第一章 桜花乱満 PART1

  1.



「それではたちばな様のご遺体をこちらの方で、預からせて頂きます」


 社長が話を終えた後、彼と共に棺を担ぐ。故人の体は細くとも、立派な棺が重く腰に響く。


「では、失礼致します」


 寝台車用のハイエースに乗り込むと、ほっと吐息が漏れた。


「春田くん、初日でここに来ることになってびっくりしたでしょ?」


「ええ、それはもう……」


 大きく頷き、震えながらも笑って見せる。逃げ出すことまで考えていたのだが、余りにも多くの人数に囲まれていたため、外に出ることすら適わない状況だったのだ。


「一つ質問をしてもいいでしょうか?」


「ああ、もちろん」


「何でうちの会社に依頼が来たのですか? もしかして……」


 社員が足りてないということは、この葬儀場は極道専用のものなのだろうか。俺の心配を余所に社長は大きく笑って否定した。


「ないない。そうじゃないよ。うちの会長と友人同士だったみたいなのさ。驚かしてごめんね」


「はぁ……」


 ……それはそれで怖いのだが。


そういう方と繋がることがどこの企業でもまかり通っているのだろうか。


 不安げに見ると、社長は再び大きく笑いながら俺の肩を掴んだ。


「大丈夫。見た目は怖いかもしれないけど、逆にいいお客様だよ」


「どうしてですか?」


「問題があったら、あっちだって困るからさ」


 葬儀というものは嫌でも目立つ。人が死ぬことは隠しようがないからだ。だからといって、密葬という形で送り出すとその隙を突かれて組が潰れることもあるらしい。


 葬儀は逃れようのない行事だ。それは極道の人にとっても同じで、疎かにすることはできないらしい。


「そうですか。それならいいんですが、こっちのやり方が気にくわないなどいってこないんですか?」


「それこそないよ。逆に手を貸してくれるくらいだ。自分の親が亡くなったら、何かできることはないかと動くものだろう?」


「……なるほど」


「まあ、気楽に考えてやっていってよ。徐々に慣れていって貰ったらいいからさ。ほい、これでも飲んで」


「あ、ありがとうございます」



 ……いい社長だ。



 冷えたお茶を頂きながら彼の人柄に安心する。葬儀業界はブラックであり人手不足が蔓延していると噂だったが、彼と話す度に心が落ち着いていく。



 ……この社長となら一緒に仕事がやっていけそうだ。



「葬儀は誰もが通る道だからね。この先、君が別の仕事に就くことになったとしても、必ず役に立つことは保証するよ」


「ありがとうございます」


 社長と共に、棺をキャスターに載せてエレベーターで四階の霊安室に向かう。



 ……この人の時間は止まってしまったけど、俺の時間は動き出したんだな。



 桜の花が刻まれた棺を眺めながら肩の力を抜く。内定を得るために躍起になっていたが、今ではその気持ちが嘘のようだ。


 就職浪人して2年、フリーターとして1年バイトしながら求人広告を探し、やっと手に入れた正社員の道だ、今度こそ守り抜いてみせる。


「じゃあ、この中に棺を入れようか」


 棺を担ぎ、人型冷蔵庫のようなケースの中に押し込むと、天井の電気が急に消えた。


「わっ」

 

 驚き声を上げると、社長は目の前にあった小さな蝋燭ろうそくに火を点けながらスイッチを探し始めた。

 

「たまにここの接触が悪くて電気が消えちゃうんだよ。はは、ごめんごめん。悪いけど、そこのスイッチ押してくれる?」


 ……し、心臓に悪いんですけど。


 薄暗い中、スイッチを探すが中々見つからない。踏み込むと、何かに足を取られたようで思うように動かない。


 スイッチを入れ直すと、綺麗に仕上げてきた革靴が灰塗れになっていた。近くには丸い入れ物に大きな足跡が浮かんでいる。


「げ、すいません。これ、なんですか?」


「ああ、それ? 故人の遺灰だよ。処分しないといけなかったけど、ここにあったのかぁ……」


「ええ!?  踏んじゃいましたけど」


「これはまずいことになったね……」


 社長の笑みが消え、途端に胸が苦しくなる。



 ……え、もしかして初日でクビになるの? 俺。



青ざめる俺をよそに社長は大笑いしながら肩を叩き始めた。


「ごめんごめん、うそうそ。これは焼香しょうこうといって、葬儀の時に使うんだ。故人が極楽浄土にいけるよう祈りを捧げるためにね」


「……はぁ。驚かせないで下さいよ」


 首が繋がり深呼吸すると、社長は再び笑みをかみ殺しながら親指を立てた。


「中々いいリアクションだったよ、春田君。この次も頼むね!」


「やめて下さいっ、こんな所でボケられたらマジで怖いですよ。クビになったかと思いました」


「ははっ、ごめんごめん。大丈夫、うちはクビになんてしないよ。というかさせないからね……逃がさないよ……」


 社長の不気味な笑みが暗がりの中で浮かぶ。



 ……こ、怖え。ほ、本当にこの会社でやっていけるのだろうか。



 心の中で激しく燃えていた炎が、目の前の蝋燭のように小さくなっていく気がした。

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