第3話 書記長の丸井です

開封する前から、きな臭い空気が漂ってくる

 俺が組合書記局に来てから、あっという間に二ヶ月が過ぎた。

 夏季休暇も終わり、会社全体が休み惚けの状態から少しずつ脱却しようとしている。

 そんなとき、書記長のアドレス宛に一通のメールが届いた。


 メールのタイトルは『弊部署におけるマタハラについて』と付けられている。

 開封する前から、きな臭い空気が漂ってくる。

 一呼吸を置いて、メールを開く。


 差出人の名前は、清洲功夫きよすいさお。聞いたことがない人だ。ただ、書記局にメールを送るということは組合員なんだろう。

 やたらと長文のメールだったが、内容を要約すると、以下の通りだ。

 営業部に産休明けの女性がおり、その人が子供の看病などの理由で遅刻や早退をすると、部長があからさまに嫌な顔をしている。そのため、営業部内の雰囲気が悪くなり、引いては会社全体のためにならない。即刻、労働組合として、この部長を糾弾せよ。

 そんな内容だった。


 マタニティハラスメント。

 妊娠・出産・育児などを理由に、嫌がらせや不利益な対応を受けること。

 もちろん、セクハラと同様、このハラスメントについては法律で禁止されている。2017年1月には、法改正によってハラスメントの防止措置を取ることも事業主に義務化された。つまり、会社側がしっかりとハラスメント防止に努めなくてはならない。多くの会社がそうであるように、この会社でも懲戒処分の対象項目に、このハラスメントが新たに加わっている。

 そういう意味では、マタハラをする者に対して懲戒処分を求め糾弾する、というのは正しいのかもしれない。だが、このメールだけでは判断がつかない。もう少しいろんな人から話を聞かなければ。

 とにかく、今日はちょうど執行委員会の日だ。まずは執行部で共有をしよう。



「あー、清洲さんかー」

「清洲くんねえ。悪い人じゃないんだけどねえ」

「またっすか。夏だからっすかね」

「いつ以来かしらね。半年振りくらいかしら?」


 予定通り18時から開かれた執行委員会の中でみんなに相談したところ、意外な反応が一斉に返ってきた。


「あれ? みなさん、ご存知なんですか? この清洲さんって方のこと」

「あー、まあ、なんていうか、常連さん? みたいな?」

 一ノ瀬さんが珍しく口ごもる。

「清洲さんは、ことあるごとに組合になんやかんや言ってくるんすよ。細かいことでセクハラだのパワハラだの。その前に自分がちゃんと仕事しろっての」

 いつも明るい伍代さんが辛辣な口調で言う。

「……女性からしても、あまり気を遣われ過ぎると、逆に気を遣うんですよね……」

 あの朗らかな篠原さんが困惑した顔を見せる。

「悪い人じゃないんだよ。ないんだけど、ちょっとズレてるんだよなぁ」

 杉本さんの穏やかな顔が曇る。

「ええと、つまり、“問題児”ってことですか?」

「おおい! 丸井くん、率直に言い過ぎ! ……でも、まあ、端的に言えばそういうこと」

 なるほど。なんとなく事情は察した。

「とはいえ、組合員からの報告を無視するわけにもいきませんよね。清洲さんの部署の人にヒアリングしてみます?」

「まあ、そうだね。清洲さんが言ってきてるってことは、何かしらのキッカケがあったわけだろうしね」

 そう。いくら評判が悪かろうが、勝手に決めつけるのはよくない。

「では、とりあえず周りの人に聞いてみます。あ、そういえば清洲さんってどこの部署に所属なんでしょう? メールには書いてなくって」

「ああ、イントラを見て確認した方がいいかな。いろんな部署を転々としてるみたいだから」

 様々な部署を短いタームで渡り歩く人。たらい回しにされる、という表現が正しいのかもしれない。そういう人がいるという噂は聞いたことがあったが、本当にいたとは。そんな扱いに対して本人は文句を言わないのだろうか。いや、むしろ本人から文句を言って異動をするのか。どちらにせよ、根が深い。

 悶々と考えてしまうが、手は動かす。会社のイントラのページを開き、組織図から名前を検索する。

「ええと、あ、いました。えっと……え?」

「ん? どしたん?」


 PCに浮かぶ部署名を見て、言葉に詰まってしまった。


 第三営業部。

 俺が二ヶ月前までいた部署だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る