第七章 その五

 私の言葉を聞いて少女は一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべた気がした。


「僕かい?・・・僕は君たちが神と呼ぶ存在だよ。そうだね、双子の神って呼ばれたこともあったかな。他にもいろいろな呼び名があったけど・・・この呼ばれ方が一番好きだったかな。」


「神・・・信じられない。」


 麻衣は首をゆっくりと横に振る。


「君が倒れた場所を覚えてるかい?あそこは僕たちの家なんだ。君のお姉さんは毎日通っていた。妹である君の身を案じてね。毎日僕たちに尋ねていたよ。舞は生きているのかって。」


「知らなかった・・・」


 知らずに涙が零れてくる。


「君は今、ある男性に心を惹かれている。彼は大きな運命をもって生まれた人間だ。君との相性もいいはずだ。」


 唐突に話の内容を変える少女。


「な・・・何を言うの?」


「恥ずかしがることはないさ。僕は君の考えがわかるんだ。君のことをずっと見ていたからね。君が惹かれている男性の名前を当てようか?柴田和樹だろう?君と同じ研究室の先輩で大学院の修士課程一年生。今は十月だからあと半年もしたら就職活動だ。彼は研究をしながら就職のことをいつも悩んでいる。彼自身のことをもっと詳しく教えてあげようか?」


 いたずら好きの少女のように自称・神が囁く。その言葉はとても魅力的で・・・麻衣の心を揺さぶってくる。聞きたい・・・その欲望が麻衣の心を支配していく。


「・・・教えて。」


 少女は顔を足元に向けおぞましい笑みを浮かべたが、一瞬で無邪気な笑顔に戻り麻衣を見る。


「いいよ。彼は孤児院育ちだ。おっと、今は孤児院って言わないんだよね。確か児童養護施設っていうんだっけ?名前が違うだけだけどね。あ、ごめん、話が逸れたね。とにかく彼は両親を知らないんだ。柴田っていう夫婦に引き取られるまでその施設で育ってたんだ。」


 知らなかった。柴田先輩がそんな境遇だったなんて・・・


「知らないよね?そりゃそうさ。彼は話さないからね。過去のことを。でも、不思議に思わなかったかい?彼は昔違う苗字を名乗っていたはずだよ?」


「え?そんな・・・先輩はずっと柴田って名乗ってたわ?」


 少女の言うことに間違いがあったことに驚いた。


「あ、そっか。戸籍上の苗字は『柴田』だからね。基本的には柴田って名乗っていたかな。でも、旅先なんかで記名するときは養子に入る前の苗字を記名してたんだ。」


「・・・」


「でもね、大学四年生の時にさ、海外旅行に行って現地で病気にかかったんだよね。死にかけたんだ。何日間か意識不明だったみたいだね。それで、就職に失敗。大学院に進学を決めたんだ。良くわからないけど、その時くらいからだね。彼が誇らしく『柴田和樹』と名乗るようになったのは。彼に名付けられた本当の名前も知らずに・・・」


 少女は自慢げに和樹の過去を話している。その姿に違和感を覚えながらも、その話を聞きながら胸が痛くなる自分を感じていた。


「知らなかった・・・」


「誰にも言ってないみたいだからね。知らなくても当然さ。他にも聞きたいことはある?」


 少女は笑顔を湛えながら麻衣の顔を覗き込む。


「あるけど・・・」


「彼が思っている女性のことだよね。そのくらいわかるよ。僕は神だからね。」


 少女のその言い方に背筋が寒くなるのを感じる。


「・・・うん。」


「彼が思いを寄せている女性・・・一応彼女がいるみたいだね。あと半年くらいで破局すると思うけどね。だから・・・タイミングは今じゃない。彼は・・・今から一年後くらいに事故に巻き込まれる。それこそ生死にかかわる事故だ。君はその時までに今よりほんの少しだけ仲良くなればいい。そして、看病してあげて。彼は三日で意識が戻るから。その時、彼は君のことをとても愛おしく思うはずだ。」


 妙に確信めいた口調で少女が話す。


「そこまで詳しくわかるのは、どうしてなの?」


「それは君には言えない。言えるのはわかるということだけ。ただ、僕を信じていればいいんだ、君はね。」


 そう言って少女は笑みを浮かべながら麻衣の頭を撫でる。ただ、その笑みは優しさをたたえた笑みではなかった。


「さぁ、そろそろ目が覚める時間だ。起きた時もこのことはちゃんと覚えているはずだから大丈夫。僕に会いたくなったらここにおいで。僕はいつもここにいるから。」


 少女の姿が少しずつぼやけてくる。


「待って、まだ聞きたいことがあるの。」


「今はここまでだよ。マイ。またいつか会おう。愛しい・・・」




「え・・・、今なんてっ。」


 目覚めるのと同時に起き上がったせいで梓と頭をぶつける。


「いったぁ。」


「あ・・・梓?」


「よかったぁ~、目が覚めたんだね、麻衣。もうびっくりしたんだからねっ。急に意識を失うんだから。」


 梓の口調はキツイが、それは麻衣のことを本当に心配していたことの裏返しなのだろう。


「わたし・・・どのくらい寝てたの?」


 かなり長い時間夢を見ていた。でも・・・周りを見たところ、あまり時間がたったようには見えない。


「そうね・・・五分?いいとこ十分ってところよ?」


「そう・・・」


 そんなに短い時間だったなんて・・・あれは夢?でも、夢にしてはずいぶんとはっきり覚えているし。不思議な感覚に襲われながら自分が寝ていた社に目を向ける。あの少女はここにいると言ったが、気配は何も感じられない。


「ねぇ、麻衣。本当に大丈夫?」


「大丈夫よ。心配かけてごめんね。で、隆司は?」


 隆司がそばにいないことに今さら気が付いて梓に聞く。


「隆司なら、水を取りに車に行ったわ。それと携帯電話をね。もし、麻衣に何かあったら救急車を呼ぶか何かしなきゃいけないからね。本当に隆司は使える子だわ。」


 梓は腕を組みながら頷く。


「御褒めに預かり光栄です。」


 梓の後ろでワザとらしく声を出す隆司。


「びっくりするじゃないっ、いきなり声をかけないでよ。」


 隆司はその言葉を無視して私に聞き返す。


「頭など痛いところはありませんか?目まいや倦怠感は。」


「大丈夫よ。心配かけてごめん、ありがとう。」


「そうですか・・・でも、安心はできません。しばらくここで休んで様子を見て、それから判断しましょう。」


「ちょっとぉ。麻衣の心配するのはわかるけど、あたしを無視するの?」


「今は優先事項が梓先輩ではなく、麻衣先輩であるだけです。」


 隆司はいつものように飄々と答える。


「そういうことなら、まぁ、いいわ。」


 梓はあっという間に機嫌が良くなったようだ。全く分かりやすい子だ。


「ふふふっ。」


「何よ~、なに笑ってるの?」


「ううん、素直じゃないなって思っただけ。二人ともね。付き合っちゃいなさいよ。」


 笑いながら梓と隆司を交互に見る。


「ちょっと・・・何言ってんのよ。急に・・・」


「なんとなくね。そう思ったの。」


 舞の記憶の一部を思い出したせいで、麻衣は今までの麻衣ではなくなっていたのだが、それに気が付く者はいなかった。

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