績む
どうして、こんなこと。
どうして、こんなになるまで……。
絶望的な眼差しとはこういうことを言うのだろう。神崎律は他人事のように思った。
身体に傷なんてつけて……。
これでもう、母親のように踊り子になるのは無理だ。それを心のどこかで喜んでいる自分がいた。
―――律、どうしたい?
少ない中学校生活を考えて、神崎は答えたのだ。
寝落ちていた。変な体勢で眠った所為で首を痛めた。田辺の姿がなくて、辺りを目で探すが、日付も変わらぬ頃に帰ったことを思い出した。
和花が起き上がり、目を擦った。神崎は脱いだパンプスに足を突っ込む。
「気分は?」
「あんまり、良くありません」
「薬抜けてる?」
「たぶん……」
最初の時と比べて随分良くなった。和花は水を飲んで、部屋を出た。神崎は携帯を手繰り寄せて、朱里にメッセージを打つ。これから送ります、と。
部屋に戻った和花を連れて、カラオケを出る。本当は未成年は何とか条例で深夜の利用は禁止されている。警察に見つかったら面倒なことになると承知のうえで置いてくれたのだろう。神崎は一万円札を二枚出してお釣りを受け取らなかった。店員は田辺と見知った青年なのだろう。受け取れないと言っていたが、押し付けた。
「金でものを解決する大人になってしまった……」
「神崎さん、すみません」
「別に良い。一万でも良かったわけだし」
「お金のこともそうですけど……、来てくれて……」
ああ、そういえばそうだな、と神崎は軽く返した。高校で何人か同級生がそれで捕まっていた。倉木の知人も一人死んだと聞いたことがあった。
薬は怖い。怖いというより、捉われてはいけない。
和花の飲んだものも、昔は患者を救うひとつの良薬だった。それが今はどうだ。ドラッグとされて所持すら認められていない。
「まあ、薬やるのもやらないのも和花の勝手だけどさ」
「……はい」
「大人になったら笑えるって。あたしの上司が言ってた。だから、あんまり急ぐなって」
自分は急いでいただろうか。和花はだるさの残る頭で考える。神崎の言葉は今まで以上に楽観的に聞こえた。
「飲んだら辛いこと全部忘れられるって、聞いて」
「へえ、それなら世の中の大人の大半がラリってるだろうな」
「神崎さん、私ね、自分のことが好きじゃないの」
駅までの道に人は殆どいない。擦れ違うサラリーマンたちは疲れた顔をしていて、神崎と制服を着ている和花の姿を視界にすら入れていなかった。
「好きな人間の方が少ないと思う」
「でも、好きになりたかった。できるなら、私が、私くらいは私のことを、好きでいたかったんだ」
「そうか」
「でも、できなかった」
「どうして過去形?」
神崎はジャケットのポケットに手を突っ込んでいた。寒いわけでも、和花のように錠剤を握っているわけでもないが、昔から癖だった。響子によく注意をされた。
「和花はこれからも、和花自身と付き合っていかないといけないんじゃないの? そうやってほいほい投げ出して良いの? 和花はどこにも行けなかったって言ってたけどさ」
和花は神崎を見た。
「それって、和花がどこにも行ってないだけだろ」
酷いことを言っている自覚は神崎にもあった。こんな高校生相手に、何もこんな残酷なことを言わなくても良い。生きていればこれから知ることだろう。こんな風に突きつけるのは、八つ当たりと嫉妬。
死にたかった自分への。
口を噤んだ和花は、心臓の音が耳元でするのを感じた。痛みはないのに、血の巡りを感じた。
「誰に断らなくても行きたい場所に行けば良いし、そんなに急がなくても人間いつかは死ぬんだからさ。学校が嫌なら、行かなきゃ良い。自分の身を護る為なら何だって使えば良い」
「はい」
「好きになれなくても、自分のことくらい守ってやれば?」
駅の灯りの前に、朱里が立っているのが見えた。同時に朱里もこちらが見えたらしく、待てずに歩いてくる。
そして、和花を抱きしめた。
