寂夢

蛍石 光

寂夢

寂夢 一 『夢のように』

第一章 その一

「次は~、○○町~。○○町~。」


 ワンマンバスの中に次の停留所名を告げる声が響く。ノイズ混じりのアナウンスがひどく聞き取りにくい。乗客は眠っている青年だけ。まるで彼一人のための貸し切りバスのようだ。

 彼はハッとしたようにカバンから小さな紙を取り出す。メモのような紙を見ながらホッとしたように肩をなでおろす。しかし、それもつかの間。またもやそわそわし始める。

 その時だった。


「次は〜、××町〜。××町〜。」


 再びノイズ混じりのアナウンスが流れ青年は荷物を持って立ち上がる。そして何かを探すようにあたりを見回し、ため息を付いてから運転手に声をかける。


「あ、すみません。◇◇から乗ったんですが、いくらになりますか?」


「・・・四百円です。」


 ずいぶんと不愛想な運転手だ。

 しかし、『ありがとうございます。』と言い料金を払っているあたりを見ると、この青年、それなりに育ちが良さそうに見える。


「よし、ここ・・・かぁ。」


 そう一人呟きながら舗装されていない道路に降り立つ。そして周りを見渡してみるが・・・パッと見た限り目立つような背の高い建物が見当たらない。


「どんだけ田舎なんだよ、ここ・・・バスがあるだけましってか?」


 ふと気が付くと、先ほど降りたばかりのバスが全く見えない。音も無く消えてしまったような気がするのは俺の気のせいだろう。俺の名は和樹かずき。大学院の二年生で就職活動中だ。春からスタートしている就活だが結果が出ないと卒業後に路頭に迷ってしまう。早く決まって欲しいのだが、如何せん現実は甘くない。わかっているのだが上手くいかない。


「それにしたって・・・こんなところにあるのか?面接会場は・・・」


 田舎町。明らかにそう呼ぶにふさわしい海辺の町。バスは一日に四往復だけ。電気や水道といったライフラインはきちんと整備されているみたいだが、バス停付近には人の姿が見あたらない。


「なんでこんなとこで面接を受けなきゃいけないんだよ・・・」


 さっきから愚痴しか出ていないが、本人が就職を希望した会社だ。行きたくないなら辞めればいいだけの話だと思うのだが。


「・・・この会社が新人を募集するのは珍しいんだよな。基本的に退職者が出た時しか募集はないし、前回の募集は五年前でたったの一名だしな・・・」


 彼が受験しようとしている会社は、零細企業ではあるが少数精鋭が揃うプログラミング会社。社長の意向で、都市部とは隔絶されたエリアにいくつか事務所を構えていて、この町は本社がある。寮生活で家賃や光熱費は会社持ちで食事付き。さらに、給与は月額三十万円プラス出来高。ボーナスも年二回で六か月分。正直、どこの巨大企業の幹部候補生かと思われる程の待遇。こんな破格の待遇だから条件もさぞかし厳しいのだろうと思いきや、彼は条件はクリアできていた。『自分が書類選考を通過するはずない』と思いながらもエントリーシートを提出したところまさかの結果となったのだった。


「それにしても、どうして俺なんかが受かったんだ?」


 和樹の疑問はどうして書類選考を通過できたのかということだ。そもそも和樹の専攻は情報工学などのプログラミングに関わるものではないのだ。理系大学の修士課程修了以上。これが条件だった。この条件なら日本に毎年何万人もマッチする人間がいるはずなのだが。


「まぁ、運だろうが何だろうがこんなおいしいことはない。せっかく最終面接まで来たんだからやってみるしかないか・・・」


 そう独り言を吐きながら宿に向かう。面接は明日の朝から始まる。そうなると前泊するしかない。田舎町ゆえなのか宿は町に一軒だけ。宿泊先に会社の寮も選択できたのだが、なんとなく・・・特に理由もなく民宿を選んだ。強いて言えば、民宿というものに興味があった。それくらいのものだ。


「あれ?あんなところに立派な建物があるな。まさかあれが本社?」


 和樹が目を向けたのは少し古めに見える洋館だ。何の気なしに左腕の腕時計に目をやる。


「くっそ、この時計・・・壊れてんじゃねーか?」


 腕時計が示す時間は16時33分。アナログ時計の秒針はどれだけ見つめても一切動かない。確実に止まってしまっている。電車を降りバスに乗り継いだのが14時20分。その後さらにバスを乗り継ぎ、それから20分くらい歩いて現在に至る。どう考えてもどう考えても計算が合わない。

 文句をブツブツ言いながら今度はポケットからスマホを取り出す。


「うっわ、圏外って・・・今時こんなところに人が住むとか・・・っていうかスマホ無しでプログラミング会社って成り立つのかよ?」


 携帯電話は電波が届いていなくても時刻表示くらいはできる。


「17時55分・・・道理で少し暗くなってきているわけだ。」


 独り言が多い和樹だがそれも仕方がない。バスには誰も乗っていなかったし、街で出会った人もいない。はっきり言ってしまえば少し寂しいわけだ。


「はぁ・・・今夜は何して時間潰そう・・・」


 そう呟き、海の方に目を向ける。橙色に輝く夕日が美しい。こんな美しいコントラストを見たのはいつ以来だっただろうか。和樹は立ち止まって思わず見とれる。最近は就活に忙しくて景色に目を向ける余裕なんてなかったことを思い出す。広い空にはカモメが飛んでいて、雄大な景色にさらなる奥行を付け加えていた。


「この景色・・・見たことあったっけか?・・・ってそんなことよりも今日泊まる民宿ってどこなんだよ・・・バス停から徒歩20分とか書いてたくせに・・・」


 まさかスマホまで圏外だと思っていなかった。だからすべてのデータをクラウドに預けている和樹は迷子になりかけていた。降りるバス停はメモ書きに残していたからよかったが、宿の名前はともかく、さすがに場所までは覚えていない。うろ覚えの記憶で歩いていたのだが、さすがに情報がないとどうしようもない。しかも、日頃の運動不足がたたったのか足も痛くなってきた。このまま誰かに出会えなければ一生宿にたどり着けない気もする。


「あ、そうか。マップは使えるんだっけ?」


 スマホでアプリを起動して宿の場所を検索すると・・・


「やけに時間がかかるな・・・はぁ?現在地不明?なんだよ・・・携帯まで壊れたのか?」


 最悪だった。宿の場所はわからない。地図も持っていない。スマホも使えない。近くに公衆電話もない。現代人の脆さを完全に露呈してしまう結果になった。

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