第5話 せわしなく動く

ライブ開場の1分前―――――――建物の扉越しに、最前列で並ぶ女子達の声が聞こえていた。私は、もう一人のチケットもぎりをやるアルバイターの女の子と、向かい合って立っていた。因みに、これはライブハウスならではの仕事だが、チケットもぎりの奥には、メダルを手に持って立っているアルバイターもいる。そのアルバイターは、飲み物の引き換えができるメダルを渡す役割を担っている。

 あっちの方が良かったなぁー…

私は、メダルを片手に持っているアルバイターの手を、横目で見ながら思う。

チケットもぎりの作業よりも、500円玉を受け取ってメダルを渡す方が、遥かに楽だからだ。


そして、時計の針は17時になり、それと同時に、建物の扉が一斉に開かれる。

「チケットを、こちらで拝見していまーす!」

私は、そう大声で告げながら、次々になだれ込んでくる客の対応を開始する。

もちろん、チケットもぎりは私を含めて4人いるが、このライブ会場のキャパがスタンディングだと2000人近く入れるため、純粋に考えても一人で数百人規模の相手をしなくてはならない。

私は、チケットを確認し、チケットの右手側にあるミシン目を破いて、客に渡していく。また、客にもいろんな人がいて、チケットをそのまま渡してくる人もいれば、ミシン目を折り曲げて渡してくれる人もいる。当然、スタッフ側としては、後者の方が正直助かる。

 そうか。このグループだと、デザインチケットの人もいるんだね…

そんな事を思いながら、私は必死にチケットをもぎる。

デザインチケットは、アーティストごとにいろんなデザインがあるらしいが、そのほとんどが、ファンクラブで購入したチケットを指す。そのため、最初にそのデザインチケットを持った人が多く雪崩込み、その後に、チケットサイトで購入したチケットを持参した客が入ってくるのだ。

そうしてチケットを受け取り、500円硬貨をドリンク引き換えのメダルと交換した客は、各々で一気に移動をしていく。トイレに行く人もいれば、ロッカーに荷物を預ける人。先にドリンクを交換しに行く人など様々だが、ほとんどが一様に、せわしなく動いている。

その理由は、今回のライブが整理番号順の入場だからである。当然、番号が若ければその分だけ早く入れるし、会場内で自分が最も見たい場所を確保する事ができる。

『整理番号301番~350番の方、中へお進みください』

外では、待機している客に向けてアナウンスをしている、羽切君の声が聴こえていた。

『チケットをお持ちの方は、ミシン目を折り曲げながら、お待ちください』

必死にチケットもぎりをしていると、外からメガホンによるアナウンスが響いてくる。

その声は羽切君ではない別のアルバイターだったが、それを聞いた途端、「すごい助かる!」と思ったチケットもぎりは、私だけではないだろう。

そのアナウンス以降に入って来たお客さんは、スタッフの指示に従っていない人も少なからずいたが、半分近くがチケットの右側にあるミシン目を折り曲げて渡してくれたのである。


開場してから40分くらいが経過し、入ってくるお客さんの数も、まだらになってきていた。

「お疲れ!」

「羽切君…!」

すると、後ろから羽切君が私に声をかけてくる。

「俺ら外にいたスタッフはまた別作業になるみたいなんスけど、君らは2人で交互に休憩を取ってくれって運営側むこうのスタッフに言われて、報せに来たんだ」

「そうなんですね!じゃあ、新玉さん。先に休憩行って大丈夫だよ!」

彼は、私と隣いたチケットもぎりの女子に、この後の指示を伝えに来てくれていた。

すると、隣にいた子が、私にそう提案してくれる。最初は遠慮すべきかと思ったが、やはり昼間やっていた物販の売り子で疲れがたまったのか―――――ものすごい疲労感を感じていた私は、お言葉に甘える事にした。



「うはー…疲れたー…!!」

私は、独り言を呟きながら、ライブハウスの2階にいた。

今回の現場。実は、私達スタッフ用の控室がないのだ。以前に行った国際展示場は、施設自体がかなり広くて大きいため、スタッフ用の控室のスペースがあったが、今回はライブハウス。やはり、出演アーティストが優先されているため、私達アルバイト用の場所がないのが現状だ。そのため、今回は、“貴重品は基本的に自己管理必須である”という条件が、ガゴドムスのサイトにあらかじめ書かれていたのである。

そのため、今は2階の喫煙所で私は休憩をしている。私自身は煙草を吸わないが、2階席にくる客は1階と比べるとあまりいないのと、今日は女性客が多い分、煙草を吸う人も少ない。そのため、人気がなくて休憩するのには、ちょうどいい場所であった。

 うーん…1個だけ食べとこうかな!

そう思った私は、こっそりと持ってきていたカロリーメイトを食べる。

一応、休憩時間中はライブハウスの外へ出てご飯休憩をしても大丈夫なのだが、私は動き回るのが面倒くさいので、こうした軽食を持参していたのである。

 あ、そろそろ始まったかな?

トイレのある方角から、急いで中へ入っていく女性客を目にした事で、ライブがそろそろ始まる時間になった事を悟る。携帯電話の時計を見た所、開演時間の18時を1・2分だけ過ぎたくらいであった。

そして、そろそろ戻って交代しようと思い、喫煙所を出た後に階段の方へ私は向かう。

 サングラスに帽子…?

