ベツヘレムの星


静かに眠っている七海を確認して、神崎律は家を出た。少し周りを警戒して見回し、鍵をかけた。

結局明け方まで七海の看病をしていた為、よく眠れたわけでもないが、昨日よりもすっきりとした気持ちでいた。神崎はその心のアンバランスさに溜息を吐く。吐いた息が白くて、曇った空を思わず見上げた。

駅の周りはすっかりクリスマスモードだった。どこからか運び込まれた大きなツリーに沢山の装飾が施されている。世の中の子供たちはサンタクロースを待ちわびて、どの靴下を用意しようか考えているのだろうか。

神崎の家にもサンタクロースが来た。

クリスマス前になると、必ず「お母さんがサンタさんに律の欲しいものを事前に伝えないといけないのよ」と言って響子に聞き出され、「逆上がりができるようになりたい」と言うと「それは自分の努力が必要だと思う」とか、「お菓子」と言うと「もっと欲しい玩具があるんじゃない!? ほらこの前CMでやってた……」と勧められたりした。そして響子は必ず起きて枕元にあるプレゼントを見た神崎に感想を求めた。

懐かしい、とツリーのてっぺんに飾られた星を見る。


「はよ」


神崎の背中に声をかけたのは宮武だった。出勤の時間が被るのは珍しく、神崎は振り向いて「おはよ」と返す。宮武もツリーを見ていたらしい。


「でかいな……。撤収が大変そう」

「確かに。てか、運搬作業も全然目にしてなかった」

「え、ずっとやってたけど。お前、帰るとき駅直行だもんな」


宮武が苦笑する。


「灯台下暗しってやつか」

「宮武、何かあった?」


進む方向は一緒で、サラリーマンたちも同じような方向へ進んでいる。反対に水商売の方々は駅へ向かっていた。擦れ違う顔が疲れ切っているが、会社へ進む顔もまた同じようなものだ。

神崎の質問に、宮武は瞬きをする。人は時に、表情よりも目の動きでその気持ちを量ることができる。


「彼女と別れた」

「どんまい」

「同期の慰め方がこれだもんな。後輩たちはいちゃついてるし」


はー、と長めの溜息を吐いて宮武はコートのポケットに手を突っ込んだ。ビル影の合間にある光が二人を照らす。


「後輩って関?」

「関と矢田……もしかして気付いてないのか」

「え、付き合ってんの?」

「矢田が最近全然遅刻せずに来られてるのは関のお陰と言っても過言じゃない。いや、関のお陰だ」

「知らなかった……まじか……」


宮武は知っていたのに自分が知らなかった後輩の事実について軽くショックを受け、神崎は空を仰ぐ。というか、若い顔が好きなんじゃないのか。

矢田はまあ普通に普通の、チンピラ一歩手前の顔をしている、顔に評価をつけるつもりは毛頭ないが、矢田の顔を言葉で表現するとき、そうなってしまうのだ。ちなみに宮武は一学年に一人は居そうな顔。


