熟む


七海は神崎律の様子を見ていた。


「……いえ……はい」


電話の向こうが煩いのか、神崎は耳を携帯に寄せる。


「……はい、わかりました。あたしも連絡して、心当たり探してみます」


こちらの雨は小雨になっていた。神崎は携帯をしまい、やっと七海をきちんと見た。


「何かあったんですか?」

「……うん、行ってくる」


その詳細を七海に話すつもりはない。神崎はぐずぐずと痛む腕を掴んで、離した。それから小雨の中を行く。

七海は神崎を傘に入れに来たのだ。

あの日のように、また熱を出したら困るから。

駅に着いたら、一度和花に連絡を入れよう。神崎は大通りを歩きながら思った。朱里から、和花が帰ってきていないと連絡があった。学校に電話すると午後の授業をサボったというのだ。なら、どこに?


血を見ると、安心した。温かいから、まだ生きていると。


ガッと奪うように左腕を取られた。絆創膏の中で傷口がまた開く気がした。


「……なんですか、これ」


掴んだのは七海だった。傘を持っているのに、さしていない。神崎は驚いて視線が傘にいっていた。

七海の方も腕の傷に驚き、袖が捲くられている中を見た。細かい雨が二人を打つ。何本もある傷跡にも、水滴が流れた。


「誰かに、」

「自分でやったに、決まってるだろ」


おめでたい発想に神崎が苦笑する。そこに先程の冷たさは無かった。本当に愛くるしい馬鹿だな、と感じていた。


「今もしてるんですか?」


それでも至極真面目な顔をして、七海は絆創膏を見た。絆創膏からはみ出た傷跡は平坦な皮膚には戻らないらしい。

これを見た母親は、泣きそうな顔をしていた。


「そんなわけない。眠ってるときとか、無意識に引っ掻いて、血が出ただけ」

「……そうですか。あ、すみません」


七海が傘をさす。半分以上を神崎の方へ傾けた。やっとビニール傘が役目を果たした瞬間だった。


「俺も行きます」


神崎は七海を見上げて、断っても着いてくるのだろうなと肩を落としてみる。この男は何かと理由をつけたりつけなくても、神崎にぴょこぴょこと着いて来る。


「勝手にすれば」

「で、どちらの方なんですか?」

「七海の大好きな女子高生」

「どちらかというと年上の方が好みです」

「知らねーよ」


肩を寄せて駅まで歩く。屋内に入ると、神崎は携帯を出して、和花へ電話をかけた。七海は傘を畳んでいる。

1コール、2コール。


『も、しもし!』


でた。が、神崎は眉を顰めた。


「誰だ?」


それはかける側の人間の言葉ではないと七海は首を少し傾げた。


『出雲の……出雲和花の、同級の田辺、です』


落ち着いて、間違えないように出そうと努められた声。更に神崎は訝しむ。


『出雲の知り合いの人ですか? あの、出雲って』

「捜してるんだけど、どこに居るか知ってるか?」

『ここに居ます』


神崎は「……は?」と声を漏らした。七海はそれを観察する。背後で電光掲示板がパラパラと変わっていく。

この田辺と和花はどういう関係なのだろうか? 同級と言ったが、付き合っているのか?

神崎はそれを考えたが、それよりも和花の居場所の方が先だ。


「どこにいる?」

『学校の倉庫です。体育倉庫』

「……そこで、何してた?」


学校と聞いた瞬間、神崎は七海に視線をやった。改札の方へ歩き始める。あ、と思い出して七海の方を見た。掌を見せている。そうだった、この男はICカードを持っていない。

神崎は切符売り場へ向かった。


『俺はさっき来たばかりで、あの、出雲って飲んでる薬とかってありますか? 知ってますか?』

「薬? 知らないな。どうして?」

『何か、飲んだみたいなんです、それで』


和花の高校の最寄りの切符を買う。それを七海に押し付けて、改札を通った。

薬……それで?


「お前の話、さっきから要領を得ないんだけど。とりあえず、和花がいるなら代わってくれ」

『代われる状態じゃないんです』

「どうして……」


うるさい!! と、金切り声が聞こえた。その後、ガシャンと何かが壊れる音がした。思わず神崎は電話を遠ざける。


「なんですか?」

「こっちが聞きたい……あ、切れてる」


もう一度和花に電話したが、電源が入っていないと音声が流れる。

二人は電車に乗り込み、神崎は鞄を肩にかけ直した。


「薬がどうのって、それから多分、和花の怒鳴り声が聞こえた」

「……薬、ですか」

「まさかな」

「神崎さん、痛むんですか?」


和花のことを考えていた神崎は、その問に首を傾げる。七海はその腕に当てられた手を取った。ずっと押さえていたその手を。


「あー……雨降ると、ちょっと」


そう答えて、電車を降りた。

朱里に連絡を入れようか迷って、辞めた。行って無事を確認してからだ。混乱が大きくなったら、ここにいる七海も巻き込むこととなる。七海は自分から飛び込んできただけだが。

