第八章 その八
すべての準備は整った。
弥彦たちに見つかること無く、自動車の荷台に荷物を積み込み、屋敷に火を放つ準備もした。この屋敷はもういらない。因果を断ち切るために燃やしてしまう。それが私の結論だった。
「旦那様。もうそろそろお時間にございます。」
セツが優しく声をかけてくる。
「あぁ、そうだな。娘達は?」
「雪子がお車の方へお連れしております。後は火を放ち、旦那様が運転をしていただければ全てが終わります。」
「そうか・・・」
屋敷に火を放つと言っても簡単ではない。小さな火であれば燃え尽きること無く鎮火してしまうであろう。私は一計を案じ、屋敷の至る所に発火装置のようなものを準備した。そうは言っても急ごしらえであるから、爆弾のようなものは手に入らない。ろうそくと紙や衣類と言った燃えやすいものを組み合わせただけのごく単純なものだ。
「では、私が火を付けてまいります。旦那様は車でお待ち下さい。すぐに出立なさらねば、手遅れになりますゆえ。」
そう言ってセツは屋敷の奥へ向かっていく。
「まて、それは私の役目だ。セツは娘達と一緒に自動車で待っていなさい。」
私の言葉を遮るようにセツが言った。
「万が一、失敗があっては大変です。火の使い方はよく存じておりますから。私におまかせくださりませんか。」
一理あるのだが、既に仕掛けはしてある。あとは時間の調整だけで良いのだ。
「大丈夫だ、セツ。君も自動車へ行くんだ。」
「旦那様。今まで、ありがとうございます。このお屋敷に勤めさせていただいて四十数年。とても幸せな毎日でございました。私がいただきましたお給金は雪子に預けてございます。ここはすべて私が引き受けますので、早くお逃げください。」
そう言って恭しく礼をするセツ。
「なにをいってるんだ?」
私がそう言ったとき、セツの手には駐留軍払下げであろう手榴弾が握られていた。
「馬鹿な!何を考えているんだ!」
「火種は多い方が良いでございましょう?幾つか屋敷の中にも仕込ませていただきました。私がとある場所でこれを爆発させればこの屋敷は全て消えます。これは私にしか出来ません。それに、雪子もこのことは存じております。」
「な・・・」
「今回の不始末はお許し頂けますでしょうか・・・」
笑顔を浮かべながら私に許しを請うセツであるが、私はそもそも彼女のことを恨んでもいなければ憎んでもいないのだ。
「何を言っている!そんなこと・・・あるわけがないだろう?私はセツを・・・姉のように思っているのだから!」
「そのお言葉で十分でございます。本当に今までありがとうございました。」
そう言ってセツは再び深々と礼をする。
その時、屋敷の上階から何かの爆発音が響いた。
「こ、これは・・・」
「私が仕込みました。旦那様の発火装置の近くに。ですからもう時間です。」
そう言ってセツは私を突き飛ばす。
「早く行きなさい!丈夫!あなたには守りたい子供がいるんでしょう!」
その言葉は高無家の女中・セツとしてではなく、私が幼い頃によく聞いた姉といてのセツの言葉のようだった。
「セツ・・・ありがとう。」
私はセツの手を強く握り、短く感謝の言葉を伝え、自動車へ走った。
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