みんなでひいひい言いながら苦労して登って

「ねえ、あと、どんくらいで、着くの?」

 先頭を行くド派手なブルーのリュックに向けて言う。

「そうっすねー。あと1時間くらい、ってとこっすね」

「ふへぇ。まじかー」

 かれこれ2時間以上登り続けてきた。もう着くだろうと思ってたのに。

 最初は、川が綺麗だの、鳥の鳴き声がするだのと、わいわい喋りながら歩いてきたけど、そんなのは最初の30分くらいで、今はもう景色を楽しむ余裕はない。


「思ったより、きつい、ですね。高尾山って、言うから、もっと観光っぽい、感じだと、思ってました」

 俺の前を歩く黒いリュックが息を切らしながら弱音を吐く。

 ほんとだよ。高尾山って、ケーブルカー使うもんじゃないの?

「せっかくだから、山登りの醍醐味を、経験してもらい、たくて、知る人ぞ知る、登山コースをチョイス、してみたっす。二人とも、運動不足、っすかー? ダメっすよ、ちゃんと日ごろから、身体動かさないと」

 なんだよ! 伍代くんも息切らしてるじゃねえか。

「さすが、ですね。伍代さん。だから、ちゃんとした靴で、来るようにって、言ってたんですね。景色が綺麗で、空気もいいし、確かに山登り、って感じ、がします」

 もう、素直すぎるよ、丸井くん!

 突っ込みたくて仕方ないのに、呼吸が優先されて声を出せない。

 これ、上級者コースじゃないのか? ほとんど人もいないし。


 そんなことを思って周りを見渡すと、後ろからお年寄りの団体が歩いてくるのが見えた。

 どんどんと距離を詰めてくる。

「あら、こんにちはー」

 ぞろぞろと追い抜かれ、去り際にこちらに声をかける余裕まで見せる。

「あ、ども、こんちゃっす」

 伍代くんに続けて、俺と丸井くんも挨拶を交わす。

 団体さんとの距離が開いていくのを見て、伍代くんが言う。

「まあ、俺らは俺らの、ペースで行きましょ! こういうのは、勝ち負けじゃ、ないっす!」

 それはそうなんだけど、それでも妙な敗北感に包まれる。

 自分の足元に目を落とす。買ったばかりのトレッキングシューズが、土埃で汚れている。

 いくら装備を整えたからって、急に登山できるようになるわけじゃないんだよな。考えれば当たり前のことなのに。高いシューズを履いて、なんだかやれる気になってしまっていた。


 ああ、そうか。

 仕事だってそうだ。

 いきなり管理職っていう装備を渡されて、着てはみたもののそれに振り回されて。自分の実力以上のことをしようとして。

 それで息切れしてしまって。

 くっそ、だっせえな。


「ねえ、丸井さん、好きな女優は、誰っすか?」

「ええ? どうしたん、ですか、突然」

 前で二人が雑談を始める。

 二人とも若いなあ。俺はそんな体力残ってないのに。

「疲れてきて、口数が減りそうな、ときこそ、どうでもいい、お喋りをするんす。これが山登りの、後半戦を、乗り切る、コツっす!」

「へえ! そうなんですね!」

「いや、いまふと、そう思っただけ、なんすけどね」

「思いつきかよ!」

 あ、つい、突っ込んでしまった。

「おー、一ノ瀬さん、元気出てきたじゃ、ないっすか。じゃあ一ノ瀬さんの、好きな女優は、誰っすか?」

「俺か? そうだな。……仲間、由紀恵」

「あーー、一ノ瀬さん、お姉さんタイプ好きそう!」

「たしかに!」

 二人とも妙に盛り上がる。

「年上の彼女を、バイクの後ろに、乗せて走りたいね」

「あーー、わかるーーー!」

「いいですねえ!」

 思った以上に理解してもらえた。

「すげえクールなのに、自分にだけには、違う面を見せて、くれるとグッ、とくるね」

「あーー、それサイコーっすわー!」

「あ、……そう、ですね」

 ん? 丸井くん、どうした?

 なんか顔が赤いぞ。もしかして――。

「お! 着いたっすよ!」


 急に野原のような場所に出る。


 視界が開けて、目の前に広がるのは青と緑と紅。

 広い青空には雲一つなく。

 雄大な山並の中で、ぽつぽつ紅葉が存在を主張する。

 麓の街は豆粒のように小さい。


「やっべえな、これ」

「綺麗……ですね」

「でしょ! 来てよかったでしょ!」

「ああ、来てよかった」


 景色を綺麗だと感じるだけじゃない。

 山の匂い。風の音。空気の味。

 身体全体がほうけているような、そんな気分だ。


「ケーブルカーで来てたら、こうはいかないんすよ。みんなでひいひい言いながら苦労して登ってくるから、この景色を存分に味わえるんす。この感動、もう忘れないっしょ?」

 そうだな。ご年配の団体さんにどんどん抜かされた話なんて、いい酒のネタになる。

 一人で来てたとしても、きっとこんな風には思えなかった。


「……あれ? 一ノ瀬さん、目が潤んでるっすよ?」

「は? ばっか、泣いてねえよ! 太陽がまぶしくてさ!」

「あ、丸井さんももらい泣きしてるっすよ!」

「ち、違います! 太陽がまぶしくて!」

「俺のマネすんなよ!」

「あ、やべ、俺もなんか泣けてきたっす」


 なんだ、この三人組は。

 周りからみたら、怪しすぎるだろ。


 俺はなんで勝手に線引きしてたんだろう。

 俺はなんで距離を置こうとしてたんだろう。

 管理職とか、組合とか、関係ない。

 同じ会社で一緒に働いてる仲間なのに。

 

「あのさ、伍代くん。仕事のことで、ちょっと頼みがあるんだけど」


 一人じゃ登れないなら、みんなで一緒に苦労して登ればいい。

 こいつらは、それに付き合ってくれるんだから。

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