第8話 「働く」事を知るために

 「口答えするんじゃないわよっ!!!」

少し離れた場所で、怒鳴り声が響き渡る。

この時、私――――――八倉巻やぐらまき奈緒美が、少し離れた場所から響いてきた怒鳴り声を聞いて、そちらへ振り返る。

すると、関係者用の受付で、50代くらいの中年女性が、ののかちゃんに向かって怒鳴りつけていた。

 あれって、どう見ても・・・

ののかちゃんがどんな子かよく知っていた私は、あの中年女性ひとが言いがかりをつけている事に、すぐ気がついたのである。

「うわ、あの子可哀想ー」

「誰か助けてやれよー」

私の周りにいた他のアルバイターは、騒ぎに気がついてはいたがひやかしを言っているだけで、特に何もしていなかった。

それに対して苛立ちを感じつつも、自分が割って入ったところで解決する訳でもない。

「あ・・・」

すると、運が良い事に、事態を解決してくれそうな人が現れた事に気づく。

私の視線の先には、展示ホールを巡回している警備員がいたのだ。

「あの・・・すみません!」

見つけた私は、警備員に声をかける。

「どうかなさいましたか?」

「あそこの受付にいる中年女性なんですが、うちのスタッフに言いがかりをつけて業務妨害をしているので・・・何とかなりませんか?」

私は、ののかちゃんがいる関係者受付の方を指さしながら、警備員に報せる。

眼鏡をかけている警備員は、目を細めながらその方向を見ると、すぐに納得した表情かおになった。

「あぁ・・・あれが、報告にあった中年女性ひとか・・・。わかりました、声かけておきますね!」

「あの中年女性ひと・・・何かしらの常習犯なんですか?」

私は、警備員の返答を聞いて、思ったことを口にする。

すると、その警備員ひとは肯定も否定もしなかったが、苦笑いを浮かべていたため、肯定と捉えてよさそうだった。こうして、警備員が間に入ることで、ののかちゃんに怒鳴りつけていた中年女性は、展示ホールから姿を消したのである。


その後、私は同じ場所を担当しているアルバイターの子達とお昼休みを取っていた。

「君、めちゃくちゃ可愛いね!どこの所属?」

「が・・・ガゴドムスですけど・・・」

お昼を食べるさながら、陽気そうな青年が私に声をかけてくる。

因みに今日はお昼ご飯を持参していなかったため、私と同じようにお昼がない人と一緒に、展示ホールから一番近いカフェにて、お昼ご飯を食べていた。

 みなとみらいの地理に疎いから、ついてきちゃったけど・・・これだったら、一人の方がよかったのかな?

私は、注文したパスタがくるのを待ちながら、そんな事を考える。

今もそうだが、私の場合だと、初対面の人からは「誰とでも話せそうな社交的な子」と思われやすい。確かに、他人ひとと話すのは嫌いではない。しかし、「誰とでも話せる」ほど人見知りがないわけでもなく、相手にとってはあまり話したくない人がいるのも事実だ。

例としてあげるなら、やはり、無駄に五月蝿い人とは極力関わりたくないと、いつも考えている。

「ガゴドムス・・・聞いたことねぇな・・・」

「大小いろんな派遣会社ところがあるんだし、そういう事もあるんじゃない?」

絡んできた男性が呟くと、その隣にいた女性が横目で答えていた。

因みに、登録のアルバイトを実施している企業は大小で色々とあるのは事実だ。富士原君曰く、ガゴドムスは事務所が一箇所にしかないが、大きい所は、都内数箇所に事業所を設けている。そのため、ガゴドムスはそういった派遣のアルバイト会社としては、割と小規模な方なのかもしれない。

