されど空の青さを知る
神崎律はそれを見ていた。絵画に興味なんてないが、これは絵になると思った。ふと七海が神崎を見上げる。
「……昔の知り合いが蓮浦を捜してた。レンゲいるだろ、倉木さんの好きなキャバクラに。あの店、組からお前を見かけたら連絡するようになってて、蓮浦の顔もって言ったらごっちゃになったのか、染谷さんに連絡がいったらしい」
「そこから神崎さんがどうして登場したんですか?」
「あたしはあたしで蓮浦を見つけてたから。呼び出そうってなったときに、染谷さんに話を持ちかけられた。こっちなら拉致監禁なんてせずとも、蓮浦を呼び出せるし吐かせることができるって」
それは持ちかけられたのではなく、持ちかけられるようにもっていったのでは。
七海は立ち上がった。少し話が見えてきた。
「その代わり、神崎さんは染谷に何を求めたんですか?」
その答えが知りたかった。神崎はボイスレコーダーも拳銃もスタンガンも持ち合わせていない。切り札は全て出してしまっていた。
「……秘密」
残ったのは身体と、美人と評価される顔だけ。
「当てて良いですか」
「どうぞ」
「俺を助けに来てくれたんですね」
「自意識過剰だな」
「神崎さん」
七海が神崎の方へ手を伸ばすが、神崎はポケットから手を出すことはしなかった。その手が輪郭を捉え、親指が目の下を通る。青くなり始めていた痣の上を。
「いった!」
「美人が台無しですね」
「おいこら腕出せ、傷抉ってやる」
「もうしないでください」
懇願するように言った。朝日が段々と高くなる。静かだった朝を、変えていく。
「寝てる女を置いて、勝手に出て行くのはどうかと思う。しかも大事な証拠まで放置しやがって」
「……え、もしかしてそれずっと根に持ってたんですか?」
「そうだけど。墓場まで持ってくつもりだけど」
睨むと、七海が笑った。どこまで失礼な男なのだろう。舌打ちをして、向う脛を蹴ってやった。思惑通り、蹲って痛がる。
「眠い。帰る」
「神崎さんもそんな、我儘女みたいなことを言うようになって」
「お前は何視点なの」
神崎が歩き出して七海が立ち上がる。青い空だ。
「神崎さん」
「眠いから話したくない」
「明日は仕事休みですよね」
「まあそうだけど」
世の中はクリスマスらしい。神崎が駅の前を通ると、サンタの姿をしたコンビニ店員が、チキンを外で売っていた。チキンは食べたかったが、流石に揚げ物の香りを纏って事務所に出社するのは避けたい。
「おう、午後出勤とは……お前、その顔どうした?」
「あー……クズの喧嘩に巻き込まれまして」
能見の怒りが一瞬にして治まった。神崎の頬に貼られた湿布と、そこに収まらなかった青い痣を見て、事務所がしんとする。
「か、神崎さん、喧嘩って、どうしたんですか」
おろおろと関が尋ねた。男ですか? と言外に言われているのが分かった。
「知り合いの喧嘩を止めに入ったらこれだ」
「大丈夫ですか? 女性に手上げるなんて」
「うん、クズだな」
みやびの顔を殴ったことを思い出して答える。関は自分も痛そうに顔を歪めていた。しかし、倉木は何があったか分かったようで、呆れて溜息を吐く。
「……ごめんなさい」
「今度はもっと穏便な方法で解決しなよ」
「そうします」
本日の電話を終えると、神崎は事務所を出た。
駅に着く前に、鞄の取っ手を後ろから掴まれる。カツンとヒールを鳴らして、よろめいた。
「こんばんは、クリスマスなのに一人ですか?」
「お前もだろ」
「美味しい唐揚げ定食のある店を知ってるんですけど」
「よし、行こうぜ相棒」
七海の首に腕を回して肩を貸してもらう格好になった。そういえば腕を怪我していたのだ、と思い出してすぐに離れた。
「怪我どう?」
「大丈夫ですよ」
「熱は?」
え、と口から漏れた。
「気付いてたんですか、怖い……」
「匂いが分からないのに酒臭いとか言ってきたあんたの方が怖いから」
「全快しました」
それから、神崎は倉木に釘を刺されたことを話した。
駅前のツリーの横を通る。一番上の星は遠く、宮武があれをベツヘレムの星だと言っていた。七海が同じようにそれを見上げる。
「欲しいんですか?」
「ツリー? 置く場所ないし、要らない」
「いえ、あの星が」
傍から見たら、寄り添う恋人同士に見えるだろうか。それとも寄り添うただの同僚にしか見えないだろうか。
神崎は昔から、誰にどう見られても良いという気持ちはあった。それは母親の影響でもあり、いじめられていた経験からでもある。言いたい奴には言わせておけ、偏見を正す必要はない、分かってくれる人間だけ分かっていて欲しい。
しかし、それはとても窮屈な生き方だったとも思うのだ。
女からやっかまれないように男を遠ざけたり、男から憎まれないように出しゃばりすぎないように気をつけた。
――律は一人でも平気だと思うけど、
響子の声は小さかった。それでも絞り出すように話した。
――でも貴方は自分より他人のことを優先しちゃうときがあるよね。
――そんなことないでしょ。
――そういうところ、あの人に似てるのよ。
人は死んだら星になるという。もしかしたら、響子があの星になったのかもしれないな、なんて幻想じみたことを考えてしまった。
「大丈夫、持ってるから」
神崎は穏やかに笑った。七海はその唇に、静かに口づけを落とした。
殺めるだけならただの鬼 END.
20171225
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