第1件 法人が行き交う・大型展示会

第1話 初日

  “働く”って、何なんだろうな…?

俺は高校生だった頃は、そんな事を考えていた。当時は、働く事に対しての意識もあまりなく、何かやりたい事があった訳ではない。有限会社ガゴドムスで登録制のアルバイトを始めたのも、就職活動には何かとお金がかかるため、こずかい稼ぎをするためと言っても、過言ではない。

「はい。これで、登録は完了ですね」

俺の目の前にいた事務員の女性が、書類を一通り見てからそう述べる。

この日、俺は登録制アルバイトでバイトをするための事務手続きをするため、ガゴドムスの事務所に訪れていた。周囲には、2・3あるデスクと、棚には大量の資料と思われる物が収納されている。いわゆる、「どこにでもありそうなオフィス」であった。そして、俺と会話をしているこの女性ひとと、少し離れた場所に男性事務員が一人いるくらいだった。

「あの…ネット見た時に名前があった、中並なかなみ 龍太郎りゅうたろうさんは、いらっしゃらないんですか?」

俺は、会社の“担当者”として、名前が挙がっていた人物の名を口にする。

「そうですね。中並さんは、アルバイターの皆さんが派遣されている現場に同行している事が多いため、事務所にいる事はあまりないですね」

すると、女性は“待っていました”と言わんばかりの表情かおで、俺の問いに答えてくれた。

それを聞いた俺は、「この会社は、割と規模が小さいのかものな」と考えたのであった。


ガゴドムスでの事務手続きが終わってから数日後――――某企業への面接へ行った帰りに、俺は携帯電話を開く。この時、就職活動真っ只中の大学4年だった俺は、いろんな企業への面接へ行っていた。

 今回も、これ…一次で落とされるな

面接での感触があまり良くないのを感じていたため、憂鬱になりながら、ガゴドムスの携帯サイトを開く。

登録制のアルバイトの場合、入りたい仕事が追加されれば、公式サイトに日時・場所・仕事の概要が表示されるようになっている。事務員の女性曰く、「日当が高く、ライブ等の人気がある仕事はすぐに募集人数が埋まりやすい」らしい。

また、仕事内容によっては、“男性限定”や“女性限定”もある。“女性限定”はまだ見かけた事がないが、“男性限定”の場合、力仕事や終了時間が遅い案件などは、男性対象にしている場合もある。

 お…男女両方参加できる、展示会のスタッフ…

携帯サイトを閲覧していると、日にち的に入れそうな仕事を俺は見つける。

「“当日の服装が黒スーツ”…」

サイトの一文を、俺は不意に読み上げる。

就職活動をしているため、スーツを着る頻度は高い。だが、服装を気にしなくて良いという意味では、割と気軽に入れそうな内容だと、文面を見て感じ取れた。

その後俺は、その仕事を申し込む事になる。



 あの辺りか…?

4月の某日。俺は、派遣バイトのために、東京国際展示場を訪れていた。就職活動におけるイベントもこの会場では行われていた事があったため、東京国際展示場ここに来るのは初めてではない。ガゴドムスの集団がどこにいるか探した所、コンビニエンスストア付近に、スーツを着た男女が何人か立っているのを、俺は確認する。

近づいてみると、皆それぞれ、音楽を聴くなり携帯電話をいじるなりで、一言も話さずに黙り込んでいる奴らがほとんどだった。ふと、俺は目に入った高身長の青年に声をかける。

「あの…ここにいる奴らって、有限会社ガゴドムスの人達っすか?」

「あぁ…そうだけど」

俺は恐る恐る尋ねると、その青年はけだるそうな口調で答えた。

 ちょっと、近づきづらいタイプのやつだな…

そう思いながら、俺は腕時計の時間を見る。

時計の針は、午前の8時23分。集合時間は8時30分となっているため、まだ少しだけ時間の余裕がある状態だ。

「もしかして、君。今回がガゴドムスの仕事、初めてー?」

「へっ!?」

すると突然、後ろから甲高い声が響いてくる。

振り向くと、俺より背が低く、黒髪の女の子が立っている。一見した所、自分と同じぐらいの世代の子だろう。

「あぁ、まぁ…」

「そっか!因みに、お昼は持ってきたの?」

「いや、持ってきていないけど…」

その子に訊かれて初めて、お昼ご飯を持参していない事に気が付く。

後々知る事になるが、実は行く仕事によってはお昼ご飯が支給される時とされない時があるらしい。また、業務を開始すると、あまり外部へ出かけられなくなるので、お昼持参必須の場合は、就業開始前に用意しておかなくてはならないのだ。

「今日は弁当出るみたいだけど、場合によっては自分で用意しなくてはいけない日もあるから、気を付けておいた方がいいよ」

「あ…あぁ…」

「っていうか、ののか。いきなり話しかけたから、そいつ、引いてるんじゃね?」

「!」

俺に対して女の子が徐々に迫るように近づいてくるのを見て、長身の青年が口を開く。

「あ、富士原!おっはよー!」

ののかという子は、自分に意見してきた、富士原という青年に向かって挨拶をしていた。

それを見た青年は、ため息交じりに口を開く。

「お前、わざと気が付かないふりしてやがっただろ?」

そんな憎まれ口を、青年は口にしていた。

一見した所、この2人は顔見知りなのだろう。友達同士で参加していると思ったが、そうでもないらしい。

「私とここにいる富士原は、結構同じ現場に入る事も多いのよ!」

「成程…。あれ…?」

彼女の話に同調していると、自分の視界に別の人物が入ってくる。

俺達がいる方へ駆け足でやってきたのは、茶髪だが、肩くらいまで長さのあるストレートヘアの女。こちらを見つめながら猛ダッシュしてきたせいか、すぐに目に入ってきたのである。

