第26話

僕の思い人の先生は、黒板に向かいチョークに程よい筆圧をかけ文字を走られる。長身の彼はチョークを握る手に力が入っていて、手の甲に血管が浮き出ているのが、僕の座席からでもわかる。



昨日、僕に触れた手。



あんなにするりと妖艶に僕を弄んだ手が、今は数学の公式を記している。まるで何事も無かった様に、もしかしてあれは僕の妄想が産み出した幻覚なんじゃないかと思う位、先生は今平常心なんだ。僕なんかは目を閉じれば瞼の裏に昨日のあられましい情景が浮かぶ。先生の声、僕を弄んだ後に付いた指先の湿り気、行為の後暫く微動だにする事ができなかった、今も昨日の余韻が身体に残っている。それほどなのに、先生は、いつだってすぐ現実世界に戻ってしまう、僕だけが昨日のまま。昨日のあの甘くて熱い時間に取り残されたままなんだ。






「うーん。いいね。主人公の悶える感じ?出てると思うよ。次はさぁ、先生の内心に迫ると同時に、ライバル登場させてみようか。」


「わかりました。ありがとうございます。」


「でも本当に良くなったよ、人が変わったみたい。なんか心境の変化でもあったの?」



「いや、そんなことは無いんですけど。」



「安田くんも、とうとう恋人できたとか?」


「っっっ!ごほっ、、そんなんじゃないですよ。


「またまた、隠してもお姉さんはお見通しですよ。とにかく忙しくなるわよ!」



わかりましたと、恋人がうんぬんの件についてはとやんわり交わしながら事務所を後にした。


最近、小説の調子がいい。細かい訂正箇所はあるが、今日も1発ゴーサインをもらった。上からも評判がいいらしく、全5回の連載にしてみないかと言うことなのだ。仕事でこんなに評価されたことはなかった、頑張りたい気持ちがある。確かに最近は主人公に自分を重ね合わせると、すらすらと気持ちが文字になって表現できるのだ。仕事がはかどる事は嬉しい事だが、なぜそうなったかの理由を自分は心でもて余していた。



町田さん。



彼の存在が自分の中で急速に大きくなっていくのを感じる。本当は小説なんて、仕事なんて、ほっておいて、町田さんとゆっくり話がしたい。ご飯が食べたい。いくら小説が進んだって、僕は町田さんがいなきゃーー。



でも自分は小説家になりたかったはずだ、町田さんに恋愛契約まで頼んで。まずは仕事をしなきゃ。町田さん、こんなに他の事をほっておいてもあなたに会いたいと思ってしまうなんてこんなの初めてだ。


妄想してしまう、町田さんに受け入れられる妄想を。イメプレを途中で止めようといったのは、初心者の僕に気を使ったからで、本当は町田さんだってしたかった、僕と。だからもし、仕事がオールアップしたら、イメプレなんて言わずに僕からお風呂に町田さんを誘うんだ。町田さんはきっと驚きながらも、いつもの笑顔で頷いてくれるはずだ。



一頻りそんな妄想をすると、現実に帰る。そんな都合良く事は運ばないよな。町田さん、いくらゲイでも好みがあるだろうし。ああいう大人の人からみたら、自分なんか生活能力がない奴なんてどうなんだろうと思う。そう恋愛にたいして後ろ向きなのは、自分から肝心な所で一歩踏み出せないのは、今まで恋でいい思いした経験が少ないからだろうなと、自分でも気づいていた。

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