第一章 その二

「あれ?向こうから歩いてくる人がいる・・・あれか?いわゆる『第一町人』ってやつか?」


 何処かで聞いたことのある言葉を一人で呟く。徐々に近付いてくるのは女性。それもとびっきりの美人。どことなくこんな田舎町には似つかわしくない、そう思わせるほどに異質な存在に見えた。


「こっちに向かって歩いてくる?もうバスもないし・・・どこに行くんだろう?」


 そう考えているうちにその女性はどんどん近づいてくる。近くで見るとさらにその美しさが際立つ。ただ、なんなのだろう。この得も言われぬ違和感は。


「こんにちは。」


 突然、挨拶をされ驚いたが、なんとか『こんにちは。』と最低限の返事だけはできた。田舎町の道にただ立ち尽くす青年。ある種、異様な光景を作り出していたのは和樹の方だったのかもしれない。


「どちらからいらしたんですか?」


「え・・・?」


「ごめんなさい。こんな田舎の町ですとみんな顔見知りなんですよ。ですから、知らない方を見かけたら・・・ということです。」


 にっこりと笑顔を浮かべながら話しかけてくる。それは見たものを魅了するかのような微笑み。だからと言って怪しさはない。むしろ他人を安心させるような・・・そう、小学校低学年を担当する女性教諭のような優しさ。


 久しぶりの会話がこんな美人とだなんて俺ってツイテルな。だが、和樹はそんなことを考えていた。


「あら、ごめんなさい、私ったら一人で勝手に話し込んでしまって・・・」


 女性はそう言って頭を下げ、立ち去ろうとする。

 ちょっと待て。このまま、こんな会話だけで終わってしまうのは忍びない。もう少し何かを話をしたいし、宿の場所も聞いておきたい。できればお近づきにもなりたいとも思う。


「あ、あの・・・すみません。」


「はい?」


 女性はそう言って笑顔で振り返る。


「あの・・・実は今晩、**っていう宿に泊まる予定だったのですけど・・・場所がわからなくて・・・」


 俺の記憶の中では宿の名前すらおぼろげなのか。


「あら?あそこの宿って今もやっていたかしら・・・」


 女性は左手を軽く握りながら口元へ持っていき、笑顔がみるみる曇っていく。


「え?やってないんですか?」


 しまった。大失敗だ。ちゃんと予約の電話をするべきだった。突然の訪問でも何とかなるんだろうっていう安直な考えはまずかったってことか。


「どうだったかしら・・・確か・・・そうですねぇ・・・先月くらいにあそこのおばあさん、お店を閉めたと思ってたんですけど・・・」


 これは本格的にまずいことになってきた。だから、会社の寮に泊まれるっていう提案があったわけだ。しかし、一度断ってしまった以上、今から泊まりたいなんて言えない。どうしたらいいだろう。本格的な夏でもないし、こんな田舎町なら野宿もありなのか?でも、食事はどうする?コンビニなんてものはどう考えてもなさそうだぞ?


「あの・・・良かったら私の家に泊まりますか?」


 おいおいおいおいおい。

 待て待て待て待て待て。

 渡りに船な申し出ではあるが、それでいいのか?

 今さっき初めて会ったばかりの相手だぞ?女性の部屋に二人っきりってもしかして、その、あれか?朝起きたら『昨日は楽しかったわね。』的な、ムフフな展開が待ってるのか?


 よし。


「あ・・・いや、その・・・もしご迷惑でないのなら・・・」


 かなりやましい期待も見え隠れする和樹だが、女性の方からはそのような考えは微塵も見られない。純粋に親切心から出た言葉の様だ。


「大丈夫ですよ?幸い、空き部屋はいくつもありますから。」


「空き部屋?もしかして、大きな家なんですか?」


 しまった、妄想をしすぎたか。


「えぇ、まぁ・・・あそこの洋館、見えますか?あそこが私の家なんです。」


 え?さっき見たあの立派な洋館?ということはもしかしてお嬢様?もしかしてセバスチャンなる執事とか出てきたりして?


