幕間 麻雀小噺編

第48話 麻雀と集中力


 〇


 雀荘ゴールデンタイムの昼下がりは、存外にけだるい日が多い。日曜日であれば、多少の賑わいを見せることもあるが、平日の午後二時、三時などは、フリーが立たないことすらあるのだから。


 とはいえ、ただやたらめったらにフリーが立てばよいというものでもなく、仮にメンバー三人入りで、フリーが回ったとして、確かに時間あたりのは増えるかもしれないが、あくまでそれは帳簿の数字であり、虚数と言い換えても差し支えない。

 メンバーへのゲームバックもさることながら、もしも客が一人勝ちなどしてしまえば、店のキャッシュは減る一方ですらある。


 日中、筒井から、店長代理として店を一任されることと相成った東出は、ふらりと客がひとりやってきても、それが常連だった場合フリーを立てないようにしている。彼らは、大概の場合、麻雀を打ちたくってゴールデンタイムを訪れたのではなく、手持無沙汰でやってきたのがほとんどで、乱暴な言い方をしてしまえば、暇さえ潰せれば別に麻雀ができなくってもいいのである。


 そういう訳だから、さきほど退屈そうにあくびすら噛み殺しながらやってきた常連の信濃には、ソファでご待機願っている。とはいえ、ほったらかしという訳ではもちろんなく、彼と年齢が近く、趣味もよく一致しているメンバーと、次のG1レースの予想で、盛り上がっている。


 東出もまたあくびひとつ、煙草に火をつけて、アンニュイそうに紫煙を漏らす。


 雀荘という店舗において、この対応が正しいかどうかは、きっと人によっては、ひどく顰蹙を買うこともあるだろう。

 麻雀屋なのだから、とにかく麻雀を打つべきである、という主張も理解できる。けれど東出は、これでいいと思っている。遮二無二、我武者羅に売り上げを出すだけが、すべてではない。


 煙草の火を灰皿ににじり消したところで、エレベーターの開く音。ふたり目の客の登場である。さすがにフリーを立てようかと、おもむろに立ち上がりかけたところで、


「おはようございまーす。あれ、フリー立ってないんですね」


 今日も今日とて快活に現れたのは、中井あかね。ゴールデンタイムで働き始めて、一年とすこしになるメンバーの女の子で、少し前までは頼りなかったが、後輩が出来てからは、多少見違えるようになった。意欲もあり、モチベーションも高く、麻雀の腕もめきめき成長中で、そろそろ俺も追い抜かれるかなぁ、などと、心にもないことを東出もこぼすことがあった。


「おはよう、中井ちゃん。まぁ、平日の昼間だしね」

「でも、信濃さんいらっしゃってますよね?」

「ああ。まぁね。でも、あっちはあっちで、いま盛り上がってるから」


 あかねが怪訝そうに眉を潜めるが、東出は気付かないふり。


「中井ちゃんは、どうして?」

「学校帰りにちょっと寄ったんです。フリー立ってるなら、ちょっと打たせてもらおうかな、って」


 勤勉実に結構。されどその健気さが、うらやましくもあり、疎ましくもある。もはや東出にとって、麻雀とは打とうと思って打つものではないから。好きかどうかと問われれば、嫌いじゃないとは答えるが、あかねのように溌剌とした笑顔で返答できるかといえば、はなはだ疑問だ。


 特にこの頃、あかねの麻雀モチベーションは高い。誰しもそういう時期というものはあるが、それにしたって、彼女のそれはちょっとしたものである。シフト中だって、隙あらば進んで本走に入りたがるし、今日のように、休みの日にふらりとやってくるのも、今回が初めてではない。


 だから東出も気になって、


「最近、中井ちゃん元気だよね」


 虚を突かれたように、一瞬目をまん丸くさせて、言葉の意図を取りかねている様子だったが、すぐに合点がいったようで、


「えへへ。その実は、ちょっと……これ見てみてください」


 言って、カウンターの中へ入って、あかねが取り出したるは今月、先月の日報をまとめたファイル。中には、その日の麻雀の成績や、フリーの客の名前、セットの組数、それから店の雰囲気など、様々なことが書かれている。

 そのページを、東出にも見えるようにぺらりぺらりとめくりながら、あかねはため息をひとつ。


「いろんな人に麻雀を教えてもらって、確かにむかしよりかは強くなってるとは思うんですけど、最近、ちょっと調子が悪くって……」


 ページを手繰る片手で、電卓がはじき出した数字はマイナス48200。すなわち、先月のあかねの本走における負け額は、五万程度ということ。ここに打った半荘数に応じてゲームバックが入る訳だから、給料に反映される値はもうすこしばかり少なくなる訳だが、だとしても、手痛い負けには違いあるまい。


 しかしながら、東出はあかねの話を半分程度にしか聞いていないし、ましてや、助言などくれてやるつもりはなかった。入って一か月の新米ならともかく、後輩の指導まで行った彼女に投げかけてやる言葉は、もはや東出にはない。


「あれ」


 日報を流し見している内に、ふと東出はあることに気が付いた。あかねから電卓を取り上げ、ページをいちからめくり直し、その数を計上していく。


「あかねちゃん、結構本数打ってるね」


 あかねの一週間の出勤日数は四日の、労働時間は六時間~八時間。月当たりの勤務時間にしてみると、だいたい百二十時間にも満たない。ちなみにこれは東出の半分以下であるが、だというのに、一方で、本走半荘数は、かなり多い。これは、出勤中はほとんど入りっぱなしに近い数字である。


 現在のゴールデンタイムにおいて、女性メンバーは、あまり麻雀を打たせないことを基本方針としている。というのも、やはり本走業務というのは過酷な労働に違いないし、それで貴重な女性に辞められていっては困る、という事情による。

