第4話

 マンションから数メートル離れたコンビニの駐車場にビッグスクーターを停めた。ヘルメットを脱ごうとしたところで、僕の行動が黒田に見られているような気持ちになって、思わずマンションを見上げた。どの部屋のカーテンも揺れていなかった、と思うことにした。馬鹿げている。ドライブしていたところ、コンビニに寄りたくなって、そこがたまたま黒田のマンションの近所だっただけの話だ。僕はそう自分に言い聞かせた。

 言い訳を見つけた僕は、いつもよりも勢い良くヘルメットを脱いでシート下に突っ込み、黒田のマンションへ歩き始めた。春の陽気に浮かれたアスファルトの匂いがした。

 見たところ、マンションは建物全体がこじんまりとしている印象を受けた。アパートと呼ぶには大きいが、マンションというにはしょぼい見た目。エントランスには何のセキュリティもなく、とりあえず入ってみることにした。左手に住人のポストがあり、八階建てでワンフロア三世帯であることがわかった。誰も表札に名前を出していなかったので、どこが黒田の部屋なのかはわからなかった。正面のエレベーターをみると、最上階で止まっていた。黒田以外にこの建物に入った人間がいないか、記憶を辿ってみる。

 いってみようか。いや、でも——。

 好奇心とちょっとした恐怖が同時に顔を出した。もし、エレベーター前で鉢合わせしたら? 帰ったばかりですぐに外へ出ることはないだろう。いや、黒田が最上階に住んでいるとなぜ決めつける? 他の住人が最上階へ行ったのかも……。

 気づくと、僕はエレベーターに乗って最上階へ向かっていた。よくよく考えてみると、どうでもいいことだったからだ。黒田にバレてしまったからといって、殺されるわけでもない。ただ、この妙に時給の高いバイトを首になって、またいつもの金欠生活に戻るだけだ。金欠と言えば、ここって家賃いくらなんだろう。大学のセンセイってのも、案外慎ましい生活なんだ……。

 エレベーターから出て、誰もいないL字型の廊下を歩いた。やはり、ドアにも表札はない。表札はないが、右端の部屋が黒田の自宅なのでは、と思った。玄関の傍にやけにオシャレな傘立てが置いてあり、中にはこのマンションの住人には似つかわしくない高級そうな紳士傘が一本、たてかけてあったからだ。その奇妙な風景を、僕はスマートフォンのカメラにおさめて、マンションを後にした。

 入る時は気づかなかったが、マンションのちょうど対角線状の雑居ビルにチェーンのコーヒーショップを見つけた僕は、昔の探偵ドラマや刑事ドラマよろしく、コーヒーでも啜りながらマンションを見張っていようとひらめいた。ちょうど喉も乾いているし、煙草も吸いたい。階段を上がりながら、僕は『探偵物語』のオープニング曲を口ずさんだ。

「いらっしゃいませ。空いているお席へどうぞ」

 母親と同い年くらいの女性に促されて店内を見渡すと、空いているお席ばかりで、ちょっと怯んだ。が、ここで退いてはせっかくのBAD CITYが泣いてしまう。僕は窓際の四人席を堂々と独占することにした。

「メニューをどうぞ」

「あ、すみません」

 妙にうやうやしくメニューを受け取ってしまったことを、ほんのり後悔したものの、気を取り直してアイスコーヒーと灰皿を注文した。

「あら、あなた。未成年じゃないの」と、疑うおばちゃんに免許証を見せながら釈明する時、僕にハードボイルドはまだ早いと痛感した。

 アイスコーヒーをストローで飲みながら、煙草を二本続けて吸った。その間、マンションから目を離さなかったが、出入りする人間は一人もいなかった。店を訪れる者も、またいなく、漫然と弛緩した時間を漂った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る