第2話 ただ立っている訳ではない

「お名刺を一枚、頂戴いただけますでしょうか」

受付が、来場した会社員にそう告げていた。

時間となり、朝一から多くの来場者が受付に集まってきている。スーツを身に着けた彼らの手には、運営からあらかじめ郵送された、展示会の招待状が握られている。

「それでは、こちらを首にかけてお入りください」

招待状と名刺を受け取った後、俺は指示された物を手渡す。

受付が来場者に渡しているのは、展示会にいる間に首から提げてもらう必要がある紐付のカードだ。ただし、このカードには各々の名刺をつけておかなくてはいけない決まりのため、名刺を受け取ってホチキス留めをするのは、俺達の仕事だ。また、受け取る招待状の種類によって、渡すカードも異なるため、間違って渡す訳にはいかない。

 一人で来るおっさんばかりだと思ったが…

俺はこの時、展示会のジャンル上、来場者は男性で一人か二人で来る場合が多いのかと、勝手に思っていた。しかし、現実は違う。

「招待状と、名刺を1枚頂けますでしょうか」

「えっと、名刺名刺・・・」

隣で受付対応をしている奈緒美に促された女性は、革のバッグから必死に探し始める。

彼女が対応している来場者は、男性3人と女性2人による、5人組だ。当然、彼らの後ろにはまだ受付を済ませていない来場者がたくさんいるため、奈緒美は苦笑いを浮かべながら、女性が名刺を探し出すのを待っていた。

「お願いします!」

「ありがとうございます」

5人分の招待状と名刺を受け取った奈緒美は、紐付のカードにそれぞれ名刺をホチキスで留めていく。一見する限り、内職類が彼女は不慣れなのだろう。

不意に来場者を見ると、早く中に入りたいのか、男性陣がそわそわしているように見える。

そして、俺も次の来場者の対応があったので最後まで見届けられなかったが、実際は彼女がカードを5人に渡した後、その一行は足早に受付を離れていったのである。


「あの・・・名刺を1枚頂戴できますでしょうか」

「・・・?」

すると、俺の前に、一人の来場者が現れる。

名刺がなかったので声をかけると、相手は戸惑っている。

 もしや、外国人・・・?

その場で思ったのは、相手が自分と同じ日本人ではない事だ。

日本人とよく似た黄色人種特有の肌と黒い瞳を持つ限り、中国人か韓国人だろう。しかし、俺には、英語はもちろんのこと、中国語もハングルも話すことはできない。

「あー・・・Business Card・・・Please・・・」

俺は、何とか片言の英語を口にしながら、両手で名刺を示す四角形のジェスチャーをする。

それは、「中国や韓国のビジネスマンは、ビジネス英語レベルならば身につけているだろう」という期待を持って取った行動だった。

当然、ちゃんとした英会話になっていないため、相手は首を傾げていた。しかし、周りの状況を見て気がついたのか、ジャケットのポケットに入っていた名刺入れを取り出し、1枚渡してくれたのである。

僅か1・2分程度の対応にも関わらず、俺はものすごい疲労感を感じていた。



「じゃあ、後は運営側の方が引き継いでくれるので、私達は一旦戻りましょうか」

「はい!」

受付開始からどのぐらい時間が経過したかはわからないが、私―――――八倉巻やぐらまき 奈緒美なおみの近くにいたアルバイターが、私に声をかけてくれた。

それに答え、私を含むガゴドムスのアルバイターは、受付のあるロビーから、控え室の方へと戻っていく。

 羽切君、今日がガゴドムスでの仕事初めてだって言っていたけど、手際よかったなぁ・・・

私は控え室へ戻る途中、歩きながら考え事をしていた。

彼も自分と同じように、大人数の来場者の対応をしているが、招待状と名刺を受け取り、ホチキスで留めて手渡すまでの手際がよく、スムーズだった。外人の対応が不得手と思われるが、何度か受付業務をこなしている自分よりは、しっかり対応できていたと思われる。

 彼がすごいのか・・・それとも、やっぱり私が不得意なだけかな・・・?