2階から1階へ降りる階段にて、3・4人くらいの男性とすれ違う。男性達そのひとたちは男4人組で、皆が帽子やサングラスをしている。まるで、顔を隠しているようだった。

 もしかして、関係者の誰かかな…?

すれ違った後、後ろを振り返った私は、ふとそんな事を思う。

しかし、音楽は聞くが、ロックバンドはあまり詳しくないため、それが誰とか考える事もなく、1階のロビーへと戻っていくのであった。



「チケットを拝見しても、よろしいですか」

ライブが始まり、遅れてやってきた女性客に対し、俺――――富士原ふじはら成俊なるとしは告げる。

ジャケットを羽織り、ロングパンツを履いている女性客はおそらく、仕事を終えてからこの会場ハコに来たと思われる。

革の鞄の中から、チケットホルダーを取り出してから、俺に手渡す。“2階”の部分を確認した俺がその場をどくと、女性は駆け足で階段を上っていったのである。

 チケットホルダーを持っているって事は、ライブ慣れしている奴だろうなぁ・・・

俺は、駆け足で上っていく女性を見送りながら、不意にそう思った。

開場前は、物販列でプラカードを持つ仕事をしていた俺は、この後は2階席へ行く客に対するチケットチェックとその他諸々を担当している。

ライブハウスとなると、規模によっては俺のような担当がいなかったりするが、この会場ハコの場合、2階席もあるため、1階席の客が勝手に2階へ行かないように見張る役目でもあるのだ。

 今日出ているバンド・・・俺が好きなバンドと、同じレコード会社だったな・・・

俺は、仁王立ちをしながらそんな事を考える。

今はアルバイトを掛け持ちする、いわゆる「フリーター」だが、一時期、プロのギタリストを目指して練習していた時期もあった。その際、いろんなジャンルの楽曲も聴いてきた訳だが、今日出ているバンドが、俺の好きなバンドと同じレコード会社に所属している。自身が楽器をやってきただけあり、ライブイベントの案件があった場合は、なるべくガゴドムスの方を優先している。

 仕事で、好きなものの近くを垣間見れるのは嬉しいが・・・今回は、中の案内係がなくてよかったな・・・

斜め前にあるドア越しに響く爆音に聞き入りながら、俺は以前やっていたライブイベントの事を思い出す。

ガゴドムスで以前、ライブイベントの現場に入った際は、客席の最前列で立ったり座ったりしている仕事だった。開演前は“撮影・録音は禁止”のプラカードを持って歩き回り、

開演後は、ステージに背を向けて座る仕事だ。

今回はライブハウスでかつ、柵がある会場ハコのため、そういった仕事をする人間がいないという事になる。

 暇だな・・・

俺は、腕時計の時間を見ながら、再び物思いにふける。

ライブ始まった直後なんかは、先程のように遅れて来た客の対応があるが、ある程度時間が経過すれば、そういった人間は出入りしなくなる。また、“別の理由”で廊下をうろつく客も出てくるが、その“別の理由”が発生する可能性は、極めて低い。

腕時計の針は、18時40分を刺していた。


 ん・・・?

すると、1階席の扉が開くと同時に、客による大歓声が響いてくる。

中から出てきたのは、頭を抱えている女と、それに付き添う女の二人組であった。

「あの・・・救護室って、何処ですか?」

付き添っている方が、偶然目が合った俺に尋ねてくる。

口調は敬語だが、そのは真剣さそのものだ。おそらくは、隣で頭を抱えている女の友人だろう。

「こっちです!」

俺は、すぐさまその場から動き出し、二人を救護室の方へと連れて行く。

 今なら、少しだけ持ち場を離れても、問題ないだろ・・・

俺は、そう自己判断を下した上で、足を動かしていた。

幸いな事に、俺はこの会場ハコを過去に何度か訪れたことがある関係で、すぐに救護室へ到達する事ができたのである。そのため、コインロッカーの場所やトイレの場所も、ある程度把握していた。

「失礼します!」

「あれ、君・・・」

扉をノックした後、すぐさまドアを開けると、そこにいたのは意外な人物だった。

割と狭めな救護室にいたのは、ガゴドムスのアルバイター・国房くにふさ珠姫たまきだったのである。

「国房さん、運営側むこうのスタッフは・・・?」

「ついさっき、別件で呼ばれたみたい。だから、少しの間だけ、私が代わりに待機していたんだけど・・・具合悪いの、その子?」

俺が問いかけると、彼女はすぐに答え、同時に後ろにいた頭を抱えている女の方に視線を落とす。

「ライブであたしがヘドバンしている横で、突然倒れたんです!」

「前の方だと、揉まれやすいし朝早くから無理していると、しんどくもなるわよね!・・・ささ、そこに座って!」

付き添いの女の話を聞きながら、国房さんはすぐに対応を始めている。

彼女がパイプ椅子を持ってきたため、体調不良になっている女性客は、そこに座って俯いていた。

俺は、呆然としたまま、その場の成り行きを見守っているだけであった。すると、そんな俺に気がついた彼女が、自分を見上げて口を開く。

「ここは、私に任せて・・・君は、持ち場に戻っていいよ!」

「あ・・・ありがとうございます」

国房さんから促された俺は、すぐに救護室の外へ出るのであった。


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