第3件 自由と華やかさがある、ファッションイベント

第7話 上機嫌だったのに

 「わぁ・・・すごい傾斜のあるエスカレーターだなぁ・・・」

「これ。上から人が落ちてきたら、一巻の終わりだよな」

八倉巻やぐらまきや俺が、各々の感想を述べていた。

5月の上旬頃―――――――俺・八倉巻やぐらまき・新玉は、他のアルバイター達と共に、今回の現場へ向かっていた。

今、俺達がいる場所は、地下から地上へ上るために利用するエスカレーターだ。

「そっか、二人はみなとみらいに来るのは、初めてだもんね!」

「ののかちゃんは、来たことがあるの?」

新玉が口にした事に対し、八倉巻やぐらまきが問いかける。

「私の場合、今日行く会場の隣にある大ホールに何度か行った事あるので、この辺りの事は、ある程度知っているよ!」

それに対し、新玉は得意げに答えていた。

今日行く現場は、その大ホールの隣にある展示ホールで行われるファッションショーでのスタッフだ。ガゴドムスだと現地集合の場合が多いが、今回はイベント側の都合もあり、最寄り駅である、みなとみらい駅に集合という形を取っていたのである。

 それにしても、みなとみらいってバリバリの観光地かと思っていたが・・・

俺は、同じエスカレーターに乗っている人や、下りですれ違う人を観察しながら、ふと考え込んでいた。

みなとみらいは、中華街ほどではなくても、観光名所として有名な場所だ。そのため、家族連れの親子や外国人などの観光客を見かけたが、中にはスーツを着ているサラリーマンや、オフィスカジュアルな格好のOLも見かけていた。

また、みなとみらい駅は改札が地下3階。ホームが地下4階と地下深くにあるため、地上へ出るためには、エスカレーターやエレベーターを利用しなくてはならない。

俺達は、数ある出入り口の中で、この地下3階から地上1階まで一気に行けるエスカレーターに乗っているという事になる。そのため、上から見ても下から見ても、傾斜が激しいエスカレーターなのだ。

「今回は、下がジーンズという指定があるけど、“無地で重ね着できる物なら上は自由”ってのは、気楽でいいよな!」

「自由度が高いのは、ファッション関係のイベントだからかもね♪」

エスカレーターで地上1階へたどり着いた俺や新玉は、歩きながらそんな事を話す。

これまでは、基本的にスーツでないといけないイベントが多かったが、今回はスタッフ用のTシャツを現地で支給されるため、服装の自由度が高い。

下はジーンズという指定はあるが、厳密な色の指定はなく、膝より長いパンツであれば良いという事になる。靴はスニーカーと指定されてはいるが、スーツの場合だと、男性は革靴。女性はヒールがあるパンプスにせざるをえない分、スニーカーの方が動きやすいから正直助かっているのが現状だ。

 あと、今日は女子の方が多いんだったよな・・・

俺は、自分達の前を歩いているガゴドムスの女性アルバイターを見つめながら、そう思う。

今回は、女性向けファッションイベントなだけあり、スタッフ募集も女性の方が必要とされるため、多い。無論、男性スタッフも運営側にいるので、男性も募集があったが、女子ほど多くはない。それもあってか、今日は富士原がこの場にいないのであった。

 まぁ、でも・・・

俺は横目で、新玉と話す八倉巻やぐらまきの足元を見る。

彼女は元々足が細くて長い。また、全身のバランスが取れているある意味モデル体型のため、今日はいているスキニージーンズが、すごく似合っているなと考えていた。

男子が少ないのをいいことに、周りの女子にバレない程度で、俺は彼女の事を見つめていたのであった。


「本当に“波”みたいな形をしているんだな・・・!」

展示ホールに到着した際、俺はインターネットで調べた事を口にしていた。

というのも、この展示ホールがある横浜国際平和会議場は、“波と風と光をイメージして造られている”と、公式ホームページを閲覧した際に書かれていたのだ。

他にも、会議棟や大ホールがあるこの辺り一帯。中でも、俺らが今いる展示ホールは“波”をイメージしているらしく、1階エリアから見える会場の屋根が、海の波のように三角の形をしている事に対し、俺は感激していた。