「ま…間に合ったー!!」

他のアルバイターが、その声に反応していた。

パンツスーツを着たその女の子は、走ってきたのもあって少し汗をかいている。すると、ジャケットのポケットに入れていたタオルハンカチを取り出し、おでこやこめかみの汗を拭いていた。

因みに、彼女が俺達の近くへ来たときに、ちょうど集合時間の8時30分になったのであった。


「よし。これで全員揃ったと思うんで、控室行くぞー!」

点呼を取った後、30代くらいの男性がそう口にし、他のアルバイターもそれに続いて歩き出す。

「もしかして、あれが“中並さん”?」

俺は、前を歩いていた新玉あらたま ののかに尋ねる。

「そうだよ!今日みたいに、ガゴドムスの子が多い時は一緒に来てくれるかんじなんだ!」

彼女は、そう答える。

どうやら、自分達を率先している30代男性が、この前事務所で会えなかった中並なかなみ 龍太郎りゅうたろうのようだ。

「そういえば…えと、今日が初めての方…ですか?」

「!あぁ、そうだけど…」

すると、偶然隣にいた茶髪でストレートな子に声をかけられる。

外見そのままの可愛い声だったので、問いかけられた俺の声が少し上ずっていたのである。

「そうなんですね!私は、八倉巻やぐらまき 奈緒美なおみと申します。今後、同じ現場に入る機会があれば、宜しくお願いしますね」

「あぁ…えと、羽切はきり 陸人りくとっす…」

柔らかい笑みを浮かべながら、彼女は自己紹介をしてくれた。

また、俺もそれにつられて、自分の名前を名乗る。

 何だか、お嬢様みたいな話し方する子だな…

俺は、先程、全速力で走る彼女を見ていたので、もっと男勝りなイメージを持っていた。しかし、話し方から察するに、全然しっかりとした女の子のように思われる。

「奈緒美ちゃんってば、いちいち敬語使わなくていいと思うよ!さっき本人に聞いたけど、彼は大学4年だから、年齢もそう変わらないだろうし!」

「そうなの?」

自己紹介を終えた後、足を動かしながら、ののかが話に割り込んでくる。

話ながら進む俺達は、東京国際展示場のロビーのような場所までたどり着いていた。

「まぁ、ここは別に、普通の会社とかじゃねぇしな。中並さん以外の奴だったら、別にタメ口聞いても怒られやしねぇっしょ」

「そっか…そうだよね!ありがとう、富士原君!!」

さりげなく助言した富士原に対し、彼女は満面の笑みで返す。

それを見た富士原は小声で「おぅ」と言った後、そっぽを向いてしまう。

 この八倉巻やぐらまき 奈緒美なおみって子…すごい天然っぽそう…

二人の会話を聞いていた時、俺はそんな事を考えていた。


「よし。じゃあ、今日の予定を連絡するなー!」

その後、展示場内の一室に集まった俺達は、中並さんからこの日の段取りを聞く。

本日、この東京国際展示場で行われるのは、IT系の企業が多く集まる大規模な展示会だ。こういった大規模な展示会の場合、スタッフは何も俺達だけではない。当然、イベント運営直属のスタッフらしき人がやはりいるらしい。そんな中、俺達ガゴドムスの担当は、来場者の受付と、セミナーの受付やスタッフを担当する事となる。人通りの段取りが決まった後、それぞれの持ち場へ移動する事となる。

「あたしは、会議棟…か。それじゃあ、また後でね~!」

そう一言告げたののかは、他の女子と一緒に、セミナー会場である会議棟の方へと向かっていく。

ここにいる全員が黒いスーツを着ているが、女子とかは特に、小さなショルダーポーチみたいな物を持っている。

「一応、私達の控室であるこの部屋の鍵はかけるみたいだけど、心配な人は貴重品を自己管理するように…なんだって」

「でも、長財布持っている奴とかって、どうするんだろう?」

「場合によっては、“あの人”が率先して預かってくれるけど…今日は来てないみたいね」

俺が考えていた事を見事に当てたかのように、奈緒美なおみは俺に話してくれた。

因みに、俺と彼女は同じ受付担当のため、他の奴らと一緒に、来た道を戻りだす。

「因みに羽切君って、ガゴドムス以外でアルバイトやった事あるの?」

「ん?そうだな。コンビニでのレジとかだったら、大学入ってすぐに少しやっていたかなー…」

「そうなんだ…やっぱり、普通大学生にもなれば、皆何かしらやっているんだね…」

八倉巻やぐらまき…?」

彼女の問いに答えると、少し小さめの声で呟いていたため、俺は首をかしげる。

「ううん、大丈夫!さて、今日も頑張ろう!!」

「そ、そうだな…」

俯いていた八倉巻やぐらまきはすぐににこやかな表情かおに戻り、歩く速度をあげていくのである。

因みに、俺がやっていたコンビニのアルバイトの方は、主に夜といったあまりレジが混まない時間帯が多く、結構ゆるやかな仕事でもあった。そのため、このあと怒涛の忙しさが待っているなんてのを、全く予想していなかったのである。

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