第2話

 ハンドル中央に設置したスマートフォンをタッチして、アプリを立ち上げた。簡略化された地図上に点滅する赤丸が表示される。それを人差し指で軽く弾くと、ビッグスクーターのハンドルを捻った。

 初めての尾行から一週間。即席素人探偵である僕の尾行は失敗の連続だった。言うは易し、とはまさにこのこと。実際に尾行してみると、近からず遠からずの距離感を一定に保つことは至難の業だし、よしんば保てたとしても信号や交通のタイミングによってはすぐに見失ってしまうし、普通の運転で消費する注意力や集中力は倍近く失われて疲れてしまうし、要するに報酬の二万円は今や夢まぼろし。僕は道路の真ん中であたふたすることに、貴重な時間を費やした。

「頼むぞ、マジで」

 赤丸に向かって神頼み。秋葉原の防犯グッズショップで購入した、アプリ連動型の発信器だ。尾行したい相手につけるだけで、専用アプリにターゲットの現在地がリアルタイム表示される代物。こんなものが街中で売られていることにも、平然と買えてしまうことにも驚きは隠せなかったが、何よりも驚いたのは意地になっている自分だった。楽なアルバイトのはずが、二万円もの出費をしてしまった。でも、きっと大丈夫。これで取り返せるはずだ。

 さてそのターゲット(が運転する自動車)は、大学の駐車場を出て山手方面に向かって、かれこれ20分ほど移動を続けていた。僕の現在地からは数キロ離れていたが、とりあえず発信器を信じた。心なし、気持ちが楽。尾行は一人でやろうとすると失敗するかもしれない。だからといって協力者を募ることもできない。僕は改めてこの尾行にまつわるルールを思い出した。

                 *

 ルール1。尾行のことは他言無用。※SNSやネット掲示板への匿名投稿も禁止。

 ルール2。尾行はターゲットが大学を出てから帰宅するまでの間のみ。※特例もあり。

 ルール3。ターゲットの行動が把握出来る写真を最低三枚は撮影すること。※同じ構図の写真は一枚と見なす。

 ルール4。尾行結果の報告は、尾行終了時点から二十四時間以内に行うこと。※極力、大学構内での接触は避ける。

 ルール5。報酬は二万円。※報告内容に応じて変動あり。

 ルール6。期間は尾行開始から三週間まで。※特例もあり。

「これって、三週間の間、毎日やるんですか」

 ルールがまとめられたメールを眺めながら、テーブルの反対側に座る飯島先輩に聞いた。

「基本はね。あ、でも朝からついてもらいたい時もあるかも。その時は早めに連絡するね」

彼女は半分にカットされた苺が放射状にちりばめられたピンクと赤のパフェを食べながら答えた。僕は二杯目のブレンドを一口啜った。

「ってことは、先輩は二万円をほぼ毎日払うってことですよね」

「うん」

「高すぎませんか」

「そうかな」

およそ三十万もの金をドブに捨てるようなものなのに、その素っ気ない態度に僕はメール画面から顔をあげた。そこには楽し気に苺を頬張ろうとする美女が座っていた。切羽詰まっている感じは微塵もしない。

「……先輩って、そんな金ありましたっけ」

「ずいぶんとストレートに聞くね」

「そりゃ勘ぐりたくもなりますよ」

「それもルールに追加しておこう。ルール7。依頼内容やルールに関する質問は一切しないこと。ね、一口食べる?」

「いりませんよ」

                 *

 自分の見通しの甘さに嫌気が差して、僕は思い出すのを止めた。

 赤丸が移動を止めたのと同じタイミングだった。

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