第42話 お店の利益とお客の利益②
〇
あかねが取り出したるは、現在A卓で進行中のフリー記録。午後五時から東出が本走に入りっぱなしである。それの教えるところであれば、一半荘あたりの所要時間は平均四十分ほどで、トビが出たと思しき半荘に至っては三十分をも切っている。
また、卓を囲む面子も午後五時の時点からは東出を除いて総入れ替わりしているはずなのに、どの半荘もだいたい同じ時間で終了している。
「東出さんやましろさんが入っている卓って、やっぱり私や四方津さんが入っている時よりも、全体的に早いの」
「でも、おふたりとも特別打牌スピードを速くしている、という訳でもありませんよね」
それどころか、両者ともゲーム中に和やかな談笑すらも挟みつつ、この記録な訳だから、やはり彼らとあかねらでは、その本走の仕方に決定的な差があるに違いない。そう勘付いて、あかねは、半荘あたりにかかる時間はメンバーの操作のかなうところである、という結論に至った。
「それでね、東出さんの打っているところを、いつもは手牌だけに絞って見てたんだけど、もうすこし遠いところから観察してみたんだ。それと、今日の四方津さんのも」
あかねが今日じっと華の本走を見つめていたのは、決して暇にあかせてサボってた訳ではないということを断りつつ、
「大事なのは、麻雀を打っている時以外、だと思うの」
「はぁ」
華は、いまひとつ納得がいかない生返事。構わずあかねは続ける。
「点棒の受け渡し、平局してから牌を落とす動作とか、そういう実際に麻雀を打つ時間以外の細かい部分をスムーズにできたら、もっと時間を短縮できると思わない?」
雀荘に麻雀を打ちに来ている人間は、麻雀自体に対する集中力は大したものだが、それ以外の部分となると、ぼんやりしていたり、無意識下で作業してしまう者が多い。その間隙を的確に埋めてこその接客業、ともあかねは付け足しておく。
あかねは、これぞ一年間の末に自身で編み出したひとつのメンバー哲学である、とでも言わんばかり胸を張るが、相対する華は、下唇を薄く噛みしめて、あかねの鼻を見つめている。これは、彼女が相手の言に納得していない時に見せる仕草である。
「それにさ、一半荘あたりが短くなれば、収益率もよくなって、お店にとってもいいことじゃないかな、って」
ダメ押しとばかりに、もひとつ言い加えてみるが、なおさら華は唇を噛み、あかねを見つめる両目は、寄り目がちになるほど。精励恪勤の性分である華のことだから、大いに賛同を得られると思っていたばかりに、沈黙が痛い。
「確かに、中井さんのお話は、メンバーの視点としては非の打ちどころなく、ゴールデンタイムの利益にもかなった素晴らしいものに違いないのですが、……」
華が珍しく言い淀む。先輩メンバーたるあかねの自論を反駁することに対する遠慮だろうか。
「お客様からすれば、ひたすらにゲームが早く進行するというのは、一義的に良いこととは言えないような気がします。もちろん、ただ純粋に麻雀を楽しみたい方でしたら、点棒の授受を素早く、平局から次の局のスタートまで速やかにこなしてくれることをありがたく思うかもしれませんが、そうじゃないお客様……原下さんのような方たちからすれば、どうでしょうか」
原下とは、先ほど華が同卓していた、年かさ六十にも至る男性である。週に、一、二回ほどゴールデンタイムに来店し、ビールを飲みながら、また、同卓者とくだらない冗談を言い合ったり、世間話に興じたりしつつ麻雀を打つことを好む。
華の言う通り、彼はただただ麻雀ばかりを楽しみに来ているという訳ではない。仕事が終わり、ちょっとした息抜きがてらに、そのお喋りも込みで、エンターテイメントとして牌に触れている。知的ゲームとしての麻雀は二の次で、コミュニケーションを主眼において、ここへ足を運んできてくれているのである。
「局が終わった後に、自分の手牌と相手の手牌を見比べて、そっちがそんな風になってるんならこれを切ればよかった、なんて、たらればを言う時間すらもすべてメンバーが取り上げてしまうというのは、その……すこし寂しいような気がします」
ゴチンと、おでこに頭突きを見舞われたような気分になる。言葉がない、とはまさにこのことだ。そうだ、麻雀の魅力は、盤上だけにとどまらない。人と打つから、そして実際に対面して打つから、より一層面白いのだ。それを度外視して、卓上のことばかりを優先するのなら、高いゲーム代を払って、雀荘に来る意味がない。
一年間、メンバーとしてどっぷり浸かってきてしまったがたために、この視点がまったく抜け落ちてしまっていた。わずかばかりでも成長したのではないかしら、と思っていた自分を恥じ入るばかりである。入って数カ月の華の方が、よっぽど物事を正しく認識している。
牌が落ちる音。エレベータがせり上がり、積まれていた牌が出てくる音。がらがらと牌がかき回され、ひとつずつ積まれていく音。またどこかの卓で、次の局が始まっている。
その時、華は見てしまった。
失意の底にたたきつけられ、両の掌を握りしめ、何かを堪えている、あかねの必死の形相を。いつも笑顔で、快活で、ともすれば悩みのひとつすら持っていないんじゃないかと思うくらいに、底抜けの明るさでいつもフロア中を駆け回っていたあかねが、こんな顔をするなんて!
「あの、でも、あかねさんの言うことが間違っている、という訳じゃなくってですね。お店自体が、そもそも営利目的なんですから、えっと、その、資本主義社会化におきましては消費者の欲望を創出し続けるのがゲゼルシャフトとしての本懐といいまか、あの、そのぉ……」
すかさずフォローを入れようとするが、もはや華の方も、自身が何を言っているかすらてんでわかっちゃいない。
あわやパニック! と、――
「どうしたのさ、あかねちゃん。元気がないぞ!」
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