第9話 温泉に浸かったり語ったり

  この日、展示ホールにて行われたファッションイベントは、17時頃に終わった。八倉巻やぐらまきや新玉は来場者と接触する機会があったが、俺は終日、機材運びなどの力仕事が中心だったため、完全に裏方に徹していたかんじだ。

  二人と違って、イベント会場内には入れたものの、仕事に集中していたこともあって、どんな風に展開されたイベントだったか、周囲を見渡す余裕すらなかったのである。

  

  「温泉テーマパーク?」

  片付けが終わって解散した後、俺は普段はあまり耳にしない単語を口にする。

  「そう!このみなとみらいはちょうど、大きな温泉テーマパークがあって、温泉入ってから帰らないかって話を、さっき奈緒美ちゃんとしていたの!」

  そう得意げに話すのは、みなとみらいに何度か来た事がある新玉だった。

   温泉テーマパークか・・・。思えば、中学の時以来行っていないよなぁ・・・

  俺は、彼女の話を聞きながら、そんな事を考えていた。

  「私、温泉テーマパークって行った事ないの。羽切君も今日一日で疲れているだろうから、どうかなと思って・・・」

  すると、新玉の横にいた八倉巻やぐらまきが、顔を出して俺に話しかけてくる。その時の表情かおが、ものすごく可愛いかったのである。

   行きたいには行きたいけど・・・

  その場で一瞬考えた俺は、一呼吸置いてから、再び口を開く。

  「行きたいのは山々なんだけど、今日は疲れて眠いし・・・またの機会にしておくよ」

  「そっか・・・」

  俺が返事をすると、八倉巻やぐらまきは少し残念そうな表情かおをしていたのである。

  俺が断った理由としては、1つ目は今言った様に疲れているためだが、もう一つは富士原がいないからだ。

  温泉テーマパークといっても、実際の温泉に入る際は当然、男女別々だ。俺は、そういう場所に一人で湯に浸かるのは心元ないのもあり、断ったのである。

  「じゃあ、私らはこっちだから・・・またね、羽切君!」

  新玉がそう告げた時、ちょうど朝通った傾斜の激しいエスカレーターの前までたどり着いていたのだ。

  「おう。・・・またな、二人とも」

  俺も、二人に対してそう告げる。

  こうして、俺はエスカレーターで地下にあるみなとみらい駅へ向かい、二人は地上を通って温泉テーマパークへと向かうのであった。

  

  ※

  

  みなとみらい駅付近で羽切君と別れた私と奈緒美ちゃんは、そこから海側の方角へ出て、先程自分が話していた、温泉テーマパークに到達していた。

  「いらっしゃいませ!会員カードはお持ちですか?」

  温泉テーマパークに到着後、フロントにいる受付スタッフの明るい声が響く。

  「ののかちゃん。そういえば私、化粧品をあまり持ってきてないけど・・・メイクしたまま入るのは変かな・・・?」

  入場ゲートから中へ入る際、後ろにいる奈緒美ちゃんに尋ねられる。

  「メイクしたまま入らなくても、クレンジングや化粧水などのアメニティーは一通りが無料タダで使えるから、化粧落としちゃった方がいいと思うよ!」

  私は、彼女にそう答えた。

   本当に彼女、お嬢様なんだなぁ・・・

  私は、目にするいろんな物を、子供のようにを輝かせながら見ている奈緒美ちゃんを見て、不意にそう思ったのである。

  「わ・・・浴衣の種類が、こんなにあるんだね・・・!」

  入場ゲートから中に入った後、奈緒美ちゃんが周囲を見渡しながら述べる。

  そんな私達の前には10種類近くの、浴衣や作務衣さむえがあった。他の温泉ところはどうかわからないが、この温泉テーマパークの場合、女性用の浴衣の種類が豊富な事が有名で、じそれによる女性からの人気が高い。

  サイズも複数あり、一時だけ和服体験ができるようなものだから、外国人観光客にも好まれるだろう。

  「浴衣だけでなくて、こういう簡易的なのもあるよ!」

  そう口にしながら、私は浴衣の近くにある作務衣さむえを指差した。

  「どれにしようかなー」

  種類が豊富なだけに、奈緒美ちゃんはどれにしようか迷っていたようだが、私達は各々が身につけたい浴衣を1枚ずつ取り、“女”と書かれた簾をめくって中へ入っていく。

  