「おっ!パスタがきたみたいだな」

すると、カフェのウェイトレスがパスタを運んできた事に、もう一人の男性アルバイターが気づく。

 そっか、この辺りはオフィスビルもあるんだったっけな・・・

私は、運ばれてきたパスタをほおばりながら、周囲を見渡す。

周囲には、このカフェがホテルに近いため、宿泊していると思われる観光客がお茶をしている。一方で、スーツを着たサラリーマンや、手提げ袋を手にし、首には社員証をぶらさげているOLもいる。その状態から、そんな事を思っていた。

 そういえば、お父さんが経営している会社の子会社が、ランドマークタワーの中に入っているって聞いたけど・・・あそこも、オフィス部分があるんだね・・・

不意に私は、そんな事を話してくれた父を思い出していたのである。

その後、他のアルバイター達との何気ない世間話で、お昼休みを過ごす。その中で私は、「社会人になれば、こういう場所にお昼休みで行けるようになるのかな」と考えながら、パスタを食べていたのである。


「4列で並んでお待ちください!」

お昼休憩を終えた後、展示ホールの中の一角にて、私は声を張り上げていた。

そんな私の視線の先には、たくさんの男女が並んでいる。腕時計の針は13時40分を刺しているが、この後、14時より展示ホールの一角にて、ショーのようなものが開催されるらしい。

 今日の現場は、著名人やマスメディアも来るからとはいえ・・・スタッフにあまり説明がないのも、何だかなぁ・・・

私は、列を整備しながらそんな事を考えていた。

というのも、本日のイベントで外にいるスタッフには、概要的に“ファッションイベント”とは知らされていても、具体的なことは教えられていないのが現状だ。おそらくは、機密性が高いのだろう。

会場案内をする訳ではないため、知らなくても大丈夫といえば大丈夫だが、何をやっているかわからないショーの列整備をするというのは、何とも不思議な気分なのであった。

 うーん・・・これは、少し形を変えた方がいいかな・・・

そんな事を考えながら、近くにいる別のアルバイターに声をかける。

「何も言わないと、一直線に並んでしまうと他の出入り口の邪魔になるので、柵の位置変えますか?」

「そうだな。あの辺りで、折り返して並んでもらおうか」

「はい!」

私の提案に同意してくれたアルバイターは、私と一緒に動き出す。

この後にショーが行われるが、今この展示ホールに訪れている人は、当然それ目当ての人だけではない。

私は、整列開始前に設置されていたベージュ色の柵を持ち上げる。

この柵はプラスチックでできているため、女の私でも持ち運びができる重量だ。出入り口の前を通る通行人の邪魔にならないためにも、こうして様子を見ながら、時には並び方を指定してあげなくてはいけない。それも、その時々によって事態が変わっていくため、臨機応変に対応できる事が重要となっている。

 にしても、何故、メガホンがないんだろう・・・?

柵を移動している最中に、私はそんな事を考えていた。

大多数の人に何かを伝えるとき、メガホンは必須だが、今日のイベントでは、どのアルバイターも大声を張り上げている。おかげで、お客さんの中には、声が最後まで聞き取れていない人もいるだろう。

「よいしょ・・・と」

私は、最初に考えていた場所に柵を持っていき、地面に下ろす。

そして、強風や何かの衝撃で倒れないように、柵の足部分にガムテープをちぎって貼り付けたのである。



「・・・もしや、八倉巻やぐらまき奈緒美・・・?」

「え・・・?」

不意に、右斜め後ろから、聞き覚えのある声が響いてくる。

振り返ると、そこには金髪碧眼で、ピンクのフリルがついたロリーターみたいな格好の女性が立っていた。

「もしかして、万葉まよちゃん!?」

私は、自分に声をかけてきた人物の名を口にする。

同時に、私はまずい事に気がつく。

というのも、この近江谷おうみや 万葉まよという子は、私の中等部時代の友人で、私と同じで良家のお嬢様にあたる。しかし、何故かはわからないが、昔から何かと突っかかってくる性分である。しかも、私よりは正直頭が悪い人なので、どんな発言が飛び出してくるのかと思うと、心穏やかでいられない―――――ある意味“面倒くさい人”なのだ。