「あそこなんですか?さっき歩いてくるときに見ましたよ。立派なお家なんですね。」


「・・・そうですか?そんなことないですよ・・・」


 女性はほんの少しだけ和樹から目を反らしたのだが、和樹には気が付けなかった。


「いえいえ、だって、僕の家なんて普通の家ですよ?それに比べたら・・・」


「広ければ良いというものでもありませんので・・・」


 確かにそうかもしれない。あれだけの広さがあったなら、掃除なんかも大変なんだろうな。


「あ、それとこのあたりにコンビニは・・・ないですよね・・・」


 苦笑しながら聞いてみる。


「そうですね。さすがにそう言ったものは・・・車で30分くらい行かないとダメですね。」


 車で・・・か。歩いて行けそうな距離ではないよな。これじゃコンビニエンスの語源が全く成り立っていないだろう。


「そうですか・・・」


 あれ?そうなると、この人は一体どこから帰ってきたんだろう?少し気になるような・・・特に荷物も持っていないし。


「あ、ちなみに向こうには何があるんですか?」


 深く考えずに聞いてみる。女性は一瞬だけハッとした表情を見せ、それから何事もなかったようにこういった。


「ちょっと散歩がてらに歩いていただけですよ。海が見えるので。」


「そうでしたか・・・あっちにも何もないんですねぇ。」


「えぇ、でも、大丈夫ですよ?ここからあちらの方に30分ほど歩けば結構立派なお店もありますから。そこで大抵のものはそろいますよ。」


「あ、そうなんですか?じゃ、後で行ってみます。」


 買い物をするだけでかなり歩くことになるけど、それは仕方がない。


「えぇ、それじゃ、一度家へ行ってから一緒に行きましょうか。」


 なんという魅力的なお誘い。というよりありがたいお誘い。断る理由なんてないし、食べるものくらい買いたい。


「それじゃ、厚かましいことですが・・・お願いします。えっと・・・」


「あら、ごめんなさい。私、名前も言ってなかったですね。私、舞っていいます。高梨舞です。」


 高梨舞。そう名乗った女性の微笑みが少し曇っている。しかし、たとえそうであっても彼にはとても見抜けるようなものではなかった。


「あ、すみません。僕も自己紹介してませんでした。柴田和樹って言います。△△大学の院生で就活中なんです。」


 和樹も思い出したかのように自己紹介をする。

 ここまで自己紹介もせずに話していたことが、舞という女性の気持ちをしっかりと現している。下心見え見えの和樹とは大違いだ。


「就活・・・中・・・?えっと、どうしてこんな田舎町に?」


 舞が『こちらなので付いてきてくださいね。』といいながら和樹に問いかけた。


「えっと、この町にはプログラミング会社があるみたいで・・・有名じゃないんですか?」


 和樹は息巻くように答えたが、あれだけの好待遇で新入社員を募集する企業だ。地元ではかなり有名な企業なんだろうと思っていたのが間違いなのかと思いだした。もしかすると『本社は有名じゃないのか?』などと考えてみたりもした。


「そんなところあったかしら・・・。ごめんなさいね。私も割と最近・・・ここに来たのでよくわからないんですよ。」


 そういうことか。最近越してきたというのなら仕方がないかもしれない。一人で勝手に納得する。


「まぁ、そういうものかもしれないですね。でも、実は会社の場所もわからなくて・・・」


 少し呆れたような表情を浮かべる舞。一方和樹は、面白い話が出来たと言わんばかりに得意げな表情を浮かべている。


「あらあら、それは問題ですね。でも、どうしましょう。家にはこの町の地図くらいしかなくて・・・」


 ん?ネットとかもつながっていないのか?まぁ、こういう町だったらそんなもんなのかな?


「あ、地図を見たらわかるかも知れないんで、お願いします。」


 そんな会話をしながら二人は舞の家に向かって一緒に歩いていく。


 和樹は思った。


『なんだろう。この不思議な安心感は。初めて会った気がしない。どうしてだろう。まるで昔からの知り合いのような、そんな感じだ。』と。


 その時の俺は、夢のような出来事を他人事のように漠然と考えていた。

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