「風が気持ちいい・・・」

そんな中、俺の横では八倉巻やぐらまきが、海の方から吹いてくる海風を体感していた。

「ちょっと、お二人とも。反応が大げさな気も・・・」

一方、俺らの呟きを聞いていた新玉は、半分呆れていた。

「それじゃあ、Tシャツを渡すので、代表者で誰か一人取りに来てください!」

すると、少し離れた場所から、運営側むこうのスタッフがガゴドムスのアルバイター達に声をかけてくる。

その台詞ことばを皮切りに、今回の業務の説明に入るのであった。



 このTシャツ可愛いなぁー♪

その後、展示ホールで運営側むこうのスタッフより、スタッフ用のTシャツが支給される。そのTシャツは、生地は白いが所々に刺繍が入っており、口紅や手鏡。リボンやポーチなど、カラフルで可愛い刺繍が随所に入っている物だった。

 しかもこれ。帰るときに返却せず、そのままもらって良いってのが、嬉しいよなー♪

Tシャツの刺繍を見ながら、私――――――新玉ののかは、上機嫌だった。

因みに、今回は私がPRESS等の関係者専用受付のスタッフ。奈緒美ちゃんや羽切君は、他の派遣会社の人たちと何処かへ行ってしまったため、具体的に何をやっているかはわからない。自分の予想が正しければ、奈緒美ちゃんが列整備。羽切君が、力仕事といったところだろうか。今日の現場は規模が大きいため、ガゴドムス以外のアルバイターも存在する。そのため、お互いがどんな仕事をしているかは、すぐには分からない状態だった。

 まぁ、この前お台場でやった物販の売り子よりは、気楽そうだなー

そんな事を考えながら、ファッションシイベントの開始時間である10時になるのであった。


時間となり、気がつけば1階にある展示ホールの入口に、たくさんの女性客がいた。皆が一様に瞳を輝かせながら待っているため、少し羨ましいと思っていたのである。

「こちらが、関係者受付で大丈夫かしら?」

数分後、一人の女性が、私に声をかけてくる。

彼女の後ろには、当の本人より少し若そうな女性と、髪の毛がロン毛な男性が立っていた。

「お名前と会社名を、伺ってもよろしいでしょうか」

私は女性に氏名と会社名を聞いた後、渡されたリストから、その女性ひとの名前を探し出す。

そうして鉛筆でチェックを入れた私は、足元にあるダンボールから、「PRESS」と書かれたステッカーを取り出す。

「これを服に貼り付けて、お通りください」

そう告げてから、私は3人分のステッカーを女性に渡したのである。

 流石というべきか・・・ファッション業界の人は、お洒落な人が多いなぁ・・・!

今のご一行を見送った後、私はそんな彼らに感心していた。

最も、お洒落なのは彼らのような関係者だけではない。一般のお客さんとして来ている女子達も、よく見れば、有名ブランドの洋服やバッグ。アクセサリーを身につけているのを垣間見る事ができる。

ファッションイベントのため、各ブランドの洋服を着たモデル達がこれから登場するだろう。そんなモデル達に触発されるかのように、お客として来る子達のファッションセンスにも磨きがかかるのかもしれない。

 私も、普通に大学通って社会人になれば、あんなお洒落ができたのかなぁ・・・

私は彼女達を見ながら、ふと自身の事を考えていた。

声優になりたい夢が揺らぐことはないが、こうやって同世代の女の子達を見ていると、時々考え込んでしまう。自分は一応、高校までは卒業したが、大学以外の選択―――――要は専門学校生と同じようなもののため、あまり遊びほうける事はできない。

好きなことに打ち込んでいる分、それは苦ではない。しかし、高校時代の友人なんかはやはり、大学へ進学している子もいるし、先輩とかだと、大学や短大を卒業して社会人になっている人も少なくはないのが現状だ。

