雨、しとしとと


結局、神崎律はギターを捨てることはしなかった。

それは粗大ごみの捨て方が面倒だと知ったからなのか、関から父親の話をされたからなのかは定かでは無いが、それを背負って草薙明慶に会うことになった。

星も見えない繁華街に夕日だけが美しく差し込む。改めて太陽の偉大さを知る。神崎は何の気無しに辺りを見回してみた。繁華街を歩いていると、七海の姿を見かけることが多いが、最近めっきり見なくなった。あの日本当に友人と喧嘩したのかどうかは兎も角、表に出ることのない仕事をしているのかもしれない。神崎は七海の上司の顔を数人見つけ、すぐに目を逸らした。挨拶することは無いが、向こうも神崎も認識はしている。敵ではないが、そこまで仲良くする必要もない、といったところか。

雨が降りそうだ。湿気の匂いに空を仰ぐ。神崎は足を早める。

待ち合わせたスタジオに入ると、懐かしい顔があった。扉の開いた音にエプロンをかけたオーナーが神崎の方を向く。


「なんだ、どうした!?」

「え、何がですか」


駆けこんできたわけでもないのに、誰かに追いかけられたのかという調子で訊かれたので、驚きながら返す。その返事に府に落ちないという顔をしたのはオーナーの方だった。


「……もしかして、ついにクビになったのか?」

「仕事は早上がりですけど」

「じゃあどうしてギター背負ってんだ。最近の路上ライブは見回りが煩いぞ」

「草薙に呼ばれたんです」

「そうならそうだって最初に言えよ。紛らわしいなあ、つーか久しぶりだな」


一番最初に聞くはずの言葉が最後に出てくるとは。神崎は「うーす」と返して奥に進むと、びっしりとビラが貼ってあるボードが視界に入る。各バンドの呼び込みのチラシだ。ここでライブやりますのでどうぞ来てください、と様々な学生から社会人からおっさんたちが手招きをしている。

昔ここに貼った覚えがあるな、と懐かしく思いながらそれを見ていると、明慶が待合スペースの椅子に座っていることに気付いた。チラシを見ている神崎を後ろから見ていたのであろう。もうそこに、ライラの文字はない。


「ギター持ってきたのか」

「ああ、うん。これやるよ」

「……やる?」

「お前に。昔中古でも良いから欲しいって言ってたろ。あたしもう使わないからさ」


その言い分に絶句したのは言うまでもない。明慶はしばらくぽかんとしていた。

神崎に話しかけられるまでは。


「戻らない、ライラには」

「っていう冗談?」

「だったら面白くない冗談過ぎるな。ライラがメジャーデビューできたのは他でもない三人の力だし、あたしがその中に入っていくのは筋が通ってないだろ。ファンだけじゃない、事務所からも切られるかもしれない」

「神崎が心配してるのはそこ?」

「だけじゃない、言い方が悪かった。あたしは今の仕事を辞めない、バンドの方には傾かなかった」


明慶はパーカーのポケットに手を突っ込んだ。じっと神崎の目を見ている。澄んだ目だと思う。それが高校のときから少しも変わっていないことに嬉しく思う自分を見つけ、神崎はそれが嫌になる。他人に変化を望まないのは、エゴだ。




放課後だった。出し忘れた提出物をテキトーに間に合わせ、神崎は担当教員に出して教室に帰ったとき、明慶が机に突っ伏して眠っていた。話したことのない生徒だったが、クラスでは煩い方なので目立っている男子。神崎はそれに気付いて、足音をたてずに自分の机に行き、鞄を持ったところでむくりと明慶が起き上がった。はっと、神崎の方を見る。


「ねてた」

「……みたいだな」


この頃の神崎は男子を関わるのを極力避けていた。中学の頃の環境を繰り返さないようにする為には、女子を敵に回さないこと。それを実行するには、男子に媚びないことが必要だった。この頃の神崎"も"誰がなんと言おうと美人だったので、同じ学年の男子は何も言わずとも寄ってきたが、誰一人として受け入れられなかった。その噂はすぐに校内を駆け巡り、神崎は男は相手にしないという噂がたつことになる。反対に女子からは今現在のようにとても人気があった。

それは図らずとも出来た環境ではあったが、それは女子だけの影響ではなく、神崎の親の話や中学で行ったことも既に露見していたからである。報復、いや、ほんの少しの意趣返しは噂となり様々な人間の耳に入り、知っている者は知っているという結果になった。


「神崎さ、指長いよな」

「何、急に」


こうして待ち伏せしている男子が今まで居なかったわけではない。神崎は少なからず警戒をしながら返事をする。教室には二人以外居らず、明慶の方に出口はある。


「ギターやってみない?」


言葉を探しながら、どうやって切り抜けるかを考えていた神崎は、その言葉にぽかんと口を開ける。ギターって、何からその言葉が出たのか。


「どうして?」

「いやだから、指長いし、器用だし。この前の授業でハンダゴテ綺麗に使えてたし」

「あたし音痴だから」

「俺が歌う!」

「ギターとか持ってないし」

「買うまでは俺の貸す! だから頼む! 俺とバンドやろう!」


一年のとき部活勧誘があったことを神崎は思い出していた。あれはバレーだったかバスケだったか、背の高い神崎はしつこく追い掛け回された。クラスメートの女子が追い払ってくれたので良かったものの、神崎の性格では無碍に断るには理由が要った。困った性格である。

しかしここでは助けを出してくれる人間はいない。


「……やらない」

「なんで!」

「音楽とか興味無い」

「じゃあこれ聴いてみて。俺が作ったやつ」


どこから出したのか神崎にCDを押し付けた。反射的に受け取ってしまって、「じゃ」と逃げるように行ってしまう。ぽつんと残された神崎は自分の手に残ったCDを見つめた。

仕方がないので聴いてみた。その頃の神崎は音楽を聴く機械が家になかったので、友人の家で音源を携帯に入れてもらった。ところどころ聴きにくいところはあったが、良い歌詞と曲だと思った。やれと言われて、誰も彼もができることではない。

イヤホンを耳に突っ込み、一週間、暇なときがあると聴いていた。ギターか、ギター。弾けたら楽しいものだろうか。楽器屋をふらつき、とりあえず弦楽器の前で止まる。


「……たっか」


とても小さい声で、店員には聞こえない程の音量。神崎が思っていたよりも高値。高校生のお小遣いでは買えないであろうそれを見上げて、瞬きをする。


「だから俺の貸すって」

「うわ、」


すっといつの間にか隣に立っていた明慶が話しかける。同時に神崎のイヤホンを取られた。


「てか、ここに来るってことは楽器にギターに興味出たってことか!」

「なんでここに居んの?」

「ここ俺ん家だから」


どんな冗談だよ、と思いながら、神崎はレジの棚に置いてあった店の名刺を見た。草なぎ楽器と書いてある。それを見つめて、ひくりと頬が引き攣った。

草薙はにこにことしながらその名刺を神崎に渡す。それはCDを渡したような気安さで。同じように受け取った神崎はそれをまじまじと見て、明慶と比べた。楽器屋の息子、確かにわかる気がする。いや、それなら今まで多くの楽器をやってきたはずだ。今更神崎を誘わずとも、昔からの仲間というのがいるのでは。


「あたしの他にバンド組める人、いないのか? うちの高校でもギターやったことある奴くらい……」

「いない」

「嘘だ」

「いたよ。いたけどさ、みんな私立行ってお勉強が忙しいんだと」


はは、と乾いた笑い声に、神崎が口を噤んだ。手元に残った名刺の文字を指の先でなぞる。

店の扉が開く音がした。その音に二人が振り向いた。



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