第四章 焼逐梅 PART2
2.
「……起きてたか」
「あなた。今日も来てくれたのね、ありがとう」
厚手のジャンバーを抜きながら花束を差し出すと、
「わあ、もうチューリップがあるのね。それにスイートピーも変わった色で綺麗」
「いつも同じ反応をありがとう」
口元を歪めながら花屋から受けた言葉をそのまま返す。
「花屋は季節を先取りできるからな。同じ花でもいいから違う品種を持ってこいといったのはお前だろう?」
「そうだけど、きちんと約束を守ってくれるのは嬉しいわ」
彼女はそういって小さく微笑む。
「毎年、不安になるのよ。今年は持ってきてくれるかなってね。でもあなたは裏切らないから、私はいつも幸せでいれるの」
妻の笑顔を見る度に、40年の時が遡っていく。褐色がいい肌に緩いえくぼを見せつけられて、今でも動揺を隠せない。その姿に変わらない思いが焚きつけられていく。
「……そんなことはないさ。しかしここは暑いな」
もう一枚長袖を脱ぎ、椅子に座る。彼女の病室は個室で、湿度も温度も高く蒸し暑い。
梅雪は俺の左腕を見ると、目を反らすようにして冷蔵庫を指差した。
「ごめんね、冷たいお茶ならそこにあるわ」
「ああ、頂こう」
冬の寒空を眺めながら、冷えた緑茶のペットボトルの封を切る。師走のこの時期に、定時で上がれるのは浮世離れしており、第二の職業を選んで20年経った今でも違和感を覚えてしまう。
「今年は寒いみたいね。ホワイトクリスマスになるかもしれないといっていたけど、どうなのかしら」
「雪が降ったら、厄介だな。渋滞はひどくなるし、事故は多くなるだろう。あの時みたいに……」
「ごめんなさい」
俺が呟くと、梅雪は再び謝りながら訂正した。
「お見舞いに来てくれて、少しはしゃいじゃった。駄目ね、もうすぐ
「ああ、俺の方こそすまない」
冷えたお茶を口に含むと、枯れた喉に染み渡っていく。黙っていると、ペットボトルが汗をかくように滴を垂らしていくだけにとどまった。彼女の見舞いに来たはずなのに、気を使われては意味がない。
「体調はどうだ?」
「うん、相変わらずね。抗がん剤治療を止めて、息苦しさはなくなったわね。武彦君にも無理をいっちゃったけど、こればっかりはしょうがないしさ」
「そうか、それはよかった……」
……武彦も英断だったに違いない。
友人の
あだ名は松竹梅。常に学年一位をキープしていた俺は、武彦にだけは負けられないプレッシャーの中、勝ち続けてきた。彼が病院の跡継ぎだと知った上でだ。
理由はシンプルで、梅雪にいい所を見せつけたかったからに他ならない。
「今年の冬は持つかしらね……」
梅雪は窓を眺めながらいう。そこには松の葉が枯れずに枝垂れている。
「持たせてくれよ。今年で俺は定年だ。お前がいなくなったら、俺は暇な時間、何をすればいい?」
「私がいなくても、あなたは大丈夫よ」
梅雪はそういって俺の頬に手を触れる。
「あなたはまだ枯れてないわ。これから先、何だってできる人。今でも希望の火を灯しているわ」
「そんなことはない。俺の腕を見たらわかるだろう? 今はペットボトルを開けるのだって一苦労だ。俺はお前がいないと……」
「ねえ、
梅雪の瞳が大きく輝く。彼女と死を前にして交わした約束など忘れられるはずがない。
「……当たり前だ、忘れるわけがないだろう。お前こそ、本当にいいんだな?」
「うん。いつでもあなたに連れ出して貰うのが夢なんだから」
そういって俺達は監視カメラがついた個室で、熱く手を繋ぐ。
「わかった。じゃあ、約束通り、
「うん、お願いします。私もクリスマスまでは……頑張るからね」
彼女の細い腕を掴みながら、あの時に誓った思いを再燃させる。
……俺達の関係は一度、燃え尽きた。次の関係は来世で――。
「ごめんね、あなたを最後まで信じることができなくて……」
「すまない、おまえとの約束を破ってしまった俺が悪い……」
俺達は決してこの世で繋がることはない。
決して潤うことがなくとも、いい。
たとえこの世界で結ばれなくとも、次の
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