歩きながら、私は思う。

今年で大学2年になった私は、今やっている登録制のアルバイトが、初めてやったアルバイトに当たる。というのも、高校時代は校則でアルバイトが禁止されている事もあったが、それ以前に、“アルバイトをする必要がない家庭環境”なのだ。

私は最初、それが普通と認識していたが、大学へ入学した際に、それが“稀”である事を思い知らされたのである。


「そういえば、奈緒美ちゃん!今度、君の家に、一度でいいから遊びに行ってみたいなぁ~!」

お昼休み中、お弁当を食べていると、ののかちゃんに声かけられる。

現時刻は午前11時33分。昼食を食べるには少し早い時間だが、この後、私は別の持ち場へ移動するため、他の人より早いお昼休憩を取っていた。

「うーん、お招きしたいのは山々なんだけど、じいやがなぁー・・・」

「だって、奈緒美ちゃんの家。すっごく大きなお屋敷なんでしょう?!」

私が考え込んでいると、ののかちゃんは声を少し低めにして話し出す。

自分で言うのも何だが、八倉巻家うちは結構裕福な家庭で、私は俗に言う“お嬢様”である。父親が経営者で、母親が女優という家庭環境につき、私には教育係も含めた“じいや”と愛称で呼んでいる老人がいる。

自分がお嬢様だと知った周囲の人間は大抵、「家に遊びに行きたい」と言ってくるが、私はいつも断るようにしている。というのも、「あまり自分が“お金持ちです”とひけらかしてはいけませんぞ」とじいやに言われて育ったため、こういう行動を取るようになってきたのだ。

 ののかちゃんの場合は、余計な下心があるわけでなく、さり気に気を使ってくれているのが、ありがたいなぁ・・・

私は、モリモリと食べる彼女を横目で見ながら、ふとそんな事を考える。

彼女が先程、声を低めに話していたのは、私が“お嬢様”だというのを周囲にあまり聞こえないようにしてくれたのだと思われる。

ただし、彼女は元々話したがりやなので、声に出すのをやめてくれる訳ではない。それでも、今まで出会ってきた心無い発言をしてくる友達“だった”子達に比べると、まだましな存在だといえる。


「じゃあ、奈緒美ちゃんは、あの子とチェンジだね」

「うん、わかった!」

お昼を食べた後、私とののかちゃんは、二人で国際展示場の敷地内にある会議棟を訪れていた。

「私がこの後引き継ぐので、お昼行って大丈夫ですよ」

私は、受付で立っていたガゴドムスの女の子に声をかける。

「了解です!ありがとう♪」

受付に立っていた女の子は、上機嫌になりながら、会議棟を後にする。

「さて…と!奈緒美ちゃん、そろそろ中から人出てくると思うから、そっち側に立って!」

「うん!」

私は、ののかちゃんに促され、セミナールームの扉付近で待機する。

今現在、目の前にある会議室の中では、展示会イベントの一環である法人向けのセミナーが開催されている。これから私がやる仕事は、受付業務ではあるが、午前中にやっていた来場時の受付とは、少し勝手が違うのである。

 あ、扉が…!

時計が12時45分になった頃、締め切っていた会議室の扉が開かれる。

そこからは、スーツに身を包んだサラリーマンがぞくぞくと出てくるのであった。

「アンケートの提出は、こちらの箱にお願いします!あ…書き終えていない方は、あちらにペンをご用意しています!」

扉から人がたくさん出てくると、ののかちゃんは、その人達に向かって声を張り上げていた。

 流石、声優学校通っているだけあって…声の伸びがいいなぁ…

そんな事を考えながら、私もアンケートを回収していた。

ただし、出てくる人全員が、指定された箱にアンケートを提出してくれるとも限らない。中には、受付である自分達に直接手渡ししてくる人もいた。


「全員はけたから、ペットボトル置くの手伝って~!」

「はい、わかりました!」

セミナールームの扉が開いてから数分後、中にいたガゴドムスのアルバイターが、私やののかちゃんに指示をしてくれた。

彼女は午前中からずっとやっているようだが、私は今日初めて、この会議棟にあるセミナールームに入る。スタイリッシュな造りの椅子やテーブルが置かれており、前方には大きなスクリーンがある。

