先輩メンバーあかね編

第30話 後輩メンバー華



 あかねは、この手のタイプの人間とあまり関わり合いになったことがなかった。高校時代は、騒がしい男子たちと一緒になってバカ騒ぎをしていたし、大学に入ってからも南条のような、やはり華とは正反対と思しき人種とばかりかかずりあいになっていた。

 意図して敬遠していた訳ではないが、いざ目の前に現れて、その上、仕事のノウハウを教えよとまで命じられ、たまらず、あかねは内心狼狽しっぱなしであった。

 どう接すれば機嫌を損なうことがないか、あるいは、機嫌を損ねたとして、どうすれば仲直りができるか。なにもかも手探りの状態で人付き合いを始めるというのは、なかなかに過酷である。


「ところで筒井さん。城崎さんはいついらっしゃるのですか」

「あー、さっきついでに電話したら、起きたところなので半時間ほどかかります。申し訳ありません、だそうだ」

「あの人の寝坊癖は、まだ治っていないんですね……」

「プロとしてリーグ戦や公式対局に出るようになってからは、かなりマシになってたと思うんだがなあ。どうせ待つなら、一本打っていくかい?」

「いえ、結構です。待たせていただきます。中井さんも、どうぞ私にお構いなく、お仕事にお戻りください」


 機先を制されて、あかねは聞こえないように唸った。華と親睦を深めるという理由をつけて今から忙しくなるであろう仕事を、他のメンバーに押し付けてやろうというよこしまな考えを華に見抜かれ、あまつさえ釘を刺されたようで、きまりが悪い。


 なんとか引きつった愛想笑いを浮かべながらカウンターへすっこんだ瞬間に、ドリンクとフードの注文が殺到して、目が、回る、回る。


 あかねはこの現象を、ひそかに飲食ラッシュと呼んでいる。客のうちの一人が、カップ焼きそばなどにおいの強いものを注文すると、その香りに触発されて、ほかのセット客まで続々と同じものを注文しだすのである。

 これの性質たちの悪いところは、すべてのオーダーが同時になされる訳ではなく、段階的に、漸次的に食欲を誘発するために、余計に手間がかかる。しかもこういう時に限って、立ち番がひとりであかねがきりきり舞いする羽目になる。

 カップ焼きそばのソースのにおいも、働き始めのうちは毎度空腹を引き起こしていたが、半年もすればなれ始め、一年も経てば、もはや化学調味料の合成臭となり果てる。


 今日も今日とて、あかねはカップ焼きそばの湯切りした麺にソースを絡める作業に取り掛かっている。慣れたもので、いまは見ずとも麺とソースの混ざり具合が分かる。

 目は客たちを見渡しながら、本日五つ目になるカップ焼きそばを小器用に混ぜている。その立ち上る湯気の向こう側、エレベーターの扉が開いて、見知った姿が飛び込んでくる。


「ましろさん。おはようございます」

「あかねさん、おはようございます……」


 華の待ち人たる城崎ましろは、よほど急いできたのだろうか、肩で息をしている。ソファで不機嫌そうにも見える風に店内の様子を眺めていた華を見つけて、


「申し訳ありません、華さん。城崎ましろ、遅参いたしました」

「いえ、城崎さんの遅刻癖は織り込み済ですので、大丈夫です」


 十歳以上年の離れた少女に、ここまで言われてしまえば、もはやましろも形無しである。

 すみませんすみませんと何度も頭を下げる御年三十三のましろと、それを許す大学一年生、というのは傍から見るに、至極奇妙な光景である。が、その応酬の中で、いままでにこりともしなかった華が、わずかに、口元を緩めた気がした。


「おふたりは、遠縁同士って聞きましたけど、どういう関係なんですか?」


 のべ九つにも上るカップ焼きそばをすべて作り終えたあかねが問いかけると、ましろはしばし悩んでから、


「姉と妹……に近いでしょうか。私がまだ大学生だった頃に、華さんと一緒に暮らしていたんです」

「城崎さんとご家族の方には大変お世話になりました。麻雀も、その時に覚えました」


 家族麻雀というやつだろうか。あかねの家族は、兄のはじめ以外には麻雀を打てる者はおらず、すこしあこがれる。が、あの兄とはあまり同卓したくないとも思う。


「もう、華さんたら、城崎さんだなんて、そんな他人行儀な呼び方されなくても」

「いえ。これからは同じ職場の同僚ですから、やはり馴れ馴れしすぎるのはよくないと思います」


 一刀両断に切り捨てられ、ましろは肩を落とした。


 出会ってから半年間の付き合いで理解したが、ましろはその他人を寄せ付けなさそうな怜悧な容貌に反して、ゴールデンタイムの中で誰よりもフレンドリーで、またフランクな対応を好む。彼女がかつてゴールデンタイムのメンバーであった時からの常連に、「しろちゃん」とあだ名で呼ばれて返事をする様は、子犬のようなかわいげがある。


 むしろ、案外あおいや東出の方が人見知りする性質であったりするもんだから、人間、外見だけではなにも分からない。


「むかしは、ましろちゃんましろちゃんと言って、ずっと一緒にいてくれてたのに……」


 およよと演技っぽく泣き崩れるましろ。さて、これには華はどう反応するのだろうか。


「仕事先では、とういう話です。ですから、城崎さんも、私のことは四方津とお呼びください」


 と、毅然と言い切った。彼女の潔さには好感が持てる。ましろも、いよいよ致し方なしという風に、不承不承、つまらなそうに頷いた。


「四方津さんは、いつからのシフトインになるんですか?」


 ついつい華ちゃんと呼びそうになるのをなんとか飲み込むも、どうにもしっくりこないましろ。


「筒井さんには、来週から火曜日と金曜日に入るように言われています。中井さんのシフトも、その曜日ですか?」

「そうだね。火曜日はましろさんも途中までは一緒だから、私なんかが教えるよりも、ましろさんにたくさん聞いてもらった方がいいかも」

「いえ、筒井さんからは中井さんに教わるようにと言われましたから。よろしくお願いします」


 ましろの腹積もりとしては、苦手な人柄の彼女とは、少しでも浅くお付き合いしたいというものだったが、アテが外れて苦い顔になる。

 こうなってしまってはもう腹をくくるほかない。なに、自分だって人付き合いの不得意な方ではない。それに、実直そうな華のことであるから、こちらが誠心誠意努めていることが伝われば、悪いようにはならないだろう。

 

 ついに後輩ができたあかね。彼女のゴールデンタイムでの生活はまだまだ続く――

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