 進路・・・かぁ・・・

その言葉が出てきた途端、私の脳裏には羽切君や奈緒美ちゃんの顔が浮かんでいた。

大学4年生で就職活動中の羽切君と、大学2年生で遊び盛りである奈緒美ちゃん。二人とも、個人差はあっても、大学へ通っている以上はある程度の「自由」がある。

逆に大変な部分もあるだろうが、羨ましいと思ったことがあるのも事実だった。

もちろん、羨ましいと思う理由は、”自由がある“だけではない。

声優学校にも同世代の子は複数いるが、声優を目指していることもあり、ある種の“好敵手ライバル”だ。表面上は仲良くなれても、結局は競争相手となる――――――そのため、今の私は、あまり仲の良い友人がいないような状態なのだ。

「いや!今は集中しなきゃ・・・!」

今身につけている白Tシャツが視界に入った途端、“今はそういう事を考えている場合でない”と思い立った私は、迷いを振り切るように、首を横に振ったのである。


「ねぇー、お嬢さん」

「は・・・はい、何でしょうか」

物思いにふけっていた私は、ある女性ひとに声をかけられた事で、我に返る。

その女性は、50~60代と思われる中年女性だった。また、それなりに高価そうな服を着ているが、正直センスが良いとはいえない格好をしている女性ひとだった。

「今日、この展示ホールで、何のイベントが行われているのー?」

「はい、ファッションイベントが行われていますよ」

鼻につくような口調は気になったが、とりあえず尋ねられたため、私は答える。

 もしかして、地元の人かなぁ・・・?

そんな事を考えながら、相手の出方を伺っていた。

「あたし、チケット持っていないんだけどさぁ・・・お金出すから、入らせてもらえないの?」

「え・・・」

女性の顔が近づいてきたとき、私はこの中年女性から少しだけ酒の匂いを感じ取る。

 昼間から飲酒かよ・・・

私は、内心で呆れていた。しかし、今の心の声を直接口にするわけにはいかないため、いつも声優学校あっちで練習しているように、表情と声のトーンを少し上げて口を開く。

「申し訳ありません。こちらのイベントは、事前販売で購入されたチケットのみが有効のため、当日券のお取扱いがないんですよ」

「じゃあ、さっきこの受付を通った人達は?チケット持っていなかったよね!?」

丁寧に断ろうとすると、不快に感じたのか、相手の声のトーンが急に下がる。

「えっと。ここの受付は関係者専用の受付ですので、通る方は確かに、チケットはお持ちではないですね」

「口答えするんじゃないわよっ!!!」

感情を露にしないように私は注意していたが、相手は突然怒り出し、関係者名簿を置いている机に手を強く打ちつける。大きな音が鳴ったため、私はもちろんのこと、周囲にいた人達も驚く。

 ど・・・どうしようー・・・。ってか、面倒くさいおばさんに絡まれたなー・・・

私は、表情かおこそは平静を装っているが、内心では困惑していたのである。



それから、数時間後――――――――

 あの後、何されるかと思ったよ…

お昼休憩に入っていた私は、展示ホールの隣にある国立大ホールの裏手にある、海が見える場所にいた。

あれから、事態を目撃していた誰かが警備員に連絡してくれたらしく、警備員が私にどなりつけてきた中年女性を、駅へ続く通路の方へつまみ出してくれた。そのため、大きな問題にならなくて済んだのである。

また、後日に国房さんから話を聞く事になるが、今回私につっかかってきた中年女性ひとは、案の定地元の人で、酒を飲んでは、みなとみらい駅のベンチで夜を明かしていたり、ランドマークタワーの受付嬢にちょっかいを出したりと、何かと営業妨害的な事をやらかしている事で有名らしい。そんなローカルな話を知っていた国房さんには驚いたが、それ以前に、それだけの事をしでかしておいて、捕まらない中年女性の方が驚きだった。

 まぁ、深くは考えないでおこう…

私は、朝に買っておいたコンビニ弁当を口にほおばりながら、これ以上は考えないでいようと決めたのである。

Tシャツの件で上機嫌だったが、思わぬハプニングによって嫌な思いをしたため、その感情の高ぶりで、ひどく疲れを私は感じていたのであった。


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