倉木と神崎は事務所を出た。辺りは既に暗く、日が短くなっているのを感じた。
「お出かけですか?」
事務所の前のガードレールに七海が寄りかかっている。こうして七海が事務所の目の前で神崎を張っていたのは初めての出来事だった。
「後輩がダーツバー出したらしいから、神崎を誘った。七海も行くだろ?」
「ご一緒して良いですか?」
「よし、負けた奴の奢りな」
「七海、巻き込まれたな」
「まんまと、ですね」
神崎は笑った。本当に七海はついて来る気らしい。
きっと話があるのだろう。
「二人、最初は結構犬猿の仲って感じだったのに、今じゃ普通に仲良いな」
「取引先でもあるので、流石に悪くもできないですよ」
「あたしだってヤクザを敵に回すほど馬鹿じゃないんで」
「漂うビジネスライク感がすごいな。出逢えばくっつく磁石みたいな奴らなのに」
物質に例えられたことに神崎は嫌そうな顔をする。
「じゃあどっちがSかMか決めましょう」
「七海、学がないのと性癖がばれてる」
「では、神崎さんに選ばせてあげますね」
「今すぐ帰れ」
倉木の後輩は、神崎と七海も一緒に歓迎してくれた。なかなか賑わっており、神崎は暫くは潰れなさそうだなと考えた。この街では、人と店の出入りが激しい。
「そういえば、和花、学校行ってるって」
「正直、辞めると思ってました」
「あたしも」
「誰の話?」
「この前、不登校の子に会ったって言ってた、あの子です」
倉木さんは「ああ、それは良かった」と笑顔を見せる。それはとても他人事のように軽く、神崎はそういうものを好んだ。
ジンバックを飲み、後輩に呼ばれて行く倉木の背中を見送る。
「倉木さんなんだよね、母親から紹介されたの」
「お見合いですか?」
「そういうのじゃなくて、報復の手伝いに」
『制服脱がされて撮影されたり』『その携帯全部壊して、その場にいた奴等全員剥いて写真撮って掲示板にあげてやった』
その言葉を七海は思い出した。
「それなら、倉木さんは神崎さんを可愛がりますね」
「七海は手を貸してくれなそう」
「俺は手加減出来ないのでね」
「手加減?」
「倉木さんの番ですよ」
戻ってきた倉木が返事をしてダーツを持つ。今のところ神崎がトップだ。その後を七海と倉木が追っている。
神崎はヒールを椅子の脚にひっかけた。テーブルに頬杖をついて、ジンバックを飲み干す。
「で、売人の方は?」
「見つかりました。警察も追ってたみたいで、簡単に捕まったらしいです」
「ふーん」
「若い人間にバラ撒いていたらしいです。芋づる式に、ごろごろ出てきそうですけどね」
「下っ端ってことか?」
しょんぼりとした顔の倉木が帰ってきた。神崎は椅子からおりて、腕捲りをする。やる気満々だ。
的の中心を狙って、投げる。思った場所に綺麗に止まる。七海はそれを後ろから見ていた。ダーツの世界選手権にでも出れば良いのに。
倉木の方はそれを眩しそうに眺めている。
「若いからか? それとも才能?」
「どっちもですかね」
「見も蓋もない……」
番が回り、七海が立ち上がり神崎の隣に来た。
神崎は七海を見上げた。目が合う。
手加減、できないのでね。
がちゃん、と鍵の閉まる音で我に返る。お母さん? と半分寝惚けたような頭で、神崎は玄関のドアノブを見た。手を握られる。熱い。その手の持ち主を見上げれば、七海の顔があった。感情よりも先に、何故か視界が滲む。目を瞑って開ける、を繰り返すうちに七海の顔が神崎に近付いた。その気配がなかったわけでは無い、が、特別警戒することもなかった。時折、下から覗き込まれることがあったから。
しかし、今回は違った。思えば、手を握られたのは逃げられない為にだったのかもしれない。
静かに唇が重なる。
その唇は、とても熱かった。
うむ END.
20171108
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