 東出とあかねは、同じ時間に働いていることが多いものの、もう一人前のあかねを常々気にかけている訳でもなく、東出も東出で本走ばかりなので、改めて成績を見るまでは気付かなかった。


「えへへ。その、やっぱり調子の悪い時は、たくさん打って、それで自分の悪いところを見つめ直すのがいいのかなぁ、って」


 なんて、にへら顔であかねは笑う。

 なるほど、なるほど。確かに、一分の理がない訳でもない。が、えてしてそれは、泥沼であることが多い。


 東出は再び煙草に火をつけて、不思議そうに首を傾げるあかねの顔をじっと見つめてみる。


「な、なんですか?」

「うーん……」


 アドバイスなどくれてやるつもりない、と思っていたものの、であかねが潰れてしまうのも口惜しい。否、あるいはこれもまた麻雀の実力の範疇を出ないのかもしれないが、このままではあかねはそれをそれと気付かぬまま、疲弊しきってしまうかもしれない。


「中井ちゃん、麻雀打つの好き?」

「はい、大好きです!」


 両の掌でぐっと握りこぶしを作って、瞳をらんらん輝かせて答えるものだから、東出も苦笑するほかない。、あかねは気付かない。

 あかねと仲の良い、ましろやあおい、華にしたって、彼女らはみな麻雀好きの人間である。麻雀が打てるのなら打てるに越したことはない、という風に考えている。反対に、東出は、むしろ打てないのなら打たない方がいい、くらいの心構えである。斜に構えた見方をするならば、飽いている、倦んでいる、と換言してもよいかもしれない。


 雀荘のメンバーとして、果たしてそのような気構えの善悪は別にして、、東出は、あかねの不調の原因を見抜き得る。


「たまにはさ、麻雀から離れて、ぱーっと遊んできてみたら? 世の中には、麻雀と同じくらいに面白いものもたくさんあるだよ。パチンコやスロットも楽しいし、ゲームセンターへ行ったっていい」

「いえ、でも……私は、まだまだ麻雀が下手だから……」


 迂遠な、婉曲的な物言いではあかねには届かない。頭を抱えたくなるが、なるたけ辛らつな言いざまにならぬよう、言葉を選び選びしながら、


「いまの中井ちゃんに足りてないのはね、――もちろん技量もあるんだけど、たぶん、それ以上に、集中力」

「集中力、……?」


 いまひとつ腑に落ちぬ様子のあかね。それもそのはず、だれだって、麻雀を打っている最中に、余事に気を取られているとは思っていない。


「そう。これを切らさないことが案外難しいんだよね。特にロングで打ってる時とか、入れ替わり立ち替わりが激しい時とか。で、集中力が切れるとどんなことが起こるかと言うと、自分の手牌と河しか見えなくなったり、リーチが入るとリーチ者のことしか考えられなくなったり」


 いわゆる視野狭窄、とも東出は付け足しておく。それでもなおあかねは怪訝そうに眉を潜め、口をもごもごさせているから、


「疲れて集中力が途切れてくるとね、メンタルがやられてる時と同じで、正常な判断ができなくなってくるんだよ。例えば、親のリーチにタンヤオドラ1の愚形で突っ込んじゃうこともあるし、子のリーチに親が無筋を通してるにも関わらず、親の現バリに振り込んじゃうこともある。はたまた、現物があるのに、ツモってきた現物の筋牌をそのまま手拍子で切っちゃって、放銃しちゃう、なんてことも」


 そこまで言ったところで、ようやく東出の真意はあかねに伝わったようで、ふんふんと何度も頷いている。どうやらあかねにも思い当たる節のある様子。


 一年以上雀荘で勤務し、本走もある程度こなすようなメンバーなら、誰しもがぶつかる壁である。多くの者は、自身の技量の未熟さや、運が悪かったなどと、見当違いのところに目を向けるが、往々にして、それ以前の問題である場合がほとんだ。


 あかねにしてみても、確かに実際まだまだ能力不足のことも否めないが、よくよく顔を見てみれば、目元のファンデーションが少し濃い。メンバーとして働いて、学校へ行って、その上空いた時間にまで麻雀を打っていれば、心はともかく体の方が先に音を上げるのは当然である。


「楽しいことをしていてもね、人間、やっぱり疲れるもんなんだよ」


 先輩風を吹かせてお説教、なんて柄にもないことをしてしまって、東出は気後れしながら、あかねから目を逸らして煙草の火を消した。


「ありがとうございます! 東出さん。それじゃあ私、いまから帰ってゆっくり休みます!」


 言って、あかねは、入店と同じような躍然たる足取りのまま、エレベーターに乗り込んだ。その背にひらひらと手を振りながら、


「体を休めるのも、一生懸命かよ、あの子は」


 小さく笑いながら、東出はひとりごちた。


「あれ、あかねちゃん帰っちゃったの? 俺、あの子と麻雀打とうと思ったのに。さては東出が余計なこと言って、それが嫌んなって逃げ出したんだろ」


 競馬談義にもひと段落ついたのか、信濃がおしぼりで顔を拭いながら、電源も入っていない自動卓に腰かける。


「まー、そんなとこっす。最近じゃ、目合わせただけで身構えられることもあるんすよ」


 東出も冗談を言いながら、信濃の対面に座る。それから、卓にスイッチを入れた。


「せっかく麻雀屋に来たんすから、麻雀でもどうっすか?」

「お、東出が珍しくやる気だ。けど、俺がバカ勝ちして、あとで筒井さんに怒られても知らんぞ?」

「望むところっすよ!」

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