「宮武に彼女がいたことも知らなかった」

「言ったことないからな。むしろ、どうして別れたことに気付かれたのかが謎だ」

「いや、泣いたみたいな。泣きそうみたいな顔してたからさ」


自然と答えた神崎を、宮武は見た。前を向いている横顔は寒さでか白く、そして美しかった。

神崎はいつも、綺麗な顔をしている。整った目鼻と、長い睫毛と、最近は強い主張のある紅を引いている。


「あー灯台下暗しか、本当そうだな」

「……そっちの衝撃の方が強いのか」

「そんなに別れたのがショックなら、今日休んでも良かったのに。あたしが能見さんに『宮武は失恋から立ち直れなかったそうです』って報告する」

「心の底からやめて欲しい。倉木さんが聞いたら、一生いじられる……」

「何が?」


後ろから聞こえた倉木の声に、宮武は飛び上がった。神崎は飛び上がった宮武に驚き、その驚いた顔を見た倉木は笑う。心臓に悪い朝である。


「おはよう、二人とも朝から元気だな」

「倉木さんには言われたくないですね」











蓮浦捜しは難航していた。

いやしかし、今井葵と同僚だった男が蓮浦と繋がっていることは分かった。それもまた、神崎やありさの予想通りではあったのだけれど。


『貢がせて働かせるって、ドラマみたいだね』


電話の向こうでありさが落胆した声を出した。神崎はその言葉に苦笑した。


「事実は小説よりも奇なりって言うけどな」

『これ以上ドラマにならなくて良いよ』

「で、どうする?」


きっと蓮浦を捕まえれば何かを知っているだろう。それとも今井葵の同僚を見つける方が早いだろうか。

昼休み、関が矢田と共にランチへ出かけるのに誘われたが、神崎は丁重に断った。今朝の話を思い出してしまったし、ありさへ報告をしないとならなかったから。

そんなわけで自分はコンビニへ向かっている。


『あたし、復讐するつもりだったよ』

「ああ、知ってる」

『今もそのつもりだよ』


決意は変わらなかった様だ。


『蓮浦って人、見つけて欲しい。出来る範囲で良いので。あたし、その人と話がしたい』

「話って言ってもな」

『対等に話が出来る場所ならどこでも良いの』

「話が出来るかどうかは兎も角、そいつが捕まったら」


コンビニの前で屯する若い男たち三人が煙草を吸っていた。神崎はいつもあえて目を逸らして通っていたが、今日は電話をしながらだったので注意が散漫になっていた。

一人の男と目が合う。いや、神崎が注目したのはそちらでは無かった。煙草を吸って神崎と同じように耳に携帯を当てていた男だ。ガタイが良くて、甘めの顔をしていて、女ウケが良さそうな。

すぐに視線を下に落とす。顔をすぐに逸らすのは与える印象が良くない。この街で喧嘩をふっかけられる理由はそれだけで十分なのだ。

コンビニへ入って、雑誌コーナーへ行く。『神崎さん?』と電話の向こうでありさが名前を呼んでいた。


「分かった。こっちでその席は設ける、少し待っててくれ」

『え、設けるって……』

「じゃあ、また連絡する」


一方的に電話を切り、神崎はコートのポケットに手ごと突っ込む。雑誌の表紙を見ながら、灰皿の周りで立っている男たちの動向を感じていた。先程神崎と目が合った男がこちらを窺っているのが分かる。ポケットの中でひとつの番号を呼び出す。


『もしもし、こちら帚木の携帯です』

「神崎です。こちらに今すぐ来れますか?」

『こちらというと、神崎さんの事務所のある方でしょうか』

「はい、本当に今すぐ」


雑誌コーナーを横に歩いて行く。視界の端に蓮浦を捉えながら、ひとつのファッション雑誌を手に取る。


『偶然ですね。今その近くで仕事がひとつ終わった所なんです』

「追ってほしい男がいる。事務所の表口の通りに面した角にあるコンビニの外にいる奴なんですけど」


帚木とは、この街の探偵だ。猫探しから浮気調査から裏の仕事でも何でもする。いや、それだと便利屋になってしまうが、殺し以外なら何でも承るという気持ちで事務所を立ち上げたと言っていた。


『あ、見つけました。三人いますけど』

「一番背の高い男をつけて、どこで眠ってるのかだけ突き止めてもらえますか」

『承知です』


電話を切って雑誌を戻す。神崎はそこを離れ、サラダが並ぶ棚の前へ行った。

帚木は響子のファンだったらしい。神崎がそれを知ったのは随分前だが、響子は帚木が劇場に通っていたことを知っていた。響子が病室に入れることを拒まなかったファンは帚木と神崎の事務所の人間くらいだった。

帚木はそのときから探偵をやっていたらしい。

ミニサラダと昆布のおにぎりを買って出ると、既に三人の姿は無かった。いや、待てよ。神崎は足を止めた。

あの三人組は一体、誰なのだろう。

蓮浦と絡んでいたということは、メンズバーの人間だろうか。しかし、飲みに誘っても来なかったという蓮浦にそんな同僚がいるのか。本当に関西から来たというなら地元の友人ということでもないだろう。

それなら、誰だ。


「そもそも、今井葵が運んでたものを持っていたのは同僚で、求めていたものは金で、その金は蓮浦に流れていて……」


そうなると、どうだ。今井葵を中心に描かれていた図なのに、金だけはきちんと二人に入っていく。ありさから今井葵の同僚の写真を見せて貰えば良かったと後悔する。今からでも遅くはないか。

もしもあの三人がクスリ関係ならば、もしかして七海にも関係しているのではないか。

神崎は事務所へ早歩きして帰った。その急ぎ様に宮武が怪訝な顔をする。


「職質にあってきたとか?」

「そんなわけあるか」


コンビニの袋を机に置いて、神崎は鞄の奥底に沈んでいるレコーダーを確認した。


「ベツヘレムの星、か」

「何それ」

「ツリーのてっぺんにある大きい星のこと」

「へえ、あれ名前あんのか」

「キリストが生まれたときに見えた星で、それに向かって三人の博士が旅をしたらしいよ」


よく知ってるな、と宮武がコーヒーを飲みながら聞く。神崎は買ってきたサラダのパックを開けて食べ始めた。


「母親がキリスト教だったから」

「まじ?」

「うそ」

「おい」


ベツヘレムの星。未だぴかぴかと光っているわけではないが、少し光は差してきている。これが一筋の光と言える程の太さになったら良いのだが。

サラダをもぐもぐと咀嚼する。サンタクロースが家に来ていた頃には食べられなかった赤パプリカが普通に食べられるようになっていた。






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