第16話 酒を飲んだ次の日の本走はだいたい負ける
〇
翌朝、あかねが目が醒めた時、背中の慣れない感触に思わず身じろぎした。体を起き上がらせようとしたところで、まるで熱を出した時みたいに全身が気だるい。しかも、頭痛まである。
もしかして風邪をひいてしまったのだろうか。この時期はクーラーの冷気に当たって体調を崩しやすいものだが、これではバイトに支障が出てしまう。
重たい瞼をこじ開けて、そしてそこで気が付いた。自分の家ではない。
(あれ、昨日なにしてたっけ。ていうか、ここって)
目の前に広がるのは、知らない真っ白な天井だった。ここはどこ。なぜ、どうして、私はここで横になっているのか。思い出そうとするが、頭の痛みがひどくて、たまらず呻いた。
「あかねちゃん、起きた?」
「あおい、さん」
喉を震わせる自分の声が、あまりにも掠れていて我ながら驚く。それに、口の中が気持ち悪い。歯磨きをせずに眠った翌朝よりも、ひどい味がする。
「あはは、すごい声。昨日のこと、覚えてる?」
「昨日、……」
ゴールデンタイムを上がって、あおいに焼肉をごちそうになり、それから、それから、……。
タンの分厚さに驚いたことは覚えている。ロースの柔らかさも覚えている。四杯目、五杯目のビールジョッキを空にしたことも。
けれど、自分がどうして知らないソファで横になっているかは、さっぱり思い出せない。となれば、結論はひとつ。
「私、酔いつぶれちゃってました?」
「それなりにね」
「す、すみませんっ」
お酒を飲む、ということもまたずいぶん久しぶりのことだったから、加減を仕損じて、すっかり酔いつぶれてしまったということを自覚し、顔から火を噴きそうなくらいに赤面して、穴があったら入りたい、とはこのことだ。
「ここって、あおいさんのおうちですか?」
「そう。ゴールデンタイムから電車で一駅のところだから、あかねちゃんの家からもそんなに遠くないと思うわ」
失礼と思いながらも、あかねは好奇心抑えきれず、あおいの部屋の中をぐるりと見回した。小物や家具の類は少なく、すっきりしている。インテリアといえば、机の上に小さなサボテンの鉢植えが置かれてあるくらい。服やアクセサリが乱雑に散らかっているあかねの部屋とは大違いである。
「あんまり見られると、さすがに照れるんだけど……」
「すみません。でも、なんだかあんまり生活感ないなぁ、って」
「まぁ、あんまり家で何かする、ってこともないからね。お風呂入って着替えて、寝るくらいだもの」
「そんなものですか」
「そんなものよ。キャバクラと雀荘、夜の仕事掛け持ちしてると、どうしても、ね」
少なくとも同じ大学生の下宿先は、あかねの部屋のように散らかっていることが多かったし、小奇麗に掃除していても、部屋の隅には空の酒瓶が転がっていたり、実家から持ってきた大量の荷物に埋め尽くされたりしていることが多かったから、なんとも納得しがたい。
「あかねちゃん、今日出勤でしょ? そろそろ帰って身支度した方がいいんじゃない?」
「えっと、いま何時ですか?」
あおいの差し出したる時計盤の示す時刻を見て、あかねはぞっとした。自分は、いったい何十時間眠りこけていたのか。いくら日曜日とはいえ、いくら酔いつぶれたといえ、寝すぎにもほどがあるというものではないか。
出勤まで、焦るほどではないが、今から家に帰って、お風呂に入って準備をしていたら、時間なんてまたたく間に過ぎていく。
「お暇します! 焼肉、ごちそうさまでした! 泊めてくれて、しかもソファまで貸していただいて、ありがとうございました!」
「気を付けてね。駅は、マンション出て、右に曲がってまっすぐ行ったところ」
玄関まであおいに見送ってもらって、急ぎ足で駅へ向かう。帰り際に、もう一度ぺこりとお辞儀をする。明るいところで見たあおいの顔は、少し疲れていて、余計に申し訳ない気持ちになる。
今度はこっちからなにかごちそうしよう。そのためには、もっと麻雀の負けを減らして、給料を増やさなければ。
胸に、新たな決意を秘めつつ、あかね帰宅。さっとシャワーを浴び、夕飯を食べようとして、しかし材料がないことに気付いて、諦めた。昨日のロースの味を思い出して空腹感を紛らわせようとしたが、一層腹が減るばかり。
ベランダに干しっぱなしの洗濯ものから適当に着替えを見繕う。が、ひと揃えの靴下がどうしても見つからない。部屋の中も探しても、やはり見つからない。洗濯機の中には、いくつもあるというのに!
面倒だからって洗濯を後回し後回しにしていたツケを後悔しながら、結局色の良く似た別々の靴下を履いて、あかねを家を飛び出した。ドタバタしたため、予定よりも時間がない。
立川ビルの前にたどり着いた時、なんとか十五分前で、あかねは深呼吸を二度三度、気分を落ち着ける。
正直、頭はまだ痛い。おまけに体もだるい。なんなら、ベッドに入ってまだまだ眠っていたい。が、顔を両手でパンパン、自分に気合を入れる。まずは大きな声であいさつだ。
「おはようございまーす!」
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