第8話 給料が出ない!⑤
〇
「お給料が出ない……」
あかねは、地の底から響くような、おどろおどろしい声で呻いた。
場所は大学構内カフェテリア。うららかな陽光差し込む昼下がりである。
屋外のテラスで、昼食代わりのコーヒーをひとすすり、テーブルにしなだれかかる。
「なんか、いかにも雀荘のメンバーっぽいやん」
「ぽいじゃなくて、実際メンバーだよー」
対面に座る南条は、たまごサンドイッチをかじって、適当な相槌を打つ。彼女の目の前には、サンドイッチがもう一切れと、デザートのプリン。それからトッピングを盛ったコーヒーフラペチーノ。しっかりした昼食である。
「そんで、お金ないから、昼飯の代わりにコーヒー飲んでるん? コーヒー嫌いちゃうかった?」
「だから、お砂糖とミルクいっぱい入れてる。でも、コーヒー飲むと胃が荒れて、お腹が減らなくなるよ、って先輩のメンバーが言ってたから」
「何杯飲むつもりやねん」
関西訛りの南条は、まさしく大阪からの上京者で、あかねを麻雀に引き込んだひとりである。もう一口、サンドイッチを食べようとしたところで、あかねがよだれでも垂らさんばかりに大口を開けているのを見つけて、しっしっと手で払いのける仕草。
「これで餓死したら、南条のせいだからね!」
「なんでやねん。っていうか、中井ちゃんも下宿やろ? 仕送りないん?」
「あるけど、家賃と光熱費とかだけ……」
「あらま」
つまり、日々の食費や遊交費はアルバイトで稼ぐほかない。
「うー……お腹すいた」
「まぁ、そないなるくらい負けるモンが悪いわな」
「ひどぉい」
先月もまた、給料にほど近い額の負けを喫したあかねは、ゴールデンタイムに雇われる前までのアルバイトの貯金を切り崩して、なんとか生活している。昼食はコーヒーを一杯、夕食はお米をお茶碗半分と安価な冷凍鶏肉を塩コショウで味付けしたもの、朝食はその残り。
「お腹が空いたよー。ナンパンマーン」
「よしよし。ほなウチの顔をお食べ――って、だれがナンパンマンやねん!」
あかね、コーヒーを一口。
「南条って、関西人のクセして、おもしろくないよね」
その一言に、南条は凍り付いた。手に持っていたサンドイッチを指先で握りつぶして、わなわな震えている。
「大阪の人間はな、『おもろない』言われるんが、『死ね』とか『ブス』とか言われるより、傷つくねん……」
コーヒーカップから、ちらりと南条に目をやると、青筋を立てているのが分かる。思わぬ地雷を踏み抜いてしまった。
「もー、知らん。せっかく飯おごったろ思てたのに!」
「えっ、うそ! ごめん! 南条、超おもしろい! もー、おもしろすぎてお腹痛くなってきた! ほら、お腹もおもしろいって言ってる!」
くぅ、と小さく鳴る腹の虫。今日は朝食も抜いてきたので、いよいよあかねも限界である。
「それただの腹の虫やん……。まぁ、その身ぃ切った芸に免じて、今回だけ許したるわ」
残りのサンドイッチを口の中へ押し込みながら、南条は嘆息吐く。が、そのあとに小声で「ほんましばいたろかこいつ」と呟いたのをあかねは聞き逃さなかった。心のメモの四つ目に、関西人におもしろくないは禁句と、消えないようにマジックで書きつけた。
「ほんで、何食べんねん」
「え、いま?」
「そらそやろ。夜はウチもバイトやし。それともコーヒーでぽんぽんいっぱいなん?」
あかねは考えに考える。麻雀を打っている時だって、こんなに頭を使わないだろうというくらいに脳みそをフル回転させて、いま自分が食べたいものを、考える。
ここしばらくはお米と鶏肉だったから、それ以外のものが食べたい。時期は夏真っ盛りなので、冷たくてあっさりしたもの。野菜なんてここしばらく口にしていないから、トマトが食べたい。瑞々しくって栄養価も高い。
結果導き出される答え。その解答にたどり着いた自分に驚きながら、おっかなびっくり、あかねは口を開く。
「冷やし中華が、食べたい……」
「は?」
「冷やし、中華」
「冷やし中華の発祥は、中国とちゃうで?」
「麻雀は関係ないから」
さしもの南条も返答に窮した。当校自慢のカフェテリアには、運動部の連中の胃袋を満足させうるほどの大盛りカレーライスやグルメ気取りの女学生の舌をもうならせるような絶品料理すらある中で、あかねの選択したものは冷やし中華。老婆心というほどのものではないが、本当にそれでいいのか。
「ま、ええわ。買うて来たるわ」
とはいえ、南条は細かいところが気になるものの、立ち入る人間ではない。あっけらかんと了承する。
「おらん間にウチのコーヒー飲んだらしばくで」
「そこまでコーヒー好きじゃないし!」
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