第四章 焼逐梅  PART4

  4.



  ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 


 20年前のホワイトクリスマス。


 荒川区の結婚式場で火が放たれ、足立区で訓練していた俺の所属部隊は現場に急行した。


 場所は梅雪が務めていた式場であり、要救助者の想定数を聞きながら、必ず彼女はそこにいると覚悟を決めた。


 だが都内の交通は雪に弱く、簡単に麻痺してしまう。連絡を受けて20分も多く時間を要して辿り着いた現場は三階から火の車になっていた。



 ……必ず、助けて見せる。



 そう誓いながらも、胸の中は不安でいっぱいだった。式場の見取り図はあらかじめ頭に入っていたのだが、バブル期に建てられたため、緊急に使用する動線が甘く作られていたのだ。要救助者が固まっている場所に辿り着く頃には、俺の体は熱く酸素ボンベも尽きそうになっていた。



 ……梅雪の姿が、見えない。



 いるはずだと思っていた場所に彼女はおらず、俺は再び捜索に入った。いつもは小学校に通っている麻里が冬休みでここにいるのではないか、という漠然とした不安が溢れていた。


 携帯もないこの時代に、連絡を取り合うことは難しい。がむしゃらに走り続け、キッズスペースがある四階へと向かうと、梅雪と瀕死の状態でいる子供が二人いた。




「大丈夫だからな、麻里、梅雪。絶対に助かるからな。君、名前は?」



「しおり……しきしおり……」



「しおりちゃんか、いい名前だね。君は俺が救う。だから安心してくれ」



「……うん、ありがとう。おじさん」



 ……三人の命を必ず守る。俺の命が尽きようとも。



 麻里を左腕に抱え、もう一人の子供を右腕に抱え脱出を試みたが、すでに退路は断たれていた。非常口が適切に作られておらず、不完全なスプリンクラーの作動だけでは一向に火は消えない。


「えーこちら、冬野。要救助者3名、確保。場所は四階にあるキッズスペース。どうぞ」


「了解。3階の救助者を搬送後、そちらへ向かう。どうぞ」


「了解」



 無線を繋ぎ同僚へ確認する。後は救助しやすい場所を確保するだけだ。



「大丈夫、今、連絡がついた。時期に助けが来るぞ。だからそれまでの辛抱だ」



「……ほんと?」



「ああ。心配しなくていい。おじさんは今までたくさんの人を救ってきたからな。今回だって大丈夫だ」


「そうなんだよ」


 麻里が小さく頷きながらもしおりちゃんを励ます。


「お父さんはヒーローだから、絶対に助かるよ」


「うん。頑張るね」



 ……せめて屋上に行く扉さえ開いていれば。



 冷静に状況を観察しながら策を練り上げていく。下から仲間が上がってくるにはまだ時間が掛かるだろう。はしご車を使うにしても窓が開いていないため、酸素を入れ込み爆発する危険性がある。せめて救出しやすい状況を作れれば生存率は上がるのだが。



 ……ああ。今日はこの日だったのか。



  崩れた瓦礫の中で、カレンダーの二重丸が再び目を引く。俺達家族は全てこの日が絡んでいた。出会いから友人、恋人、家族となり、娘として生まれた麻里の誕生日まで連鎖していた。



  ……このまま三人の救助はきつい。早く他の人員を呼ばなければ。



 身内は後回し、新人時代から耳にタコができるくらいに聞いた教訓だ。しおりちゃんを優先的にマスクを回し、次に麻里、梅雪とローテーションを繰り返していく。



  ……まあ、この日に死ねるのなら悪くもない。



無呼吸状態が続いたためか救命士としての役割を放棄し、心の中は満足していた。レスキュー隊員として名を馳せ、それ以上の目標もなくうぬぼれていた。家族を失う辛さよりも、現状を変えられない人生に終止符を打ってもいいのだと脳が囁いていた。



 ……この子には悪いが、もう助かる確率は低い。



 空気が乾燥しており、火の勢いは止まらない。すでに作業時間は30分以上掛かっている、今までの勘が無常にも生命のタイムリミットを推し量っていく。



 ……すまない、君一人だけだったらまだ助かる方法もあったのに。



 右手に抱えた要救助者の子供への懺悔もむなしく意識が朦朧としていく。次に意識を繋いだのは無線が鳴ってからだった。



「えー、冬野隊員。聞こえますか? こちら四階に到着しました。状況を教えて下さい、どうぞ」



 ……ああ、助かるのか、俺は。



 同僚の声を感じ取ると、一瞬にして気が緩んだ。座り込んでいた足腰に力を入れ、周りを見渡すとレスキュー隊員の証であるオレンジの防護服が見えた。



 ……ん。やけに身体が軽いな。

 

 背中には酸素ボンベがあり、両腕には子供が……しかいなかった。




 「……おとうさん、熱いよぉぉぉお」




 目を凝らすと、娘の麻里に火が灯っていた。焼け漕がれた木の柱が彼女を直撃し無残にも火は強まっていく。



「熱い、熱いよお、おとうさん、助けてよぉぉおおお」



「……麻里、麻里」



燃え尽きていく彼女を左手だけで掴む。全ての感覚が逆流し、体中が震えていく。




 ……俺は一体、何をしている。早く助けなければ。




 右手でも麻里を掴もうとするが、もう一人の子供に手を掴まれて動かせない。



「おじさん、駄目だよ。おじさんが死んじゃう!」



「何をいってる! 掴まなければ麻里が……」



「もう駄目だよ……無理だよぉ」



「斗磨さん! 腕を離して下さいっ!!」



同僚に腕を引き離され、左腕に燃え移った火の粉が払われていく。体の温度よりも心が凍るように冷えていく。



「……ああ。麻里、麻里……」



彼女の体が全て火に包まれていく。マスクを外し彼女へ目をやると、そこには消し炭になった小さな肉塊があるだけだった。



「斗磨さん、娘さんは立派な最期でした。あなたを救うためにになったんですよ」



 ……麻里は死んだ? 俺のせいで? 嘘だろう?



 煙で目をやられ、彼女の声も届かず、残った感覚は痺れる左腕と爛れた肉の焼けた匂いだけだった。



「そんな訳がない。麻里はここにいるじゃないか。俺の腕の中でうずくまって眠ってたんだ。麻里が、麻里が、死ぬなんてあるはずが……」


「冬野さん……」


「麻里はどこにいるんだ? なあ、隠さなくていい。怒らないから教えてくれよ。なあ、麻里はどこにいるんだよ、麻里……、まりぃぃぃいぃぃはぁあああ、どこだあああああ」



 ……こんな世界は嘘だ。




 心臓が嫌なほど鼓動を加速していく。俺の生き甲斐としていた仕事を娘に奪われ、障害を残したまま生きていく世界なんて、真実であるはずがない。



「あなた、ごめんなさい。私が……職場に連れて来なければこんなことに……」



「いや、お前のせいじゃない。全ては俺が……俺が……」



「あの子は本当に立派な子よ。あなたを見て育ったんですもの。だから最期は私達を守ってくれた、ねえ、そうでしょう?」


「ああ、麻里は立派だった。麻里は、俺の自慢の娘だった……」



「嘘つき」



「し、しおりちゃん?」



「おじさんの……、まりちゃんが……まりちゃんの方がのヒーローだったんでしょ?」




 

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