まるでテープが切れたみたいに、ぷっつりと

「――一ノ瀬クン――大丈夫か――」


 遠くから声が聞こえる。

 うるさいなあ。

 

「――一ノ瀬クン――大丈夫か――」


 あれ? そういや、まだ仕事中じゃなかったっけ?

 もしかして、俺、寝てるのか?

 やっべ、恥ずかしいな。早く起きないと。


「一ノ瀬クン! 一ノ瀬クン! 大丈夫か!?」

 

 そういや、部長会議の日から一ヶ月くらいずっと寝不足だったもんな。

 さすがに根を詰めすぎたかな。

 でも、今日はまだ週報のチェックも終わってないし、明日の営業の準備もできてないし。

 下のコンビニで栄養ドリンクでも買ってこないと。


「一ノ瀬クン!」

「はっ」


 ――いつのまにか、寝てたのか?

 蛍光灯が眩しい。あれ? 寝るにしても、なんで天井を見てるんだ?

 仰向けに寝てたのか?

「あ……、すんません……、なんか寝ちゃってました」

「ああー、よかった……」

 中山さんが安堵した顔を見せる。

 他にも数人が取り囲むように見ていた。

「救急車、呼んだ方がいい……?」

「ほえ? いやいや、そんな」

 ちょっと居眠りしただけで、そんな大げさな。

「営業から帰ってきて、いきなり倒れたんだよ。びっくりしたよ」

「え? 倒れた? 俺が?」

 そんなバカな。

 ……夕方、営業から帰ってきた。そんで、コートを脱いで、カバンを机の上に置いて、パソコンを開いて……。あれ? そこから先を覚えてない。

 まるでテープが切れたみたいに、ぷっつりと記憶が途切れている。

「ごめんよ……。一ノ瀬クンが無理をしてたのはわかってたのに……。今日は帰って休んで。明日も休んでいいから」

「え? いや、そういうわけにもいかないです」

 部長会議で予算修正の発表をされてから一ヶ月。

 みんなで頑張って、なんとか光が見えてきた。

 いま俺が休むわけにはいかない。

 この状況は、俺の責任でもあるんだから。


「そら、あんだけタンカ切っといて、休めんわなあ」


 中山さんの後ろから、不愉快な声が聞こえる。


「中山くんも、甘やかしすぎやで。一ノ瀬はまだ若いんやから、会社のために身をにして働かんと」


 なんでお前がここにいるんだよ。外薗!


「そーですね。ちょこっと疲れただけなんで。で、本部長は何の用件ですか?」

「ん? そら、予算との乖離かいりをどうやって埋めるんか、確認しにきたんや。いまからPDCAやるで」

 は? なに言ってんだこいつは。

「……あ、あの、一ノ瀬クンは営業で動いてもらってますから、案件管理の打ち合わせは僕だけでも十分かと……」

 中山さん、もしかして俺をかばってくれているのか?

「そうもいかんやろ。一ノ瀬は副部長なんやから、管理職としての仕事もしっかりしてもらわんと」

「……で、ですが、彼も疲れてますし」

「なんや、中山くん、ほんまに一ノ瀬を甘やかしすぎやわ。そんなん、本人のためにならんで」

 彼のため。彼女のため。

 俺の嫌いな言い方だ。

 そうやって自分の行動を無批判に正当化する。

「ほら、みんなぁも、はよ仕事に戻り。残業代払っとんのやで。ちゃんとその分の仕事しい」

 てめえが部長のときは残業代も払ってなかっただろうがよ。

 言いたいことが山ほどあるのに、上手く言葉が出てこない。

 まだ脳が寝てんのかよ。

「いつまでも寝転がっとらんと、はよ起きいや」

 言われなくても、起きるっつーの。

 周りの人に支えられて、ゆっくりと立ち上がる。

 足は少しふらつくけど、歩けないほどじゃない。

 ただ、動悸どうきが妙に早い。

「ん、あんがと」

 俺を支えてくれた人の手を離し、パソコンに入っている案件表を確認する。

 くそ。動悸が収まらない。嫌な気分だ。

 中山さんの言う通り、今日は早く帰って寝た方がいいのかもしれない。

「はよ会議室、行くで」

 外薗がこっちを睨んで俺を急かす。

 いまさら細かな案件の説明を外薗にしたところで、何の意味もない。

 いちゃもんを付けられて、それだけだ。何の生産性もない。時間と体力の無駄だ。

「あ、あの。一ノ瀬クンは、明日の営業準備をしてもらいたいので。そ、それが、営業部のパフォーマンスを一番発揮できる形、だと思う、ので……」

 だんだん小さくなる声だったけど、中山さんが外薗に言ってくれた。

 今度は、はっきりとかばってくれた。

 不意に泣きそうになってしまう。

「なあ、中山くん。おんなじこと言わせんなや。一ノ瀬は管理職なんやで。その責任は負うべきや」

「で、ですが」

「しつこいで!」

 外薗に一喝されて、中山さんは黙ってしまう。

 もう十分です、大丈夫です、ありがとうございます。

 心の中で感謝をしつつ、俺は一つ覚悟を決めた。

 もし、次にぶっ倒れそうになったら、その瞬間にぶん殴ってやる。

 

 そんな物騒なことを本気で考えていたとき。

 見慣れた顔ぶれが。

 懐かしい顔ぶれが。

 並んで部屋に入ってきた。


「こんばんは」

 先頭を歩く銀縁眼鏡の女性が澄んだ声を響かせる。

「人事部労務担当の梅宮です。抜き打ちの職場巡視でお伺いしました」

 梅宮さんの後ろには、丸井くんと伍代くんが俺に向かってヒラヒラと手を振っている。

 俺は手を振り返すことも忘れて、ただ驚くことしかできなかった。

 抜き打ちの職場巡視?

 そんなの初めて聞いたぞ。

「んん? そんなん初めて聞いたで」

 外薗が俺と全く同じ感想を口にする。くそっ、真似しやがって。

「そりゃ、抜き打ちっすから、聞いてるわけないっすよね」

 不敵に笑いながら伍代くんが外薗に言い放つ。

「……なんで人事部と組合が一緒に行動しとんのや? おかしいやろ」

 外薗の言い方はムカつくが、確かにその通りだ。経営協議会以外で人事部と組合が一緒に何か行動をするなんて、どういうことなんだろう。

「別に何もおかしくないですよ」

 丸井くんが外薗の前に出てきて、きっぱりと言った。

「これはです」

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