第八章 その七
儀式当日の朝を迎えた。
私は一睡もせずに今置かれた状況を少しでも好転できないものかと画策していた。相変わらず私の屋敷は弥彦に見張られている。怪しい言動は控えるべきであろう。
昨日考えた身代わりを用意するという作戦は既に難しい。そうなるとやはりあの手しか無い。
私はついに決行することを決めた。
そう、三人で逃げるのだ。
屋敷などいらない。
最低限の金を持ち、この村から去る。それしか道がないのだ。
あれから小一時間ほど経っただろうか。銀行の通帳や印鑑、その他重要なもの。それから当面の生活をするための資金。考えられるものは全て準備した。セツと雪子には申し訳がないが私にはもう、これしか考えつかない。
屋敷の中を一人ゆっくり歩きながら今後のことを考える。
「大丈夫だ。私には人脈もある。彼を頼ればなんとかなる。」
これが楽観的な考えであるとは重々承知していた。しかし、誰かの命を犠牲にしてまで生き延びるという手段はやはり間違っていると言わざるをえない。私は、最後の一歩を間違えずに済んだのだ。
そう思いたかった。
「旦那様。すべての準備が整いましたか?」
突然声が響き私は驚いた。
「雪子・・・お前、どうして?」
声の主は確かに昨日、この家から出ていったはずの雪子だった。
「お屋敷には勝手口があります。そこから戻ってきました。」
そう笑顔で答えた。
「馬鹿な。ここにいてはお前にも被害が及ぶかもしれないんだぞ?それに、私がやろうとしていることは・・・」
「分かっています。この村からお逃げになるのでしょう?良いと思います。こんな村のために誰かが犠牲になる必要は無いのです。」
雪子がそういったときの表情は、何かを思い詰めているように見えた。
「旦那様。お食事の準備が整っております。お嬢さまがたも、既にお待ちしておりますよ。」
別の方向から声が聞こえる。
「まさか・・・セツ?どうしてお前まで・・・」
「私はこの高無家に長くお使えして参りました。この度の出来事は私の至らなさゆえのことにございます。最後まで、お使えさせていただきたく・・・」
そう言って恭しく礼をする。
なんということだ。彼女たちにもここまでの決意をさせてしまっていたとは。私は間違っていなかったのかもしれない。ここまで尽くしてくれる彼女たちの誠意はしっかりと伝わってくる。本当に・・・鬼畜にならないで良かった。
「さぁ、旦那様。お食事になさいませんか?」
セツが優しく声をかけてくる。雪子も私の手を引き、食堂へと導いてくれる。なんだろう。今までの人生の中でもっとも至福のときを迎えているような気がしてならない。知らずに涙が溢れてきた。
この屋敷でする最後の食事になるのだろう。愛と舞、それからセツに雪子。そして私。もう、ここでの生活は終わりを告げる。しかし、どうしたことだろう。幼い二人はともかくとして、セツと雪子の表情まで今まで以上に穏やかなものにみえる。
「二人共聞いてくれ。」
私はセツと雪子に声をかけた。
「はい。」
「なんでございましょうか。」
二人は給仕の手を止めて私の顔を見る。本当に穏やかな笑みだ。
私は大きく息を吐いて。
そして、決意を語った。
「私たちはこの村を出る。幸いにして自動車がある。この自動車は先日、海外から手に入れたものだが、五人で乗ってもなんとかなる広さだと思うのだ。弥彦たちはまさか私達が自動車で逃げるとは思っていないだろう。どうかな。みんなで新しい世界へ旅立ってみないか?もちろん、今まで以上に苦労をかけることになると思うのだが。だが、私はお前たちのことも家族だと思っている。だから付いてきてはくれないか。」
一気に話して二人の表情を見る。
「分かりました。」
「承知いたしました。」
二人から私の言葉に従うという返答が得られた。これで、一安心だ。
「ありがとう。君たちの行動には私の一生をかけてでも報いる。だから、本当に・・・ありがとう。」
私は泣いた。こんなにも私達親子のことを思ってくれる二人のことを思って。娘達は不思議そうな顔をして私達三人の顔を交互に見比べていた。
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