<伝説の勇者06>潜入、魔王城!

 転移した先は、魔大陸の端にある半島の先端に立つ古びた修道院の離れだった。その離れから天井のついた回廊を通って修道院の本館に移動しているときに、回廊の途中に目に見えないものの強力な魔力を感じた。


 なるほど……恐らくこれは転移を妨害している結界の魔力だろう。魔大陸の中で、修道院の離れの部分だけが転移阻止結界の外になるようにしてあるわけだ。この結界は転移だけを妨害するようで、歩いて通る分にはそのまま何事もなく通過できた。


 そして、本館には別の転送魔法陣があった。ここから魔王城へ直行できるのだという。こちらはコボルドの神官が操作する転送魔法陣に入ると、すぐに転送が行われ、あっさりと魔王城の転送の間に着く。


 魔王城。かつて、私が仲間たちと乗り込んだ悪の巣窟。暗く、冷たく、おどろおどろしい雰囲気に包まれ、えた匂いと不快な湿気が漂う不気味な建物だった。


 ……のは、二百八十五年前の話だったようだ。


 天井から下がった光魔法の照明器具が明るく照らし出す室内はチリひとつ落ちておらず清潔そのもの。天井付近に設置された換気扇が新鮮でほどよい温度の空気を送り込んでいて、変な匂いなぞまったくない……どころか、かすかに鎮静効果のあるラベンダーの香りが漂ってきている。室内を見回してみると、部屋の片隅にアロマポットが置いてあった。


「随分と清潔で、いい香りがしていますね」


「大輝……グレートシャイン陛下は、労働環境を整えることに熱心ですからね。よい仕事はよい環境から生まれるとか言ってましたね。労働環境法も作ったみたいですけど、まず魔王城から率先して環境を整えてるそうですよ。さ、こっちです」


 記憶の中の魔王城と余りにも異なっていたので思わず健君に話しかけてしまったのだが、これも大輝の仕業だったようだ。そのまま健君に先導されて後をついていったものの、見るものすべてが驚きだった。


 スーツにワイシャツ、ネクタイをピシリと着こなしてきびきびと働くゴブリンやコボルド、オークなどの魔物たち。それに混ざって働く人間やエルフ、ドワーフなどの人類の姿も少なくない。


 多くの書類を抱えて忙しそうに動き回る魔物や人々の姿は、霞ヶ関の中央官庁街で働く公務員たちを思い起こさせる。いや、実際にここは魔王国の中心官庁であり、彼らは魔王国の行政の中枢を担う公務員たちなのだろう。


 かつては迷宮として我々の行く手を阻んだ複雑な構造は取り払われており、行政の円滑な運用のためか直線的に作り直された廊下になっている。そんな廊下を通って着いた突き当たりには両開きの扉があり、その上にはこの世界の数字が規則正しく並んでる。どう見てもこれは……


「これはエレベーターという魔道具ですよ。中に入ると上の階まで運んでくれるんです」


「そうなんですか。凄い仕掛けですね」


 健君の解説に驚いたフリをしつつ、エレベーターに乗り込む。健君が最上階のボタンを押すと、エレベーターはゆっくりと上昇を始めた。


 チーンという鐘の音と共にエレベーターが止まる。開いた扉の先には、豪奢な赤絨毯が敷いてあった。その先にある大きな扉には、麗々しく「魔王執務室」というドアプレートがかかっている。


「さあ、どうぞ」


 促されてエレベーターを出ると、健君はずんずんと進み、魔王執務室のドアをノックした。


「はーい、どなたですか?」


 室内から、聞き覚えのある声が誰何すいかしてきた。この声は、鈴木未来……隣家の娘で、大輝の彼女だ。魔王の奴隷にされているという話だったが、魔王が大輝であるとわかった以上、その話もまったく違う意味をもってきている。


 魔王妃フューチャー。名前からしても彼女のことだろう。奴隷どころか、魔王に次ぐ魔王国のナンバーツーとして働いているとしか思えない。


「未来、俺だよ。健だ」


「あーっ、健ったら、ここ四日間もどこほっつき歩いてたのよ!? こっちは大変なことになってるんだから!」


「食べ歩きしてたんだよ。こっちの食い物は不味いのが多いけど、郷土料理なら何件か美味い料理屋があるのを知ってたからさ。俺だって甲子園のプレッシャーって結構大変なんだぜ。どうせ日本じゃ時間の経過が無いんだから、少しぐらい羽を伸ばしてたっていいだろ。それより、大変なことって何だよ? 今の大輝に大変なことなんて無いだろ」


「それが起きちゃったのよ! いいから入って。大輝がすっかりパニックになっちゃってるんだから」


「ええ!? 大輝がパニックって、信じられねえなあ。あの、いつだって沈着冷静な大輝がパニクるなんて、何が起きたんだよ」


 そう言いながら魔王執務室のドアを開けて中に入る健君。それに続いて、私も魔王執務室に足を踏み入れる。


 ふかふかの絨毯が敷かれた室内の奥には、大きな木製のデスクが置かれている。卓上には書類やペンが散乱しており、「魔王」と書かれた三角錐の役職札も倒れている。少し離れた横の方に小ぶりなデスクも置かれており、こちらはきちんと整理された卓上に「魔王妃」と書かれた三角錐の役職札が立っている。


 その席の主はというと、魔王……大輝の方は部屋の中を頭を抱えてうろつき回っており、魔王妃こと未来ちゃんは自分の席の側に立って半ば呆れたような顔で魔王を眺めていた。二人ともスーツ姿である。大輝が、あの魔王の鎧兜姿だったらどうしようかと思ったのだが、さすがに執務中はあのような格好はしていないようだ。


「あれ、そちらはどな……た!?」


 私の方を見た未来ちゃんの顔が驚愕で固まる。そんな様子を面白そうに見ながら健君が答えた。


「テキサス大森林出身のマックさんってエルフの冒険者さ。どうだ、驚いたろ? 大輝の親父さんそっくりなんで連れてきたんだ」


 それを聞いて、硬直していた未来ちゃんが口の前に両拳を揃えて絶叫する。


「違う、それ、絶対違うーっ! この人、本物のお義父様よぉっっっ!!」


 さすがに幼い頃から私を見知っているだけあって、一目で私の正体を看破したようだ。その叫びを聞いた大輝の動きがピタリと止まる。そして、ギギギという擬音が出そうなギクシャクとした動きで、私の方を見た。


「と、父さ……ん?」


「え、え、え?」


 そんな大輝を見て、何が何だかわからないという顔で私の方を見る健君。


 その二人に対して、私はゆっくりとうなずいてから口を開いた。


「騙してすまなかったね、健君。そうだ、私だよ。佐藤誠、君の父親だ、大輝……それとも、ここではこう呼ぼうか? 魔王グレートシャイン、と」

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