第3話
大学の講師は自分が興味の無いこと以外は勉強しないんだろう、と僕は思っていた。そうでなければ、講義の時間をもっと面白くて有意義なものに変えようと思うはずだ。いや、もしかすると殆どの講師はそうしようと努めたが報われなかったのかもしれない。聞く耳をもたない大多数のクソガキどもを前に熱弁を振るうことを諦め、わずかにいる勉強熱心な学生の探究心を砕いてきたのかもしれない。
要するに、僕の通う大学の講義はつまらないことばかりだった。哲学科なんて就職活動には役に立たなさそうな学科ということもあったのかもしれない。入学して二ヶ月足らずで、僕は登校しては中庭のベンチで読書をして時間を潰すという行為に耽っていた。退屈な講義への、ささやかな犯行だったのかもしれない。
ある日、僕がいつものベンチに腰掛け、坂口安吾の『堕落論』を読んでいると隣のベンチに一人の男性が座った。横目で盗み見ると、ロボット哲学という胡散臭い講義を教えている黒田准教授だった。黒田は僕の視線に気づくと無精髭に囲まれた口角を少しだけ上げた。
「何を読んでいるの」
急に話しかけられて咄嗟の言葉に詰まった僕の手から文庫本をひょいとつまみ上げて、「坂口安吾か。講義をサボる大学生が読む本っていうのは今も変わらないのかな」とつぶやいた。
「先生も読んでいたんですか」
「うん。まあ、よくわからなかったから途中でやめちゃったけどね」
それは僕も同意見だった。
「面白い?」
「いや、僕もよくわかりません。ただ、大学生の頃とか、その年齢の頃に読んでおいた方がいい本なのかと思って」
黒田は左手で口全体を被うと、少しの間僕を見つめてくすっと笑った。
「本っていうのはいつ読んでもいいもんだよ」
そう言うと黒田はジャケットのポケットから文庫版の『堕落論』を取り出した。
「もっとも、あの頃に読んでおけば良かったと悔やむ本は良い本だと思うね」
その日を境に、僕と黒田はベンチで読書するのが日課になり、僕は彼の講義を受けるようになった。彼はSF小説や映画を講義に用いてくれたから、ロボットといえば『ドラえもん』や『ガンダム』という僕にも分かりやすく、講義はとても面白かった(後日黒田から、『ガンダム』はロボットではないと教えられた)。
そんな彼を尾行するとは思ってもみなかった、と僕は彼がいるであろうマンションの前でぼんやり考えていた。
そして、張り込みにはやっぱりあんパンと牛乳がいるなと思いながら、発信器アプリをオフにした。
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