタッフの声が入り口中に響く。

時計の針はまさに、開場時間の17時を指していた。中と外を結ぶ扉が一斉に開かれた後、心待ちにしていた観客達が、一斉に中へと押し寄せてくるのであった。

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