そして、彼女は私の服装や、自分の近くにいるアルバイターを見て、再び口を開く。

八倉巻やぐらまき家のご息女が、こんな所でアルバ・・・!?」

万葉まよちゃんがその先を口にしようとした途端、私は彼女の右手を掴み、思いっきりひっぱる。

「あれ・・・君!?」

「すぐに戻ります!!」

一緒にいたアルバイターは、私がどこか違う場所へ行こうとしたため、引きとめようとする。

しかし、やる事が済んだらすぐに戻ってくる気満々だったため、そう告げてから、足早に去るのであった。


そして、人気がなく、オフィスビルがある方まで歩いてきた後、その場に立ち止まる。

「こんな所に連れ出して・・・そんなに恥ずかしかったの?」

「・・・貴女の常識で、勝手にあてはめないで」

「ご両親に内緒で、アルバイトなんてやっているの?」

「当然、了承済みよ」

彼女があれやこれやと訊いてくるだめ、だいぶ投げやりな返答をしていた。

 早く戻らないと・・・

私は、そう思いながら、腕時計の時間を気にしていたのである。

「アルバイトなんて、私達のような良家の子女にとっては、遊びみたいなものではなくて?」

私は、何とか受け流していたが、今の台詞ことばだけは聞き捨てならなかった。

苛立ちに加え、午前中からの疲労もあり、殺気立ったような万葉まよちゃんを睨みつける。

「私は、アルバイトを通じて、“働く”ことを早い内に経験しておこうと思って、やっているの!今時、この年齢としでアルバイトしていない方がおかしいのよ?親の金だけ頼って遊んでいるくせに、生意気に意見してんじゃねぇよ」

私は、後半の方では相当声音が下がった状態で、今の台詞ことばを口にしていた。

 あらら・・・。素が出ちゃったかな・・・

言い終えた後、万葉まよちゃんは完全にその場で呆然としていた。

ひとまず、言いたいことを言えたし、さっさと戻ろう!

そう思い立った私は、完全に近江谷おうみや 万葉まよをその場で置き去りにし、展示ホールへと戻っていく。


「奈緒美ちゃん!」

「ののかちゃん・・・」

展示ホールに戻ってみると、そこにはののかちゃんが立っていた。

「関係者受付の方、終わったの?」

「うん!名簿にあった人達がほとんど入場したから、撤収してきたんだ!」

私と彼女はそんなやり取りをするが、一つ気になる事があった。

「ののかちゃん、こちらの手伝いで来たって事・・・?」

恐る恐る尋ねると、彼女は苦笑いを浮かべる。

「奈緒美ちゃんと一緒だった彼に聞いたけど、知り合いに遭遇したんだって?」

「あ・・・うん。そうなの」

ののかちゃんは、耳元でこっそりと聞いてくる。

私は、首を縦に頷いた。

「この後、私達ガゴドムスのアルバイター達が一斉に休憩をとるために、私は報告としてここに残っていたのよ」

「成程・・・」

何故この場にいたかを問うと、彼女はすぐに答えてくれた。

 という事は、あとは終了後の片付けだけかな・・・?

私は、そう思った瞬間、「もう少しで終わる」と考え、安堵したのである。

「ありがとう、ののかちゃん!じゃあ、休憩場所まで案内してもらっていもいい?」

「了解!」

ののかちゃんにお願いした後、私達は足を動かし始める。

「そういえば、今日・・・ものすごく性格タチの悪い中年女性オバサンが関係者受付に来たのよ!」

「そうなんだ!大変だったね・・・」

「でも、誰かが警備員を呼んでくれたみたいで・・・すごく助かったな!」

「!」

ののかちゃんの台詞ことばに対し、私は反応を示す。

 でも、恩をきせるつもりでやった訳ではないから、言わないでおいとこうかな・・・

そんな事を考えながら、私はののかちゃんと一緒に、ガゴドムスのアルバイター達が休憩している場所へと向かうのであった。

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