第50話 雀荘『スクウェア』
〇
「いらっしゃいませ!!」
快活な声と温かな空気。それが、あかねがはじめに感じたことだった。
ついさっきまで、そら寂しい路地裏を歩いていたはずなのに。そのギャップにへどもどしながら振り返ると、しかし背後は確かに先ほどまで自分がいた場所。
「あかねさん、シャッターを閉めてください」
「は、はい」
ましろにそう言われて、慌ててシャッターを閉じる。そしてもういちど振り返る。そこには、満点の女性の笑顔と、
「麻雀、だ!」
「そうです!」
「いらっしゃいませ!」
夜半のデート、夜な夜なドライブのその先は、そうまぎれもなく雀荘であった。六卓からなる全自動卓がぜんぶ稼働し、賑やかな声が店内に横溢する。満員御礼であった。
「小浜さん、お久しぶりです。お変わりないようで」
「その言葉はそのままお返ししますよ、ましろさん。本当に変わらないですね」
小浜と呼ばれた女性は、ましろの態度や会話から察するに、彼女と昔馴染みであるらしい。年回りはあかねよりもすこし上であるようだが、あふれんばかりの愛嬌は、まさしく看板娘のそれ。
「はじめまして。私は小浜莉愛。お名前聞いていいかしら?」
「中井あかね、と言います! えと、ここって、雀荘……なんですよね?」
「もちろん!」
あかねは、改めて、こんどは満面の笑顔を浮かべながら店内を見渡した。実のところ、ゴールデンタイムのメンバーとなって以来、あかねはほかの麻雀店へと足を運んだことはなかった。
行ってみたい、という思いはあったが、大学生活とメンバー生活に時間を取られ、なかなか足が遠かった。念願、ここに叶いたりである。
「ゴールデンタイムのメンバーさん、よね? 入ったの、最近?」
「はい! まだまだ見習いです!!」
「こら、あかねさん、嘘はいけませんよ。ついこの間、一年経ったじゃないですか」
「一年かー。そりゃもう一人前だね」
腕組みしいしい、うんうんと頷く莉愛。あかねはちょっと気になって、
「小浜さんは……」
「莉愛でいいよ。その代わり、私もあかねちゃんって呼ぶね」
「えと、それじゃあ莉愛さんは、どのくらい働かれてるんですか?」
「ふふん。何年だと思う? あ、年想像するのは禁止!」
自慢げな莉愛。ならばとあかねは、
「5年、くらいですか?」
「ぶぶー。答えは……10年! なんと、私はスクウェアの創業メンバーなのだ!」
10年! 莉愛の言葉を聞いて、思わずあかねはくらりときた。自分の10倍もの期間、メンバーとして働いているなんて、想像もつかなかったから。
「ちなみに、ご年齢は私と同じ33歳です」
「もー! ましろさん!! 28歳で通そうと思ってたのに、なんで言うんですか!」
「28歳はさすがにちょっといかがかと……。あら、目の下に小じわが……」
「うそ! 出勤前にコンシーラーで隠したのに!」
「うふふ。冗談です」
ましろも年齢に比べて稚気たっぷりに違いないが、莉愛もまた、茶目っ気たっぷりの女性であった。仲の良いふたりのやり取りを見ているだけで、思わず笑みがこぼれる。
「宇田さんは……」
「ソファにいますよ。おーい、宇田くん、ましろさん!」
15坪程度の店内の奥、待ち席と思しきソファに座って新聞を広げる男性が、莉愛の声に応えてこちらを向く。
「お久しぶりです、宇田さん。お変わりないようで」
「……らっしゃい」
莉愛とはうってかわって、宇田と呼ばれた男は陰気そうな面構えから、わずかに目を伏せて会釈する。ぱっと見は、あかねはあまり関わり合いになりたくない人種。
「宇田さんはこのお店、スクウェアのオーナーさんです。もともとゴールデンタイムの立ち上げの時のメンバーだったんですけど、ゴールデンタイムの経営が軌道に乗り始めてから、ご自分のお店を持たれたんです」
つまり、この雀荘内において、筒井と同様の立場の人間。それを聞いて、余計にあかねは体を強張らせる。
「…………」
宇田が手招きひとつ、あかねを呼ぶ。ちらりとましろに目をやると、小さくうなずく。別に取って食われやしないだろうと思いつつも、おそるおそる近づいていく。
あかねが目の前に立つと、宇田は手近にあった麻雀牌を一枚つまみあげて、あかねに見えるように掲げる。1筒。そしてそれを手に握りこみ、勢いよく開くと、
「わっ! なんで!?」
次の瞬間には2筒に。
「も、もう一回やってください!」
興奮気味のあかねに対して、宇田はやれやれとばかりに頭を振り、手にした2筒をあかねの手に握りこませ、開くように指示をする。するとこんどは3筒に。
「すごい! もう1回! もう1回だけ!!」
「……もうやらん」
あかねの3筒を回収すると、再び宇田は新聞に目を落とし始める。
「宇田さんはマジックがお好きなんですよね。むかし、マジシャンになろうか雀荘のオーナーになろうか、相談されたこともありましたねぇ」
「……その話は恥ずかしいからやめてくれ」
一見して陰気臭い宇田は、第一印象に反してひょうきんな人物であった。
「打ってくだろ?」
「ええ。でも、私ではなく、この子が」
ぱあっとあかねは目を輝かせた。ゴールデンタイム以外の雀荘での初フリー。胸が躍る。
莉愛が丁寧に教えてくれるルールを、ふんふんともっともらしそうに耳を傾けているが、心の中はもうすでに麻雀のことばかり。餌を目の前に尻尾を振る犬そのもの。
それを感じ取った莉愛も、苦笑いひとつ、分からないことがあったら聞いてくれればいいから、と途中でルール説明を打ち切って、ちょうどオーラスが終了した卓にあかねを案内する。
こうして、あかねのスクウェア初の対局は始まった。
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