第11話 初野あおいという人①


 〇


「という訳で、終わったらごはんいきましょう」


 突然、夕食の誘いを受けて、あかねは当惑した。


 今日も今日とて、あかねは――幸運なことに?――立ち番にかかりっきりで、給料損失の憂き目に遭うことなく、にわかに忙しくなり始めたゴールデンタイムのフロアで、卓掃に勤しんでいた。

 そんな折に、以前と同じように、シフトでもないのにひょっこりと現れたあおいが、不意にそんなことを言い出すものだから、さもありなん。


 今日のあおいは、サロペット、スニーカー、後ろ向きキャップに胸元にはサングラスと、全身マニッシュで、前回の少女っぽさはどこへやら。


「その、お誘いは嬉しいんですけど……」


 とはいえ、あかねにも事情というものがある。むろん、その事情というのは「懐」事情にほかならない。

 昼飯をコーヒー一杯すすって空腹に喘いでいるような女子大生が、そうやすやすと外食に行けるべくもない。


「もちろん。おごりに決まってるじゃない。後輩に出させる先輩なんて、先輩じゃないもの」


 胸を反らして意気揚々とするその財源は、ちなみに一部筒井出資である。


「あおいさん……好き!」


 飢えた女子大生は施しに弱い。あわやあおいに抱きつきそうになるのを何とか堪えて、振り返って時計を見ると、午前一時、残り二時間。なんだか、無性にお腹が減ってきたような気がする。


「それじゃまたあとで来るから。ちゃんと働くのよ?」

「はい!」


 ふんすと鼻息荒く、勤務後のお楽しみを心の支えにあかねは一層やる気をみなぎらせる。手を振ってエレベーターに乗り込むあおいを見送って、ふと、あかねは不思議なことに気が付いた。


 こんな時刻から、あおいはいったいどこへ行くというのだろうか。

 そもそもこんな時間までなにをしていたのだろうか。女性のひとり歩きに危うい時間帯である。


(改めて考えてみると、ふだんのみんなってどうしてるんだろう)


 ゴールデンタイムが現在抱えるアルバイトの人数は十五人。中には、週末一日しかシフトに入っていない人や、東出のようにほぼ毎日出勤している人もいる。ちなみにあかねは週三日、あおいもまた同様である。

 東出は、自分自身で一人暮らしのフリーターと言っていた。ごく稀にある休みの日にはパチンコに行くか、彼女とデートしているのだそうだ。


 さて、あおいはいったいメンバー業の他に何をしているのだろう。少なくとも、この仕事だけでは、週三シフトでは食っていけないはずだ(たとえ一カ月のトータル成績がプラスでも)。

 あかねこそ、仕送りとして家賃光熱費の類を両親に負担してもらっているから、辛うじて雨風をしのげているものの、それがなければ今頃、公園で新聞紙にくるまっていてもおかしくない。


「あかねちゃーん、ラスト―」

「はーい。すぐ行きまーす」


 にわかにフロアが忙しくなってきて、あかねは思考を切った。残り二時間、笑顔で乗り切ろう。

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