第12話 初野あおいという人②


 〇


「おつかれさまでーす」


 午前三時きっかりにあかねがゴールデンタイムを後にすると、ちょうどエレベーターを降りたところであおいと鉢合わせた。店を出る直前まで、東出が本走中ながらも恨めしそうな視線をあかねに向けていたが、その意図に気付くべくもなく、さらりとエレベーターに乗り込んだ。


 午前三時の街角は、街自体が眠りに落ちているみたいに静かで、人の気配はほとんどない。時々遠くの幹線道路の方から車のエンジン音が聞こえてくるばかり。空を見上げれば、夏の地平線はそろそろ白みはじめ、神秘的でさえある。


「おつかれ、あかねちゃん。行こっか」


 いつものごとく駐輪場に自転車を取りに行こうとしたところで、あおいにそれを制止せられ、手招きされるままについていくと、車が一台。


「あおいさん、運転できるんですか?」

「そりゃあね。実家が田舎の方だから、車ないと不便だしね」


 さっそうと運転席に乗り込むあおいは、いかにも格好いいお姉さんだ。胸元のサングラスもよく映える。


「あかねちゃんは免許持ってないの?」

「大学に入ったら取ろうと思ってたんですけど、なかなか忙しくって……」


 授業と授業の合間に時間を見つけては麻雀を打ち、アルバイトのない日は集まって麻雀を打っていたあかねは、確かに、多忙な大学生活であったに違いない。


 ほとんど無人の街中を快速で進んでいく車は、どんどんあかねの生活圏内から離れていく。自転車での移動を主とするあかねにとって、車で十分の距離は、すでにちょっとした冒険だ。


「こんな時間に開いてるお店ってあるんですか?」

「車で二十分くらい走ったところにね、焼肉屋があるのよ。焼肉は嫌い?」

「大好きです!」


 牛肉なんてぜいたく品、まさか口にできる日が来るなんて! 焼肉、という言葉を聞いただけで、あかねの口の中はよだれまみれ。ともすれば、じゅるりと音すら聞こえそうだ。


「焼肉なんてもう二度と食べれないかと思ってました……」

「大袈裟すぎよ。あかねちゃんも、もうちょっとフリーに慣れれば、すぐに成績もついてくるわ」

「……私、麻雀下手なんでしょうか」


 あかねの不安げな問いに、あおいは即答しない。唇を二度、三度震わせて、それから、


「下手じゃないわ」


 あおいの答えに、あかねはほっと胸を撫でおろしかける。


「けど」


 続く言葉に、身を強張らせた。


「上手に打とうとしすぎてる、っていうのかな」


 一瞬、あおいの言葉の意味が分からなかった。負けないためには上手に麻雀を打とうとするのは当然のことで、給料が出ないと嘆いている状況で、誰か下手を打とうものか。

 困惑顔のあかねをちらと見て、あおいはすました顔のまま、続ける。


「例えば、自分が子で、場に一枚切れのカンスーピンで聴牌して、先制リーチもなし、仕掛けもない状況で、あかねちゃんならどうする?」

「たぶん、両面になるまで待つか、ほかのところで両面作れるんだったら、カンチャン搭子を落としていくと思います」

「私だったら迷わずリーチ。たぶん、東出くんだって、他のメンバーだってそうする。いまの例えはちょっと極端だったから、もしかしたらあかねちゃんもリーチしてるかもしれないけど、まぁ、そういうこと」


 話の核心が見えてこない。リーチを打つ回数が少ない、ということだろうか。


「ウチのルールだと、一発や裏にご祝儀が付くから、リーチが少ないと祝儀負けする、っていうのも当然あるんだけど、なにより、愚形を信用しなさすぎ。早々にペンチャンやカンチャンを払っているところも、よく見かけたしね」


 ここまで言われるとぐうの音も出ない。確かに、思い返してみれば、愚形を良形になるまでヤミテンにしておこうと思っている内に他家からリーチが掛かり降りたところ、押していれば和了っていた、なんてことも少なくなかった。


「先制打っちゃえば、親だってまっすぐ打ちづらいし、相手からはそれが愚形が良形かなんてわからないんだから、バシバシリーチ打っちゃえばいいの」


 と締めくくって、あおいはブレーキを踏んだ。窓の外では、赤い提灯がほの明るく夜闇を照らしている。

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