この間会ったとき、制服を見て高校を特定した。その制服を着ている女子高生が大通りあたりを歩いているのを見たことがある。

七海は黙って神崎の後を着いて行った。辺りは暗くなり始めている。小雨は降ったり止んだりを繰り返していた。


「入れんのかな」

「緊急事態なので、大丈夫でしょう」


躊躇いなく七海は高校へ入った。神崎は職員室であろう灯りを見上げる。

校舎の間を通り抜け、校庭へ出るとすぐに倉庫の場所が分かった。その入り口が人間の幅だけ開いている。

先に七海が入り、次に神崎が入ると、暗い中で人影が動く気配と、啜り泣く音。


「カンザキさん、ですか?」


男子高校生の声。七海が壁を伝い、電気をつけた。眩しさに目を細めた神崎は、目の前の状況に眉を顰めた。


「和花?」

「ずっとこんなで……」

「何分くらい?」


和花は身体をがたがたと震わせながら、膝を抱いていた。その隣で和花に自分の上着をかけて何も出来ない田辺が座っていた。


「俺が来てから一時間くらいです。」

「薬って、何を?」

「そこの……」


田辺が指差した先には既に七海がいた。ジッパー付きの小さな袋を持って、灯りに透かして見ている。ピンクの、明らかに市販のものでない。


「たぶん、ペケですね。ピンクです」

「どこでそれ」

「今他所者がバラ撒いてるって問題になってます。そのことで上層部が話してました」


神崎はこの間見た黒塗りの車を思い出す。

和花が頭を上げた。その焦点はどこにも合っていないが、神崎の方を向いている。


「……んざきさん、や、ぱりね、どこにもいけなかったよ」

「……そうか」

「ここじゃないな、ら、どこでも、よかったのに」


歌詞のような台詞だ。それを聞いて胸を痛めたのは田辺だけだった。

昼休みの話の続きをしに、放課後和花の教室を尋ねると午後から居ないと言われた。その反応は冷たく、クラスメートが関わるのを避けているのが見て取れる。自分の態度が気に入らなくて、あのまま帰ったのかもしれない。とは思ったものの、いちおう校内を捜してみた。


「わたし、むりだった」


ラリった女の涙と戯言。七海はそれを遠目に見て、救急車を呼ぶべきか否かを考えていた。


「そうか、よく頑張ったな」


あっさりと神崎はしゃがみながら言い放った。ペケ、バツ、通称MDMA。どこの誰が女子高生にこれを配って何をしたいのかは透けてわかる所もあるが、それはまあ良い。


「ここ、移動しよう。教師に見つかったら面倒だ」

「え、どこにですか?」

「うちは遠いし……カラオケボックスとか、近くにあるか?」

「駅の方にあります」


田辺が答えた。そして、神崎が和花を支えて倉庫を出る。思えば誰かがこの灯りを見たら、駆けつけることもあっただろう。そう考えると、田辺が暗い中で和花に寄り添っていたことが賢明に感じる。


「七海はどうする?」


カラオケへ案内するのに田辺は必要だ。神崎は問うた。


「必要ですか?」

「和花の薬が抜けるまで待つだけだから、正直要らない」

「では帰ります。これ、預かって良いですか?」


見せられたのは、残りの一錠。


「別に良い」

「色々調べてみます。もしも急変したら、この闇医者のところへ。組の専属ですが、俺からだと言えば来ます」

「それって七海専属って言うんじゃない?」

「まさか」


笑って、連絡先を神崎のジャケットのポケットへ突っ込む。


「では、おやすみなさい。幸運を祈ります」

「おやすみ」


和花と田辺を引き連れて、神崎はカラオケへ向かった。成人済みの会社帰りの女と、ぐったりとしている女子高生、荷物を持つ男子高校生。その組み合わせを見て、店員は訝しんだが、田辺とは顔見知りらしく、手続きはスムーズに進んだ。ドリンクバーから田辺が水を持ってきて、和花に飲ませた。四時間もすれば抜けるだろう。

部屋を出て、神崎は朱里へ電話をした。薬のことは伏せて、少し様子を見てから送ると伝えた。


「田辺って、和花と付き合ってんの?」

「いや、それは、違います」

「ふーん」

「そう見えますか?」


部屋に戻ると、和花は膝を抱いていた。靴を脱ぐという分別はついているらしい。田辺は神崎に尋ねる。


「見えてはないな。なんか高校生男女が一緒に居るとそう見える。あたしも歳とったな」

「カンザキさんは、あの人と付き合ってるんですか?」

「冗談でもやめてくれ」





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