「ここと、ここと…」

私は、それぞれの席に、水が入ったペットボトルを置いていく。

このセミナー会場で私達が担っているのは、受付とタイムキーパーだ。タイムキーパーは基本は運営側のスタッフがやるらしいが、稀に私達のような派遣に頼む場合もあるらしい。

 この場所から話すのは、気持ちよさそうだナ~

私は、セミナーでスピーチをする登壇者が立つ教壇の右端にも、ペットボトルを置く。

因みに、私達が設置している水入りのペットボトル。もちろん、運営側が業者から仕入れているが、一旦は私達ガゴドムスが使用している控室に運ばれてくる。そして、この会場まで運んできてくれるのは、今は“裏手”で作業しているうちのアルバイター達である。

 確か、富士原君や羽切君が今頃は裏手そっちにいるから、バタついてそうだな…

私は手を動かしながら、そんな事を考えていた。

無論、私が今いるこのセミナーの受付も、決して楽という訳ではないが、裏手に行っている彼らよりは幾分かマシなので、「こちらに回されてよかったな」と思っている自分がいたのである。



中の設置も終わり、受付での準備も終えた頃に、次のセミナーに参加する来場者がセミナールームに集まってくる。

「こちらを持って、おはいりください」

私はそう口にしながら、手に持っていた冊子を来場者に手渡す。

ここでの受付で来場者に渡す物は、二つ。1つは、セミナー登壇者のプロフィールやこの展示会の情報が掲載された冊子と、翻訳機だ。冊子は手渡し必須だが、翻訳機は人によって、必要な人とそうでない人がいる。因みに、この後始まるセミナーでの登壇者は日本人だ。

「スミマセン…」

すると、私の前に、一人の男性が現れる。

白色人種特有の白い肌と蒼いを持つその男性は、アメリカかヨーロッパのサラリーマンだろう。片言の日本語を話した後に戸惑っているため、日本語があまり話せないんだろう。

「This is a translation system. Do you use it?」

「Oh,Yes!」

私は不意に「これは翻訳機ですが、ご利用になりますか?」と問うと、相手はすぐに納得してくれたのである。

あまり人に教えた事はないが、幼い頃にイギリスに住んでいた時期があったため、英語であればある程度は話せる。そのため、作業関係がとろイ私でも、これだけは唯一自身が持てるものだった。

その後、戸惑っていたサラリーマンにトランシーバーみたいな形をした翻訳機を手渡すと、嬉しそうな表情かおをしながら、中へと入っていく。

そうして、冊子を渡したり翻訳機を渡したりなど、セミナーが始まる前は何かと忙しくなるかんじだったが、いざセミナーが始まると、少し落ち着いた時間が訪れるのであった。

 

そういえば、この冊子…

待機している間、私は余った冊子のページをいくつかをめくる。

その中には、今回の展示会に関連したちらしなどが挟み込まれている。

「それにしても、時々こちらをジロジロ見て来る奴とか、嫌なかんじしない?」

すると、隣でののかちゃんが、私に耳打ちをしてくる。

「仕方ないよ、ののかちゃん。仕事の一環で来ている来場者かれらからしてみれば、私達スタッフは、“楽してさぼっている”って風に見えちゃうし…」

彼女の台詞ことばを聞いた私は、同調しつつも自分の意見を述べる。

 まぁ、受付の仕事は、ただ突っ立っている訳ではないんだけどね…

口では先程のように言ったものの、やはり内心では、スタッフに対してそう認識されているかと思うと、落ち着かない気分にもなっていたのである。   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る