  「ねぇ、ののかちゃん」

  「何?」

  その後、髪や体を洗い終え、湯船に浸かり始めた頃に、奈緒美ちゃんが私に声をかけてくる。

  因みに、今私達が浸かっているのはひのき風呂といって、巨大な木の桶みたいな物の中にお湯が満たされている。カップルにしろ家族にしろ、二人以上で来ていれば、時と場合によっては1つ分占領する事も可能だ。

  「私みたいな人間が、アルバイトするのって・・・変・・・かな?」

  奈緒美ちゃんが、少し戸惑った表情をしながら、私に問いかけてくる。

   昼間、何か言われたのかな・・・?

  そんな予感がしたが、ここはあまり深く詮索しない方が良いと思い、私は口を開く。

  「んー・・・一般的には“お嬢様やお坊ちゃまはアルバイトをしていない”って考え方はあると思うけど、私は別にそう考えている訳ではないよ」

  「本当・・・?」

  「えぇ。だって、奈緒美ちゃんは今、大学2年なんでしょ?3年生になれば就職活動も始まるだろうし、普通の学生なら“働くってどんなものか知りたい”と思うのは、ごく普通の願望だと、私は思うよ」

  私は、ゆっくりと落ち着いた口調でそう述べた。

  「でも、もし・・・自分の考え方を否定されていたりしたら、哀しいよね」

  「え・・・?」

  私は、遠くを見つめながら不意に呟く。

  聞き取れなかったのか、奈緒美ちゃんが首を傾げていたのである。

  「・・・いや、何でもないわ」

  “相手が今の台詞ことばが聞こえていない事から、言い直す必要もないだろう”と考えた私は、特にない事を告げる。

  その後、私と奈緒美ちゃんは少しの間だけ、黙り込んでしまうのであった。

  

  ※

  

   ののかちゃん、今何て言ったのかな・・・?

  初めて訪れた温泉パークでひのき風呂に浸かりながら話をしていたが、ののかちゃんが途中で黙り込んでしまう。彼女は、何を言おうとしていたのか。

  自分から話を切り出しているのでおかすしくはあるが、ひとまず、今話していた話題は終わらせなければならない衝動感を、覚えていたのである。

  「ねぇ、屋上に足湯があるみたいなんだけど、行ってみる?」

  私は、少し陽気な声で彼女に問いかける。

  ののかちゃんは、最初は瞬きを数回していたが、すぐに我に返ったようだ。

  「そっか、せっかくだしもう少し探検してから帰りますか♪」

  すると、いつもの口調で返事が返ってくる。

  「じゃあ、あまり長風呂していてものぼせちゃうだけだし、出て浴衣に着替えましょうか!」

  「そうだね」

  話題を逸らすようにして、私はその場で立ち上がり、ひのき風呂から出る。

  それに続いて、ののかちゃんも大浴場の方へと歩き出していく。この時、彼女がどのような表情かおをしていたのかは、わからずじまいだったのである。

  

  その後、屋上にある足湯に浸かる。

  屋外なので少し寒いが、みなとみらいの景色が一望できる場所でもあった。

  「今日の現場は、Tシャツもらえたのは良かったけど、お互い散々だったよね」

  「うん、そうだよね…」

  屋上から見える夜景を眺めながら、ののかちゃんや私は、今日のことを振り返る。

  「それにしても…羽切君は力仕事とはいえ、展示ホール内に入れたらしいよね!いいなぁ…」

  「うんうん。でも、女子は力仕事やらせてもらえないしねぇー…」

  そうやって、二人で何気ない会話を続けるのであった。

  自分の周囲にいる人は、それこそお嬢様やお坊ちゃまが多く、”友達”といえるような友達はあまりいない。私の場合は大学でサークルにも所属していないため、大学以外での友人は、このガゴドムスの人たちだけになるのだ。

  そういった、色んな環境や立場の人達と接することができる――――――それが、私がガゴドムスでアルバイトをする理由でもあるのだ。

   ひとまず、今は自分にできることを精一杯やっていくしかないのかな…

  ののかちゃんと会話する中で、私はそんな事を考えていたのである。

  

  こうして、私とののかちゃんは、足湯を楽しんだり、この施設の探検を行ったりして、温泉テーマパークを満喫した。

  そして、終電に間に合わせるような形で、各々で帰宅したのである。

  

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